スライム
───吾輩は抱き枕である。種族はスライム。
サイズはおよそバランスボール程度、質感は吾輩には分からないが、ひんやりぷるんとしているらしい。色が黒なのが気になるけどそれ以外はオール満点な抱き枕だよと泉の管理人であるミミル殿から絶賛されている。ふふん、吾輩のぷるるんボディは泉の乙女御用達なのである。たまに水まんじゅうと間違われているのか噛まれるのは勘弁願いたいがね!
そして現状、食む喰むと美味しく噛まれているところからスタートである。いやはやなんとも幸先が悪い。先日も矢でいられたというのに、その三日後には食べられるという奇妙な経験を積むとは思いもしなかった。それにしても痛覚がないって素晴らしい。あったら多分だが発狂してる。
……発狂? うむ、何か吾輩でない吾輩が頭抱えて転げまわっているような? まあ、大した事ではないのでスルーするとしよう。泣き言を言われても知らん。
まあ、ともかく、抱き枕の最初に仕事としてミミル殿の体をゆすって起床を促すとしよう。
ぷるんぷるんと揺れるボディで顔を揺らすが、むへーという奇妙な声とともに後五年というトンデモな言葉が吐き出される。ううむ、五年も寝ては環境が変わると思うのだが、まあ、ミミル殿にはその程度関係がないのだろうが、───うら若き乙女がぐうたらと過ごすのを見過ごすのはいけない。
とりあえず、湖に体を触れさせて知識の泉の水を少しばかり拝借する。
その水を表面に纏う事で体温──と言っていいのかは謎だがね──を下げる。そうすると、湖に住んでいるのに冷たいのが苦手という奇妙な特徴を持つ彼女の表情は、徐々に嫌そうなモノへと変化する。
そうして、しばらくすると勢いよく開かれた眼が、恨みがましい視線を吾輩のボディを貫かん鋭さで突き刺さる。ううむ、お怒り、とは行かないが、少し拗ねているらしい。
これはすまない、と伝えるために体をプルプルさせるが意味がないようで、視線の鋭さは変わらない。
ちなみにこのコミュニケーション方法はミミル殿以外で成功した試しがない。まあ、吾輩も成功するとは思ってもいないが。基本的にスライムコミュニケーションは体を合わせてプルプルするくらいしかないのだが、……まあ、他の種族に理解してもらえるとは思わないからいいのだがね。吾輩にはミミル殿がいるし。
「……たまには寝て過ごしてもいいじゃない」
そんな事を呟いた彼女に対しての返答─喋るわけではないが─は決まっている。───眠り姫も似合うだろうが、吾輩は溌剌な管理人殿の方が素敵だと思うぞ?
……む、顔をそらされた。これは、もしかして怒っているのだろうか? ううむ、吾輩、心の機微というものは理解できないのだ。吾輩が理解できるのは知識としての表面上の感情のみ。吾輩自身にも感情はあるものの、さりとてそれは他種族のものと同列に並べるべきものではない。なので精霊に属する管理人殿の気持ちはよく分からんな。……という訳で黙れ我輩でない吾輩。騒がしいし、スライムに自爆能力はない。
「どうして貴方はそんな言葉が簡単に出るのかしら」
思うという事は何物にも代え難い幸福の一つだからだろう。
吾輩は本来思考を持たない粘液だ。弾力のある非生物だ。蠢くだけの存在だ。
しかし、だからこそ吾輩は意思を手に入れた有り難みを何者よりも理解している───思うとは、何よりも最愛なことなのだよ管理人殿。もとよりソレを当たり前に手に入れている者達は知らないのだ、本能のみが身体を動かす虚しさを、そこにあるどこまでも悲しい冷たさを。
思考を手に入れた吾輩が最初に感じたのが孤独だ。しかし管理人殿、貴女のおかげで吾輩はすぐに孤独を忘れる事が出来た。それは、吾輩の人生において最も輝かしい記憶であり、そして最初に得た知識なのだ。───誰かを思うという事はこんなにも温かな事なのだと。
「───その、貴方がスライムじゃなかったら、多分、うん、なんて言うか、こ、告白みたいね」
うむ? 種族が違うと結婚しても子供は生まれんぞ? と言うか吾輩に生殖機能は存在しない。
まあ、吾輩が管理人殿を好いていると言葉に嘘偽りはないのだから、告白(秘密にしていたことや心の中で思っていたことを、ありのまま打ち明けること)と言うのは間違いではないだろうが。
「う、うん、というかね、貴方は見た目に反して性格がとても、アレよね」
そうだそうだ、内面がイケメンなスライムとか誰得だよ!
と言う言葉を発している騒がしい吾輩ではない吾輩の言葉をとりあえずスルーするとして、性格がアレと言われても吾輩は生まれた時からこのような性格なのでな、そのあたりは吾輩にはどうしようもない。もし不快にさせているのならば謝罪させていただこう。
「そ、そういう訳じゃないのよね。どっちかって言うとわたしは、……あ、そ、そうだ。今日は日課の散歩は行かなくてもいいのかしら!」
む、そう言えば日が昇ってからもうしばらく経っている。確かにそろそろ散歩に出かけてもいいかもしれない。まあ、歩くわけではないのだがね!
「前々から思ってたけど、その自虐ネタ虚しくないの?」
……面白いと、思っていたのだが。成程、これがおやじギャクを子供に言った時の空気というやつか。
なんというか、芯だけが凍るような寒さを感じている。聞いた方がではなく、言った方がと言うのが悲しいところだが。
ま、まあ、気にすることはない。さて、今日も楽しく散歩をするとしよう。───別に逃げているわけではない、ちょっとした傷心旅行に洒落込もうと思っただけだ。