その1
灼熱の太陽が頭上にあった。
おれは、スーツの上着を手に、新しい顧客を求めてM社に向かっていた。額の汗はハンカチで拭いても、拭いても吹きだした。
おれは、このクソ暑いのにスーツを着なければならないのだ。
この季節、この時代、いくら新規顧客をスーツで訪問する必要はないとおれは思うが、社長が「クールビズでは相手先に失礼だ。どんなに暑くてもスーツで行け!」と言った。
なんと、アナクロ!
だが、おれも女房、子持ちの悲しい宮使えの身であり、それに従うしかなかった。
おれは、M社の事務室の片隅の形ばかりの応接セットに案内された。
「Dの宮下です」おれはそう言い、おれより十歳は若い男に頭を下げた。
“ボタ・ボタ・・・”おれの額から汗が、机の上に落ちた。おれは慌てて、それを手で拭いた。
「大変ですね!?」若い男は、口元に嘲笑を浮かべ言った。「麦茶を頼みましょう!」
結果は明らかだった・・・。
おれがM社を出ると、来る時よりさらに強烈な太陽がおれをいじめた。
額の汗がハンカチで拭いても、拭いても吹きだした。それはまるで、無尽蔵のよう後から後から吹きだした。
それで、M社のお情けの麦茶の効能は消え、喉が渇きを覚えた・・・。
おれは数日後のニ十ニ日が“、皆既日食”(おれが住んでいる所では部分日食だが)だった事を思い出し、“ちらり”と太陽を見上げ思わず呟いた。
「誰か、おれがいるところをずうっと“皆既日食”にしてくれ!」
もちろん冗談で言ったのだが、誰かに聞かれたような気がした・・・。
でも、そんな事はすぐに忘れた。
その日、おれが残業を終え会社を出たのは夜十時を過ぎていた。
会社の駐車場は真っ暗だった。
“経費節減”のため駐車場の外灯は、九時には暗くなっていた。あいにく、その日、空には月も星もなく真っ暗だった。
おれはお腹が空いていたし(おれは家での晩酌のために、まだ何も食べていなかった)、ほとんど駆け足で自分の車に向かった。
そして、したたか前のめりに転んだ。車止めにつまずいたのだ。
道は真っ暗な水田の中を、真っすぐに伸びていた。
おれは引っ越ししたばかりで、まだ、その道に慣れていなかった。その上、おれは空腹で、先ほどしたたかに転び手や脛が痛く、不機嫌だった。
おれは不慣れな、街灯一つない真っ暗な道で、アクセルを踏み込んだ。
途端、道が大きく右にカーブしていた。
おれは、もう少しで水田にダイブするところだった・・・。
それから後は、おれは(大げさに言えば)幼稚園児の三輪車に追い越されるのではないかと思うほどゆっくりと自宅に向かった。