プランジ・フォーワード
イタリアから香港へと向かう機内は、静かだった。
誰一人として言葉を発することなく、腕を組み睡眠をとる者、窓の外をぼんやりと見遣る者、音楽を聴くも者。各々がそれぞれの時間を過ごしていた。互いに誰とも敢えて関わることなく。
アイリはと言うと、いくつかの新聞を購入し広げて読んでいた。
そのうちの大半は、アイシャ・ムニル・ルクサーナ氏演説中にテロと言う記事が大きく取り上げられていた。そして、フランスの新聞にはフランス大手重工企業の令嬢がテロに巻き込まれ死亡――続けてそう書かれていた。
その記事をさっと目を通すと、違う新聞を手に取った。
少し目を通していると小さく、日本企業の功績により海賊被害ゼロ。ジブチ政府が勲章授与、と言う記事に目を通していた。そこには、日本の飲食チェーン店が海賊に支援をすることで、マグロ漁と言う仕事を与えることで、海賊被害をゼロにしていると言う記事だった。
「ゼロねえ……」
アイリは小さくそう呟くと、海賊行為を行っていた数少ない一人であるハマドゥ・アッバスの事を思い出していた。
ここで言うところの海賊被害と言うのは、海賊行為が行われていないと言うことでは無く、実質的に海賊の利益に繋がる行為が無かった、若しくわ無いに等しいくらい少なくなったと言う話だ。
事実、アイリは海賊行為に遭遇していた。
しかし、それでもすぐに対処することが出来たのは、事実としてここ数年の間、海賊行為を行っていると言う人間自体が激減していたからだった。その為、事前に海賊行為をしてくる可能性がある者を、極めて狭く絞ることが出来たのだ。
ニナとの物語の始まりとなったジブチは、アイリにとっても感慨深いものがあった。
そして、そんなニナはと言うと――。
▶ ▶ ▶
「それじゃあ、会ったばかりだけどお別れだね。バイバイ、ニナ・エカテリーナ」
そう別れを告げた次の瞬間、クロエの弾丸はニナへと向かって発砲される。ニナが瞑っていた目を開けると、そこに広がるのは真っ赤な光景。自分の上に覆い被さるようにシャルルが朱に染まり、そして――死んだ。
自分の性で、シャルルと言う大切な仲間を失った。
最後に交わした言葉が何だったのか――それさえ思い出すことが出来なかった。それくらいあっという間の出来事だった。腕の中で横たわるシャルルは、まだ温かい。それもそのはずだ、今しがたまで生きていたのだから。
すると、唐突にシャルルの目が開く。
「え……?」
「絶対に許さない。私は、ニナを絶対に許さない」
ニナの腕から頭部を打ち抜かれたシャルルはするりと抜け落ち、床へと叩き付けられる。そして、死んだはずのシャルルは立ち上がる。
「嫌……」
思わずニナは、後ずさる。
「私の代わりにニナが死ねば良かったのよ」
シャルルは、そう言いニナへと銃口を向け、弾き金へと指を掛ける。
「嫌……、嫌……」
ニナは、うずくまる様にして頭を抱える。
「でも、もう無理だからせめて、一緒に連れて行ってあげるよ」
そして、シャルルの指は弾き金を引いた。
▶ ▶ ▶
「嫌ああああああああああああああああああああッ!」
そして、ニナはそれが夢だったとその時、気が付かされた。
「大丈夫か、ニナ?」
アイリのその問い掛けに、小さく頷くだけだった。ニナは、シャルルが亡くなってから一度も口を開くことなく――そして、どこか遠くを見るような瞳で俯いていた。
自分の命は自分で守ると言うことが当たり前だったニナにとって、誰かに守られると言う行為で、失うものが在ると言うことを――知らなかったのだ。それは、当たり前のことだった。しかし、ニナは分からなかったのだ。
そんな当たり前のことさえも。
そして、同時に考えずにはいられないことがあった。それは、自分がこれまで奪ってきた命だ。殺さなければ、殺される。それが戦場の掟だ。だから、殺される前に殺すと言う行為は、息を吸うのと同じくらい当然のことだった。
人を殺めるという行為をする者の誰しもが通る道であった。
だから、ニナへと声を誰も掛けられないでいた。
そもそも、オルガ商会のメンバーはいつかは仲間の誰かがこうなることは理解していた。アイリの野望には敵があまりに多過ぎるのだ。アイリが、一体どんな野望を叶える為に自分たちの命を賭しているのか皆は知らない。しかし、それでも付いて行くのは、アイリに自分の命を捧げるだけの価値があると判断しているからだ。
だから、直前まで作戦を何も聞かずとも、誰もアイリへと聞く者は居ない。
そして、相手に銃を向けると言うことの意味をニナは理解出来ていなかった。銃を向けると言うことは即ち、相手からも撃たれる覚悟を持たなければならないのだ。しかし、ニナにはその覚悟が圧倒的に足りていなかった。それは、ニナがあまりに幼いと言うこと以上に、人を殺すという行為に意味を考えたことが無かったからだ。
もしかすると、ニナはもう元には戻らないかもしれない――アイリはそんな事も考えていた。
しかし、ニナの為に時間を無駄にする訳にはいかないアイリは、突き進むしかなかった。自分の野望を叶える為――そして、命を賭してくれたシャルルの為にも。
飛行機は間もなく、次なる舞台である香港へ到着しようとしていた。




