ワン・ハンドレッド・ワン
寂し気なアイリの後ろ姿を悟ってか、ニナはそっと手を伸ばした。突然指し延ばされたその手に、驚き手を引っ込めそうになったが、ニナだと気付き手を繋ぎ直し、その表情をいつもの顔へと変えた。
「もしかして、私に何か聞きたい事があるんじゃないかな、ニナ?」
「アイリが言わないことには、聞かない約束だから」
「そう、そうね。そうだった」
アイリには、分かっていた。
今回のチャールズの暗殺が、自分達の犯行であることがニナに気付かれていると言うことを――だからこそ、ニナもアイリへ何も聞かなかったと言うことも。
「それなら、私から一つニナ隊員に質問をしよう」
「質問?」
「そう。あるところに、乗員乗客合計101人が乗船した船がありました。しかし、運悪く座礁してしまい、これ以上の航海は不可能です。そこで、偶然にも積載されていた二隻の船に50人と51人とに分けることになりましたが、その船には漕ぐための道具まではありませんでした。だから、救助を待つことになったわけですが、次第に天候が荒れ始めこのままでは非常に危険な状況です。そんな時に、あなたの船が偶然にも通り掛かりました。さあ、どうする?」
「どう?」
ニナは、余りに漠然としたその質問に困惑していた。
「率直に思ったことを言えば良いのだよ、ニナ隊員……じゃなくて、この場合はニナ船長か」
そう言い、アイリはシシシシッとおどけた表情を浮かべていた。
「……助ける?」
ニナは、首を傾げながらもそう答えた。
「なるほど。では、ニナ船長は二隻の船を救助しようと試みます。しかーし、ニナ船長の船が牽引出来るのはどちらか一隻だけです。50人の船には政治家や弁護士といった富裕層が乗っています。一方、51人の船にはお世辞にも収入の多いとは言えない貧民層が乗っています。常識的に考えれば、富裕層の船を救助すれば、得られる報酬も期待出来るでしょう。しかし、貧民層を助けたところで、得られる報酬は期待出来そうにありません。では、どちらを助けるべきでしょうか?」
その質問は、最低でも50人を見殺しにしなければならない――言わば、命を天秤に掛けたものだった。最悪、どちらを助けようと悩んでどちらも助けることが出来なければ、101人全員見殺しにすることになる。
ニナは、少しばかし考えてはみたものの、その質問の答えは見つけられなかった。しかし、それこそがアイリが今のニナに求めていたものだった。
「どうやら、分からないようね。でも、それで構わないのだよ。今は、それで」
アイリが付け足すように言った言葉は、どこか重く――そして、物憂いような。そんな感じをニナは、感じていた。
「これは、あくまで質問であって、問題じゃないのだよ。だから、別に正解があるわけじゃない。あるのは、道念や欲念、絶念のような道徳的なものなのよ。そんなものをニナみたいな小さくて可愛い子供に答えられるわけないと言うか、答えられるべきではないのだよ」
アイリは、そう少し回り諄く言った。
「アイリなら――」
そう言い掛けた口をニナは紡ぐ。言わないことには、聞かない約束だからだ。
しかし、察したアイリは自分から口にする。
「私なら、51人を救助する」
「どうして?」
「それは、単純に救出する人間が多いからよ。はっきり言って、同じ状況なら、政治家だろうが弁護士だろうがそんなものは関係ない。命の掛かった人間は、どんなことだってする――それは、金持ちだろうが貧乏人だろうが同じなのよ。だから私は、最小限の50人の命を切り捨てて、最大限の51人の命を救助するわ」
そして、その話を聞いてニナは理解した。
アイリがチャールズを暗殺したその理由が、今まで北アイルランドの紛争で亡くなった命にチャールズの命を加えた被害者数が、現状における最小限の被害であると判断したのだと。
しかし、果たしてそれが正しいことなのか――それがニナには分からなかった。だからこそ、子供が答えられるべきでないとアイリは言ったのかもしれない。
それなら、アイリはこれまでどれだけの選択を迫られ、最小限とは言えどれだけの犠牲を出してきたのだろうか――そんなことを考え始めたら、ニナの頭の中の世界は目まぐるしく回り始めた。
「はい、この話はお終い。今、この話を考えたところで、あまり意味はないからね。ゆっくり、考えるのだよ。いつか、自分で考えて出したその答えを楽しみにしているよ、ニナ隊員」
そして、また一つニナはアイリのことを知り、また一つ苦しみを知ったのだった。




