第6章:補正区画
白い光が脳髄の奥で爆ぜた。
次の瞬間、レイは冷たい床の上で目を覚ました。
目蓋を開くと、天井がゆらゆらと歪んで見えた。
しばらく何が起きたのか分からず、身体を起こすまでに数十秒かかった。
「……ここ、どこだ……?」
湿った空気にかすかな薬品の匂いが混じっている。
見渡すと、薄い白色の壁で囲まれた狭い部屋だった。
窓はなく、壁には小さな通気口が一つだけ。
部屋の中央には、レイが倒れていた金属質の床が冷たく光っている。
ここは見覚えがない。
街の管理棟ではない。
そもそも、こんな部屋が街にあった記憶すらない。
レイはやっと立ち上がり、頭を押さえた。
意識を失う直前の記憶は、雨音と、あの声――
そして、見てはいけない“何か”の輪郭。
それ以上は思い出せなかった。
思い出そうとすると、頭の奥が刺すように痛む。
ふらつく足取りで壁に近づくと、壁面に埋め込まれた小さな端末が目に入った。
黒い画面に、白い文字が一行だけ浮かび上がっている。
《補正区画:完了率 92%》
補正区画?
補正率とは何を指している?
画面の横に、薄いスリットがあり、そこから紙が一枚滑り出した。
床に落ちたそれを拾い上げると、また見覚えのある文字が並んでいた。
《対象レイ:認知乱れ(過剰)
→ 一時隔離処理を実施
→ 記憶調整:進行中》
レイは息を呑む。
自分は“隔離”されていた――?
記憶調整? 何を勝手に?
紙を握りしめたが、その紙の端がわずかに震えていた。
自分の手ではなく、紙そのものが震えているように感じた。
「……ここから出ないと」
小さな部屋には扉が一つだけ。
恐る恐る近づいて手をかけると、思ったよりも簡単に開いた。
扉の向こうは長い白い廊下だった。
壁は滑らかで、光源のない明るさが均一に広がっている。
歩くたびに靴音が妙に遅れて響く。
まるで廊下自体が音を“考えてから返している”ような、不自然な遅延。
しばらく進むと、壁に貼られたパネルが目に留まった。
そこには街の地図のようなものが表示されている。
しかし、レイの知る街とは形が違っていた。
区画の一部が灰色で塗りつぶされ、こう表示されている。
《現在、認知補正作業中》
灰色の区画は、街の北側。
レイがいつも生活していたエリアだ。
だが――おかしい。
そこにあったはずの道も、建物も、記憶がぼんやりしている。
昨日まで普通に歩いていた通りの姿が思い出せない。
「……なんで……?」
記憶が霧に沈んでいく。
無理に思い出そうとすると、胸の奥がじんじんと熱を持つ。
そのとき、廊下の先で小さく音がした。
レイは反射的に振り向いた。
白い空間の向こうで、誰かの影が動いた気がした。
だが影は、光の中で形を結ばない。
ただ揺らいで、消える。
耳元で、あの声がした。
「……帰ってきてほしくなかったのに……」
レイは後ずさった。
声は優しい。
しかし、その優しさの奥に、強い拒絶を感じる。
「誰なんだ……!」
叫ぶと、廊下が一瞬だけ歪んだ。
まるで声が、“空間の構造に噛み合っていない”ように。
その歪みの中心に、淡い人影が滲み出てくる。
影は、人の形をしているようで、していなかった。
輪郭は流動的で、近づくほどに形と意味が崩れる。
だが、レイは気づいてしまった。
その影が立っている場所――
そこは、街の地図で灰色になっていた“補正中”の区画と一致している。
つまり、この影は――
街の“補正そのもの”だ。
影がわずかに首を傾けた。
その仕草だけは妙に人間的で、レイは身体が固まった。
「……どうして、抵抗するの……?」
声が、影の奥から直接響いてきた。
レイは震える声で答えた。
「ここが……俺の街だからだ……!」
その瞬間、影がびくりと揺れ、まるで息を呑むような間があった。
そして――
「あなたの街じゃないよ、レイ。
だって……あなたは最初から、ここにはいなかった。」
廊下の光が一斉に明滅し、視界が真白に弾けた。




