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リリアンがまとめた荷物をオーブリーが持ち、さきほどまでナタリアと過ごしていた屋敷に向かう。
「あの、オーブリー。お金のことなんだけど……いつ、用意できるかしら」
そわそわと、言いにくそうに訊ねるリリアンに、オーブリーが笑う。
「大丈夫。明日中には、用意できるよ」
ぱっと。リリアンの表情が、花が咲いたように明るくなった。
「ほ、ほんと? そんなに早く?」
「うん。ぼくの個人資産ぜんぶで、なんとかなりそうだから」
「! すごいわ、オーブリー。でも、ごめんね。あたし、頑張って働いて、絶対全部返すから!」
「ぼくたちは近いうちに夫婦になるんだから。返すとか、返さないとかないよ」
「……あなたって、本当に優しいのね。前の夫とは大違い……」
リリアンがそっとオーブリーの腕に自身の手を添えた。ドキリとするオーブリーの顔を見上げ、ふふ、と頬を緩める。
「お屋敷は、もうすぐ?」
「う、うん。ほら、見えてきたよ」
指差す方向に、二階建ての屋敷があった。リリアンが、ほお、と息をつく。
「……あたし、今日からここに住めるんだ」
「そうだよ。ナタリアが使っていた部屋はそのままだから、寝台も使えるし」
「あら。一緒に寝ないの?」
熱っぽい眼差しに、オーブリーの頬が赤くなる。
「……まだ、心の準備が」
「そうなの? ざーんねん」
リリアンが駆け出し、屋敷に向かう。その背を、オーブリーは嬉しそうに追いかけた。
玄関の鍵を開け、リリアンに、どうぞ、とオーブリーが腰を折る。リリアンはご機嫌で屋敷に入ったが、ふと、なにやらキョロキョロとしたかと思えば「使用人はいないの?」と、首を傾げた。
「いないよ? ぼくの家は、貴族ってわけじゃないし」
「そうなんだ。お金持ちだから、てっきり何人もいるのかと思っちゃった」
なんだかがっかりしているリリアンに、オーブリーが慌てる。
「お金がないとかじゃなくて。父さんの……というより、代々、余計な出費は控えて、できることは自分たちでやる、みたいな家訓が家にはあって」
「そっか。堅実なお家で育ったあなただから、個人資産がたくさんあったんだもんね」
「そうだね。ぼくの家は、節約第一だし」
「へえ。前の奥さん、貴族令嬢だったんでしょ? さぞかし文句たらたらだったんじゃない?」
「? それは特になかったかなあ。まあ、貴族と平民の暮らしは違うから、最初はいろいろ戸惑っていたみたいだけど」
「やっぱり。オーブリーも、大変だったでしょう。貴族令嬢なんて、気位高そうだものね」
気位が高い、と感じたことはなかったが、やけに断定的な口調のリリアンに逆らって嫌われるのは嫌だったので、うん、と頷いてみせた。
「お父さんから言われて仕方なくって……商人の息子も辛いね。好きでもない人と結婚しなくちゃいけないなんて」
「まあ、ね。でも……こんな言い方はあれだけど、その父さんが亡くなっているからこそ、ナタリアと離縁できたんだ。生きてたら、絶対に許してくれなかったと思う」
「お母さんは?」
「母さんは、旅行中なんだ。明日の夕刻ぐらいに、帰宅する予定だよ」
「……お母さんには、反対されないの?」
大丈夫。オーブリーが腰に手を当て、自信満々に言い切る。
「母さんはね。ナタリアのこと、嫌っていたから。なんだか見下されて、馬鹿にされている気がして腹が立つって、父さんが亡くなってからよく愚痴るようになって」
「ナタリアさんって、酷い人だったのね。いくら貴族令嬢だからって、お義母さんに対してそんな態度とるなんて」
