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救いのない小説  作者: Fall44


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第2章:消えた痕跡

 雨は一晩中降り続き、街を薄い膜のように覆っていた。

 明け方、レイは眠れぬまま、濡れた路地を歩いていた。

 理由は分からない。ただ、胸の奥のざわつきが収まらず、家にいるのが正解だと思えなかった。


 向かったのは、街の北端にある古いアパートだ。

 ここには、レイがこの街で唯一“話したことがある”と覚えている人が住んでいるはずだった。

 名前は……そこまで思い出しかけて、レイは眉をひそめた。


 ――なんだったっけ?


 思い出そうとすると、頭の奥で薄い膜のような靄がかかる。

 いやな感覚だ。言葉が喉まで来ているのに、つかめない。

 忘れるような相手だっただろうか。


 アパートに着いたのは、まだ朝の光が街に届かない時間だった。

 どの部屋の窓にも灯りはない。

 静かすぎる。ここだけ時間が止まっているようだった。


 レイは二階の奥にあるはずの部屋の扉に手を伸ばした。

 ノックするつもりで拳を軽く握ったが……止まった。

 理由はない。

 ただ、胸の内側から、やめろ、と声にならない何かが響いた。


 それでも扉を押してみた。

 鍵は、かかっていなかった。


 中は、驚くほど片づいていた。

 生活の匂いが何もない。

 家具があった場所だけ、四角く床が色濃く残っている。

 まるで、ここに“人がいたという証拠”だけを切り抜くように消した跡だ。


 レイの心がきゅっと縮まる。


 ――ここに住んでいたのは誰だ?


 部屋の中央に立ったまま、思い出そうとする。

 しかし、意識の奥に手を伸ばすほど、柔らかい拒絶のようなものが立ちふさがる。

 まるで、記憶そのものが抵抗しているかのように。


 「……嘘だろ」


 呟きは、薄暗い室内に吸い込まれて消えた。


 床に、一枚の紙片が落ちていた。

 拾い上げると、それは写真だった。

 写っているのはレイと、もう一人。

 だが、その人物の部分だけ、光が滲んだように白くぼやけている。

 顔も輪郭も、服装さえ残っていない。


 写真の中央が白い穴を空けたように“消えて”いた。


 手が震えた。


 「……おかしい。こんなの、知らないはずがない」


 誰だったのか。

 どんな声で、どんな歩き方で、どんな距離感で――

 記憶を探ろうとするたび、頭の奥で鈍い痛みが響く。


 そのとき。


 背後で、ピシ…と床の軋む音がした。


 レイは振り返れなかった。

 なぜなら、その音は部屋の外からではなく――

 自分の背中のすぐ数歩後ろから聞こえたからだ。


 誰もいないはずの空間。

 家具さえ置かれていない、がらんどうの部屋。

 そのどこかで“何か”が立っている。

 息を潜めている。

 待っている。


 レイは、ゆっくりと息を吸った。

 振り返れば、自分が壊れてしまう気がした。


 だが、逃げ道は前にも後ろにもなかった。


 雨が、微かな風で窓を叩いた。

 その瞬間、さっきの軋む音は、静かに、確かに……近づいた。


 レイは覚悟を決めて、振り返った。


 そこに“誰か”は――いなかった。


 ただ、さっきまで握っていた写真が、いつのまにか手から落ちていた。

 そして床に落ちた写真の白く消えた部分が、さっきより大きく広がっているように見えた。


 レイは震える指で写真を拾い上げた。

 ほんの数十秒の間に、写っていたはずの“痕跡”がさらに消えている。


 ――誰だ。

 なぜ、消えていく。

 なぜ、思い出せない。


 胸の奥で何かが軋み、ひび割れたような痛みが走った。


 その痛みだけが、唯一の真実のようだった。

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