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「あなたは、その愚痴になんて答えていたの?」
「ナ、ナタリアはそんなことしないって、いつも注意してたよ!」
「──あなたがあの母親に意見しているところなんて、見たことなかったけど……嫌われていたから、無視されていたのね。ちょっとスッキリしたわ。見下した覚えはなかったけどね」
「も、もちろんだよ。ナタリアがそんな、見下すなんてしないって、ぼくが一番理解してた。仕事も家事も、いつも一生懸命してくれて……いまになって、それがどれほど大変だったか、ありがたかったか、すごくよくわかった。だからきみを失いたくなくてっ」
「わたしがあなたに離縁してくれと告げられたとき、どれほど哀しくて惨めだったか、想像できる? 仮になにもかもうまくいっていたら、あなたはわたしのことなんて、思い出しもしなかった。うまくいかなくなったからやり直そうなんて、虫が良すぎるのよ」
正論過ぎて、オーブリーが押し黙る。それでも縋ろうするオーブリーに、ナタリアは背を向けた。
「わたし、いま、幸せなの。もう邪魔しないで。さよなら」
馬車に乗り込むナタリアに、待って、と必死に声を裏返してオーブリーが叫ぶ。門番の一人に取り押さえられ、走っていく馬車を見送ることしかできなくて、オーブリーは絶望から、ぽたぽたと地面に大量の涙を落とした。
しばらくして。アパートに戻ると、リリアンが帰ってきていた。どこに行っていたのと自分のことは棚に上げて怒るリリアンに、オーブリーは「……お金を返して」と、手を差し出した。
リリアンが、キョトンとする。
「あるわけないじゃない。ぜんぶ、借金してたとこに返したんだから」
「……自分で作った慰謝料だろ」
リリアンは数秒押し黙ったが、やがて開き直ったように、そうよ、と薄く笑った。
「だからなに? どっちにしろ、お金はもうないわ。あなたの稼ぎが悪いから、貯金もないし」
「……お前のせいで、ぼくはなにもかも失ってしまった」
「知らないわよ。ぜんぶ、あんたが選んだことでしょ? 気に入らないなら、出てけば?」
オーブリーは、お前になんか再会しなきゃよかった、と項垂れ、背を向けた。昨日のうちに荷物は仕事場に移しておいたから、なにも持っていく物はない。リリアンは焦ることも呼び止めることもせず、椅子に座り直し、ただ、日常のように紅茶を吞んでいた。
「……哀しくて、惨めか……いまならきみの気持ち、わかる気がするよ」
苦笑しながら、オーブリーはアパートを後にした。
かつて。
街で一、二を争うほど大きな商会だったビアンコ商会は見る影もなく。いまは倒産するか、しないかという、ギリギリのところでもがいていた。
リリアンは懲りず、既婚者の男と不貞行為を繰り返し、また慰謝料を請求されていた。また都合よく、代わりに慰謝料を払ってくれる男が現れるだろうと、なぜか信じて疑っていなかったリリアン。しかし、そんな馬鹿で都合のいい男がそうそういるわけもなく。
オーブリーの仕事場を訪れ、泣き落としをしたが、オーブリーは相手にせず。そもそもお前のせいで貯金なんてないと怒鳴ると、リリアンは舌打ちをして、帰っていった。
その後、娼婦になったと風の噂で聞いた。
両親とナタリアと住んでいた屋敷は、いまはもう、別の誰かのものとなっている。屋敷を売り、大金を手にした母親がどこにいるのか、オーブリーは知らない。贅沢な暮らしが忘れられず、借金をしていたと耳にしたこともあったが、事実はわからないし、もはや、知ろうとも思わない。
──そして、一年後。
街中で。
幸せそうに、知らない男と並んで歩くナタリアを目撃したことがあった。節約家だったビアンコ家に合わせるように、ろくなものを身につけていなかったナタリア。けれどいまは、綺麗な服と装飾品に包まれ、誰がどうみても、立派な貴族令嬢で。
住む世界が違うと、思い知らされた。
「……ナタリアは、あんなに綺麗だったんだな」
どうして気付かなかったんだろう。悔やむばかりで、涙が溢れる。
幸せだったのに。ちゃんと愛され、満たされていたのに。これ以上ないほど深く傷付け、手放してしまった。
もはや、近付くことさえ叶わない遠い人となってしまったかつての妻は、オーブリーの存在さえ認知していないだろう。
その後。
身勝手な理由で妻を捨てたという事実はいつまでもつきまとい、ついにオーブリーは、再婚することもないまま、生涯を終えたという。
─おわり─




