9.白の境界線
リヒトは白の巣で眠っている適合者を見下ろす。
もう一か月、こうして彼らを見ている。
白の適合は一向に進まず、膠着状態だった。
せめて一人でも起きてくれたらな、とリヒトは周りを見渡した。
視線の先には、獅子川理美が眠っている。
彼女が、一番に起きてくれたらいいのに
そう思ってハッとする。今、自分は何を考えていた?
すると、獅子川理美の適合装置が中からピリピリと破れた。
彼女の真っ黒な瞳に白い虹彩が混じっている。
覚醒した。
「あ、おはよう。気分はどう?」
「最悪。ジェットコースターに十回連続で乗ったってこんな気持ち悪くなったことない」
十回連続で乗ったことあるんだ、とリヒトは驚いた。
どうやら獅子川は可愛らしい見た目と違うみたいだ。
「おれ、阿川利人。リヒトって呼んで」
リヒトは手を差し伸べた。
「知ってるわ。バスケ部のエースって有名だもの。獅子川理美よ。リミでいいわ」
「さとみじゃないの?」
「呼びにくいんですって」
「そっか」とリヒトは納得した。
ここ、アスリオンの公用語は日本語だ。創設者が日本人らしい。
対して、母星の公用語は英語。
今では、どの国に生まれても差がないように、出生時に言語チップを埋め込まれる。
全人類バイリンガルどころか、すべての言語が話せるというわけだ。
しかし、話せるのと話しやすいのは違う。
さとみ、というのは英語圏の者には言いにくいのだろう。
「可愛い名前なのにもったいないな」
思わず口をついて出た言葉にリヒト自身も驚く。
「あ、いや…変な意味じゃ…」
「二人の時なら、さとみって呼んでもいいよ」
しかし相手の方が遥かにうわて、だった。
リヒトは小さな声で、「リミって呼びます」と答えるのが精いっぱいだった。
「白はもういないのね」
「ああ、もうどこかに行ってしまった」
「これからどうすればいいのかしら」
リヒトは少し考えた。白の巣をまとめられるのは、もう彼女しかいない。
「……リミ、君には白のリーダーになってもらう」
「あなたじゃないの?」
「俺は純粋な白じゃないんだ」
リヒトは困ったように笑う。少し動いて軌道を見せる。
青と白の線が空中にキラキラと残る。
「へぇ…!」
リミの瞳に浮かぶ白が、ほんの少しだけ、星の光を思わせた。
***
リミが目覚めた数時間後、他のメンバーも次々と覚醒した。
彼らは全員で13人、陸上部の短距離走のエース級のメンバーだった。
リミだけがスケート、異種競技だった。
白の巣の入口にユノがひょこりと顔を出す。
ずっとこちらを伺っていたようだ。
リヒトはユノを手招きした。
「リミ、こいつも一緒に面倒見てやって欲しいんだ」
彼女はものすごく嫌そうな顔をした。
「え、そんな役に立たなさそうな子、やだよ」
まさか断られると思っていなかったリヒトは驚き、固まる。
「私だって、あんたみたいな性格悪そうな女キライ!」
「ユノ、リミは白のリーダーだぞ!」
ユノは聞く耳持たず、リヒトの後ろに隠れてしまう。
「ったく…!」
「コイツだけじゃない、不適合の白がたくさん居るんだ。そいつらの面倒を見て欲しい」
「それも断るわ」
「なんでっ…!?」
リミはリヒトよりも冷静な目で周りを見渡す。
「私たちはまだ目覚めたばかりで、たった13人。」
「自分たちを守るだけで精一杯よ。それに、私、自分のキャパ以上のことはしないことにしてるの」
それが信条だ、と彼女は宣言した。
彼女はリヒトが思ったほど、甘くも優しくもなかった。
けれど、なぜか好感が持てた。
「わかった。白の不適合者はこっちでなんとかする」
「出来るの?」
リミは皮肉でも批判でもないまっすぐな瞳で聞いた。
「やるさ」
リヒトは高い天井を見上げ、決意した。
けれど、不安が渦巻く。
白の不適合者は一体、何人いるのだろう。
自分一人に守れるだろうか。
彼女は心配そうにリヒトを見上げ、少し考えてから口を開いた。
「十人…ううん、二十人までなら、引き受けるわ」
「いいのか!?」
「私にだって、情はあるのよ。」
「眷属を放置して安穏としていられる程、冷徹でもないつもり」
と彼女は静かに告げる。
「でも、なるべく能力の高い子たちをちょうだい」と付け加えるあたり
彼女は本当にいい性格をしている。
くすりとリヒトが笑った。
いい友達になれそうだ。
「よろしく、リミ」
「うん、よろしくね。リヒト」
二人が握手すると、白の軌道がするするとお互いの体に交差する。
そうか、同色同士はこんな風に呼応し合うのか。
「あなたの光…気持ちいいのね」
リヒトは頬がカッと赤くなる。急いでリミの手を放す。
ユノに言われた時は何ともなかったのに。
「じゃ、じゃあ、俺もう行くから」
赤くなったことを悟られたくなくて、思い切り顔をそらした。
変に思われたかもしれない。
リヒトはユノを連れて、足早に白の巣を後にした。
ユノの手を掴んだまま、廊下を歩く。
無言のまま数歩進んだところで、ぐん、とユノの手がリヒトを引いた。
「どうした、ユノ?」
「……私、邪魔?」
ユノが下を向いて、立ち止まる。
その肩が小刻みに震えていた。
「何の力も持たない。でももう人間でもない。リヒトも、私のこと邪魔?」
「ユノ……」
リヒトは静かに近づき、そっと彼女を抱きしめた。
触れた瞬間、彼女の体温が思っていたよりずっと冷たくて、胸が締めつけられた。
「俺は、全員を守る。」
「誰も置き去りにしない。誰も一人にしない。
色持ちも、不適合者も、色なしも——全員、救ってみせる」
「……私だけじゃなくて?」
ユノが迷子の子供のような目で、リヒトを見上げた。
「うん。だから、ユノ——俺に好かれる必要はないんだ」
「好きでも、嫌いでも、全員救うから」
リヒトはやわらかく笑う。
その笑みを見たユノの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
——それが、彼女の“生き方”なのだと気づいたのは、その時だった。
彼女は誰かの庇護のもとにいなければ、自分を保てない。
弱さを装うことで、自分を守る。
それは怠惰ではなく、悲壮な決意だ。
彼女だって、選ばれたエリートだ。
一人で立ちたかったはず。戦えると思いたかったはず。
リヒトは願う。
ユノがいつか一人で立っても、倒れない世界を作りたい。
——きっと理想論だと、瞬に笑われるだろうけど。
白の巣の奥で、まだ誰かの鼓動が、静かに響いていた。