「いや? 少なくともぼくが見ている限りでは、ただの母さんの被害妄想だったと思うよ。父さんがいなくなってからとたんに愚痴りはじめたのは、万が一にも父さんの耳に入るのが怖かったからだと思うけど」
「馬鹿ね。あなたのいないところで、お義母さんに嫌味を言ってたのよ、きっと」
「そうかなあ……」
「人の裏を見るのが下手なのね。でもいまは、あなたがビアンコ商会の会長なのよね?」
大丈夫なの、という目線を向けられ、オーブリーは少し、ムッとした。
「ぼくが会長になってから、商会の売り上げは伸びたんだ。貴族相手の取り引きも格段に増えたし。だから、たとえば母さんがきみとの結婚を反対したとしても、なんにも怖くないんだ。だってこの商会は、ぼくが仕切っているんだから。追い出されるとしたら、母さんの方だよ」
そうなの。リリアンは、ほっとしたように息をついた。
「とても納得がいったわ。あなたって、やっぱりすごい人なのね。安心したら、なんだかお腹が空いてきちゃった」
「ああ、もうこんな時間か。そうだね、ぼくも興奮して忘れてたけど、お腹が空いてたみたい」
当たり前のように、食堂に向かうオーブリー。扉を開け、テーブルの上になにも用意されていないことに違和感を覚えた。
(あ、そっか。いつも、ナタリアがご飯を作っていてくれたから)
食料庫を確認すると、きちんと今日の分の食材は用意されていた。
「なにを作ってくれるの?」
一緒に着いてきていたリリアンが、目をキラキラさせている。えと。オーブリーが戸惑う。
「……ぼく、あんまり料理したことなくて」
料理は女の仕事。というビアンコ家の方針から、調理場に立ったことがない旨を説明すると、リリアンは若干呆れていた。
「あの。ここにあるもの好きに使っていいから、なにか作ってくれないかな」
オーブリーの提案に、リリアンが口ごもる。
「……あたし、料理苦手」
「そ、そっか。うん。ナタリアも料理なんてしたことなかったけど、すぐに覚えて上手くなったから、大丈夫だよ。今日は、外食にしようか」
「ほんと?! あたし、前から行ってみたいお店があったの!」
「じゃあ、そこに行こう」
ルンルンと出掛けたその店は、貴族すら訪れることで有名な、高級レストランだった。青い顔で、ごめん無理、と呟くオーブリーに、リリアンはあからさまに肩を落とした。
「……わがまま言って、ごめんね。なんかあたし、浮かれちゃってて」
「う、浮かれてるのはぼくも同じだよ。でも、やっぱり……贅沢する余裕はないかな」
「そうだよね。あたしのために、オーブリーの貯金、なくなるんだもん……他の貯金は、あるんだよね?」
「え?」
「お父さんの遺産とか、お母さんの貯金とか。たくさんあるんでしょ?」
「た、たくさんはないよ」
「よかった。じゃあ、少しはあるのね」
「う、うん」
個人資産とは言ったが、実のところ、それには父親の遺産も含まれている。だからもう、貯金はほとんどないに等しい。
(……母さんも、父さんの遺産を使って買い物とか旅行とかしまくってるし……)
ふと、不安が過ったオーブリーに、リリアンが明るく話しかける。
「あたし、安くて美味しい居酒屋知ってるの。そこに行きましょ?」
「……うん!」
やはり、長年街で暮らしていただけあって、リリアンは顔も広いし、その手の情報に詳しい。それはきっと、新商品のアイデアにも繋がるだろう。
(ナタリアは貴族令嬢だったから、やっぱりどうしても、庶民目線じゃなかったんだよな。その代わり、貴族のこと、たくさん学ばせてもらったけど)
そうか。もう、気軽に貴族のことについて聞ける相手はいないのか。今さらながらに気付いたオーブリーだったが、早く早くと初恋の相手に可愛く促され、鼻の下を伸ばしながら、待ってよ、とオーブリーは足取りを軽くした。




