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「──ごめん。ぼくと、別れてほしいんだ」
向かいの席に座る男──オーブリーは、頭を下げながらそう告げた。言われたナタリアは、意味がわからないというように、目を丸くしていた。
本当に、突然過ぎて。なんの前触れもなかったから、理解が追いついていない状況だった。
街で一、二を争うほど大きな商会、ビアンコ商会の跡継ぎであるオーブリーの元に嫁いで二年。告白もプロポーズも、オーブリーからされた。
貴族令嬢だったナタリアにとって、いわゆる平民の暮らしに、最初は戸惑うこともあったが、それでも優しいオーブリーたちに支えられ、この生活が当たり前になろうとしていたときのことだった。
オーブリーは、どちらかといえば容姿はそんなに優れてはいない。でも、とても優しくて、人柄も温厚だったから。ナタリアはそんなオーブリーに惹かれ、やがて、愛するようになった。
夫婦生活は、円満だった。喧嘩もほとんどすることなく。一年前に、義父が出先で事故死したときは、家族だけでなく従業員までも心から哀しんだが、オーブリーが跡を継ぎ、みなを精神的にも引っ張ってきた。ナタリアも、商人の妻として、家事と仕事を精一杯こなし、オーブリーを、商会を支えてきた。
「いつもありがとう」
そんなナタリアに、オーブリーは昨日も、そんな言葉をかけ、労ってくれていた。
仕事が休みだった今日。新商品のヒントになるものを街で探してくるよと言い、出掛けたオーブリー。
「わたしも一緒に行くわ」
そう言ったけれど。オーブリーは、駄目だよ、と小さく笑った。
「最近、頑張りすぎて寝不足なんだろ? 今日はもう、家事もなにもしなくていいから、ゆっくり休んで。夕食も、なにか買ってくるからさ」
「でも、それはあなたも同じじゃない」
「ぼくは頑丈にできてるから、平気。いいかい? ちゃんと休むんだよ」
今朝。優しい言葉を残して出掛けていった。なのに、夕刻に帰ってきたオーブリーは、とても神妙な顔をしていて。
出迎えたナタリアが、どうしたの、と訊ねると、オーブリーは覚悟を決めたように視線を交差させた。
「……とても大事な話があるんだ」
あまりに真剣な眼差しに、ナタリアは一瞬、固まってしまった。
「……なに?」
「立ち話もなんだから、応接室に行こう」
「……わ、かったわ」
嫌な予感がしながらも、ナタリアはオーブリーに従い、普段は商談に使っている応接室の椅子に座った。そうして放たれた台詞が、別れてほしい、だった。
兆候があれば、軽いパニックなど起こさなかっただろう。でもナタリアにとっては、まさに青天の霹靂で。
頭を下げたままのオーブリーを、呆然としたまま、しばらく見詰めることしかできなかった。
「……どう、して?」
やっと絞り出せた台詞が、それだった。オーブリーが顔を上げ、言い辛そうにではあるが、ゆっくり語りはじめた。
「貴族令嬢だったきみは知らないだろうけど、この街には、ぼくと同じ年の、マドンナのような存在の女の子がいて。名前は、リリアンって言うんだけど」
「……それで?」
「リリアンはね、本当に可愛くて。お人形さんみたいだった。ぼくみたいにさえない男にも、分け隔てなく優しくしてくれる、天使だったんだ」
大切な想い出を語るように、オーブリーはうっとりしていた。別れの理由を聞いているのに、この人はなにを言っているのだろう。ナタリアの口調が、それがなに、と強いものになる。慌てたオーブリーが、現実に引き戻されたように顔を引き締めた。
「ぼくは分不相応にも、ずっとリリアンが好きだった。でも、気持ちを伝えたことはなかった。ぼくなんか、相手にしてもらえると思ってなかったから。そうして彼女は、三年前、女の子に大人気だった男と結婚した。哀しいぐらいにお似合いでさ。ぐうの音もでなかったよ」
そんなことが聞きたいわけではない。パニックが徐々に収まり、代わりのように苛ついてきたナタリア。それに気付いているのか、いないのか。オーブリーはとたんに、それがね、と表情をぱっと明るくした。
「今日。街中で偶然、リリアンを見かけてさ。元気がなかったから、思い切って声をかけてみたんだ。そしたら、なんて言ったと思う?」
別れ話の最中だということを忘れたかのように、オーブリーは興奮気味にこう告げた。
「つい先日、離縁したって! そう言ったんだ!」
キラキラと光る瞳は、希望に満ちていた。




