ドント・ハブ
ニナが瞑っていた目を開けると、そこに広がるのは真っ赤な光景であった。しかし、それが自分の血では無いことを直ぐに悟った。自分の上に覆い被さっているシャルルが朱に染まっていたからだ。
「シャルル……? シャルルッ!」
ニナは、目の前で一体何が起きたのか――それを一瞬で理解した。そう、自分をシャルルが庇い、クロエの弾丸によって代わりに打ち抜かれたのだと。
「あらら、狙いとは違ったけど、結果オーライ。いや、当初の計画通り、とでも言うべきかな」
クロエは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「でも、これでもう次は無くなったよ。ニナ・エカテリーナ」
クロエの銃口の照準は、確実にニナを捉えていた。
「じゃあ、これで本当のお別れ――」
その時のことだった。
激しい爆発と共に、モンテチトーリオ宮殿全体が揺れるのを感じる。何者かが爆発物を仕掛けたのか、それともデモ隊がモンテチトーリオ宮殿を襲撃したのか――しかし、この混乱はクロエにとって好機であった。
「想定外な事が起きっちゃって、興が殺がれたね。ニナ・エカテリーナ、君の命は預けておくことにするよ」
「待てっ!」
ニナは、クロエを止めようとする。
「そう死に急ぐものじゃないよ。君は、戦場から離れられることが出来ない。そう言う宿命を、幼くしてもう背負ってしまっているのさ。私や君の御主人の――アイリ・オルガのようにね」
「……」
ニナは、否定をしたかった。
しかし、クロエのその言葉を否定することが出来なかった。戦場から離れることが出来ない宿命――ニナは、その言葉が心の奥底にストンと落ちていくのを感じてしまっていたからだ。
「君は強い。いつかきっと、私よりも強くなるかもしないね。だけどさ――」
クロエは、虚ろな瞳をニナへと向ける。
「君は一体、何の為に強くなるんだい? どうして、生きようとするんだい?」
別に、戦場を生きがいとしてきた訳では無かった。ただ、戦争が自分にとって、生きる為に必要なことだったと言うだけだった。だから、生きる為には死なない術を身に付けるしかなかった。
それだけのことだった。
それだけのことなのだが、クロエのその問い掛けに――しかし、答えることが出来ない。別段、生に執着している訳では無い自分が、何の為に死から抗っているのか、と言うその簡単な問い掛けに。
「さて、もう時間だ。じゃあね、ニナ・エカテリーナ」
その場から離れるクロエを追おうと起き上がろうとした時に、ニナはシャルルが自分の上に覆い被さり身代わりになってくれたことを思い出したのだ。逆を言えば、それまで記憶の片鱗にもいなかった。
シャルルの体をゆっくりと起こし、ニナは懸命に呼び掛ける。
「シャルルっ! シャルルっ!!」
しかし、その声に返事は無い。ニナは、シャルルの首元を抑え、鼓動を感じようとするが、指先には反応が無い。
「シャル……ル?」
▶ ▶ ▶
ホテル付近で停止したタクシー内に、アイリはまだ待機していた。
「繰り返します。今、モンテチトーリオ宮殿から激しい爆破音と共に、煙が上がっているのが確認できます。本日、アイシャ・ムニル・ルクサーナ氏による演説が行われており、妨害を狙ったものではないかと思われます――」
ラジオからは、慌ただしい口調でリポーターが状況を伝えている。そのリポートを聞き、確認し終えると、ようやくタクシーの運転手に賃金を支払い、降車した。
そして、アイリは連絡を入れる。
「宮殿内に残っている人達の退路は、ちゃんと確保してあるな?」
「勿論です」
「上出来だ、ヤン」
次に連絡を入れたのは、ノアだった。
「クロエは車を使ったか?」
「……混乱に乗じて」
「よろしい」
アイリは深呼吸をし、瞼を閉じる。そして、再び開いた時その眼は――獲物を見据える鷹の如く鋭い眼をドン・ボルサリーノこと、カスト・アルトゥーロの入って行ったホテルを見遣っていた。
▶ ▶ ▶
「これが、アイリ・オルガの渡航履歴です」
ホテル最上階、VIPルームにはカスト・アルトゥーロとその秘書シルヴィア・カタリーナが居た。
「調べてみれば、奴の足掛かりになると思ったが。奴が、足跡が残るような真似をするはずも無いか。しかし、まあそれもどうでも良いことだがな」
アルトゥーロはそう言い、テレビを見遣る。
「派手に、やらかしてくれたじゃねえか。ここまでやれとは言ってねえのによ。俺は、てっきりもっと要領良く仕事する奴だと思っていたんだがな」
アルトゥーロは、ホテルのテレビでクロエの仕事ぶりを観察していた。
「いや、あの爆発はうちでやらさせて貰ったものだよ」
扉が開かれ現れたのは、アイリだった。
一瞬、アルトゥーロの顔が強張る。
「なんだ、クロエが始末したはずじゃないのか――とでも、言いたげな顔なのかしらね」
アイリは心を読み取るかのように、嫌味気を含みそう言う。
「つまり、アイツは失敗したってことか」
アルトゥーロは、隠す気も無くそう言った。
「ドン・ボルサリーノがこんなにも面倒臭いをしてこなければ、我々は何もする気は無かったのだがね。しかし、誰を相手にしているか――今一度、分からせる必要があると認識してね」
「手前、誰に口聞いてやがる?」
アイリの態度に、アルトゥーロは苛立ちを隠せないでいた。
「お前だよ」
アイリは、アルトゥーロに凄みを利かせる。
「ククク、ハッハハハハハ」
しかし、アルトゥーロはアイリその言葉に失笑する。そして、懐から銃を取り出し、アイリの額に銃口を向ける。
「笑わせるんじゃねえ。銃も持てねえ奴が生意気な口を利いてくれるじゃねえか? あまり、俺を怒らせるな。お前は俺を殺すことが出来ねえが、俺はお前をこの場で殺す事が出来る」
「私がいつ銃を持てないと言ったかね?」
アイリは不敵に笑みを浮かべる。
「勘違いをするな。私は銃を持っている。しかし、あなたの言うところの銃では無いだけ」
「何を言ってやがる。遂に、頭までイカれたか? まさか、あの玩具の銃のことを言っているんじゃねえだろうな?」
アルトゥーロは、ニナの事を茶化しながらそう言う。
「あれも、私の銃に違いない。だが、しかし――私の銃は少しばかり規格外でね、持ち合わせることが出来ないのだよ」
「そんな物、無えのと同じ事だろう」
アルトゥーロは馬鹿にするかのように言う。
「いい加減、気付いて貰いたいものだな」
しかし、アイリはその発言を嘲笑うかのように言い返した。
「何?」
「私がわざわざ銃を持たずにして、ドン・ボルサリーノ――いや、カスト・アルトゥーロ、お前の頭に銃口を突き付けていることにな」
アイリは右手で銃の形を作り、人差し指をアルトゥーロへと向けたのだった。




