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銀行でお金をおろしたオーブリーは、全額そのままを、リリアンに渡した。
リリアンが「ありがとう!」と、とびきりの笑顔になる。ドキッとしながらも、オーブリーの表情が、不安そうにかげる。
「前の旦那さんが借金していたところに、直接返しに行くんだよね? やっぱり、ぼくも着いていくよ」
「ううん、平気。それにあの人、複数に借金してたから、たくさん回らないといけないの。あなたには大切な仕事があるんだから、早く戻ってあげて。従業員たちも、きっと会長であるあなたがいなくて困っているはずよ」
「……そうかもしれないけど」
「あたしは大丈夫だから。終わったら、すぐにあなたのところに行くね」
「……わかったよ。そしたら、一緒に昼食を食べよう」
「楽しみ。じゃあ、行ってくるわ」
手をふり、笑顔で駆け出していくリリアンの背が見えなくなるまで見送ったあと、オーブリーは仕事場へと足を向けた。
(……確かに。会長であるぼくがいないと、仕事はまわらないからな。それに、ナタリアがしていた仕事も、みんなに振り分けないと。いきなりリリアンに任せるわけにはいかないし)
愛する人を手に入れた代償に、これから忙しくなりそうだ。
オーブリーは澄んだ青空を仰ぎ、やれやれと嬉しそうにため息をついた。
仕事場に戻ると、いつも活気に溢れ、ときには笑い声さえ聞こえてきた職場が、静まり返っていた。
リリアンがいる前では格好をつけていたが、性根が小心者のオーブリーは、あまりにも違い過ぎる空気に、思わず息を吞んでいた。
オーブリーが帰ってきたことに気付いた者もいたようだが、なにも反応を示さない。いつもなら、お帰りなさいませ、と声をかけてくれていたのに。
「あ、あの。いま、戻ったよ」
か細く、消え入りそうな声量で呟く。一人の若い女性従業員が、くるりとこちらを向いた。
「彼、言われた通り出て行きましたよ」
はっとして見渡すと、解雇を言い渡した若い男性従業員の姿はなかった。
「そ、そうか。でも、ストーカーなんてしていたんだから、仕方ないよね」
「彼はそんなことしていないって主張していましたけど」
「ストーカーが、ストーカーしてましたなんて、素直に認めると思う?」
「彼は二年。この商会で真面目に仕事に向き合ってきました。その姿から、なにも感じることはなかったのですか? せめて話ぐらい、聞いてあげるべきだったのではないですか?」
あまりに必死に庇う姿に、オーブリーはぴんときてしまった。
「……そうか。きみ、彼のことが好きだったのか」
「は?」
「だからそんな必死に……でも、彼はストーカーだ。残念だけど、良かったじゃないか。リリアンのおかげで、その正体がわかったんだから」
カラカラと笑うオーブリーを、若い女性従業員は射抜くように睨み付けた。
「……私、辞めます」
俯きながらぽそっと呟かれた言葉が聞き取れなくて、オーブリーは「なに?」と聞き返した。若い女性従業員は顔を上げ、今度ははっきり告げた。
「私、本日をもって、このお仕事を辞めさせていただきます」
「…………えっ?!」
若い女性従業員の発言よりも、なんで、という表情で狼狽えるオーブリーに、違う意味で驚愕する他の従業員たち。
「待ってよ。そんな簡単に……引き継ぎもなしに辞めるなんて、あまりに責任がなさすぎるよ」
若い女性従業員は「責任?」と、じろりとオーブリーを見上げた。
「私、奥様が大好きでした。もちろん、突然現れて、いきなり偉そうにしてきたほうの方ではありません。ナタリア様のことです」
悔しそうに、若い女性従業員は続けた。
「はじめて働くことになって、右も左もわからない私に、ナタリア様はとても優しく接してくださっていました。どこか他の方とは違う、品の良さがあるなと思っていたら、元貴族令嬢だったというではありませんか。私、ナタリア様という方に出会えて、貴族の印象が大きく変わったんです」
それに他の従業員たちが、同調するように頷く。オーブリーも、否定はしない。その通りだと思ったから。
「……元気がない私に誰より早く気付いて、声をかけてくれて……相談にのってもらったことも、何度もあります」
「……そう、だったんだ」
初耳だったオーブリーは、目を丸くした。見渡せば、他の従業員たちの何人かの、私も、ぼくも、との呟きが聞こえてきた。
「……そんな人を傷付け、あっさり捨てる会長に、責任がどうのと言われたくありません」
ぐすっ。
鼻を啜る若い女性従業員に、オーブリーはもう、なにも言い返すことはできなかった。
「……わかった。もう、止めない」
オーブリーの台詞に、若い女性従業員は「お世話になりました」と頭を下げ、去って行った。
水を打ったように静まり返る仕事場。オーブリーはそれを打ち破るように、こぶしを強く握ってから、従業員たちに告げた。
「しばらくの間、ナタリアが担当していた仕事を、みんなで分担してやってもらいたい。もちろん、リリアンには早急に、ナタリアが行っていた仕事を覚えてもらうから、安心して。リリアンはナタリアと違って浮世離れした貴族令嬢じゃないから、ナタリアよりもずっと、仕事を覚えるのは早いと思う」
しん。返事はない。オーブリーは内心慌てていたが、悟られまいとつとめて明るい口調で続けた。
「見てもらったとおり、リリアンは絶世の美女だ。これまでよりきっと、リリアン目当てに客も増えて、忙しくなるよ。頑張ろう」
「……本当に、そう思いますか?」
低い声色で発言したのは、オーブリーの父親が会長をしていたころ、右腕と評されていたほどの男だ。いまでも彼の知識や経験は、商会になくてはならないものとなっている。
「思ってるよ。誰だって、美人がいいに決まってる。男ならなおさら」
「顔だけで売り上げが伸びると?」
「か、可能性はあるだろ?!」
そうですか。
男性従業員はそのまま、口をつぐんだ。




