6.適合
その日から、リヒトたちは使われていない教官の部屋で寝泊まりしていた。
カイハとユノはベッドで、リヒトはソファで眠る。
夜になると、アズランもふらりとやってきて、狭い部屋は少しだけにぎやかになる。
「アズ、もう寝た?」
「俺たちは、あまり睡眠を必要としない。」
窓の外、星を背にふわりと浮かぶアズランが、穏やかに答える。
リヒトはソファの上で寝返りを打ちながら、その光景を見上げた。
「最初に会った時、寝てたじゃん。」
「ああ……あれ、お前らだったのか。」
アズランが思い出したように眉を上げる。
「――あー!ボールぶつけたのお前か!」
「そうだよ。今さらかよ。」
リヒトは苦笑し、毛布を肩まで引き上げた。
何気ない会話が、妙に懐かしく感じられる。
けれど――この部屋の空気は、もう「日常」ではなかった。
「なあ、ブランカと何を話してたんだ?」
「お前の処遇だ。」
「勝手に決めるな。」
アズランはその言葉に少しだけ笑い、星明かりの中で真顔に戻った。
「お前、白の適合を受ける気はあるか?」
「……受けてもいい、と思ってる。」
リヒトの声は低く、迷いが滲んでいた。
「ユノが言ってたんだ。白の不適合者だったはずなのに、俺の光が“気持ちいい”って。」
その言葉が頭の中を巡る。
彼女のあの表情が、まだ脳裏に焼きついて離れない。
リヒトは小さく息を吐いた。
「もしかして、適合の強さでリーダーが決まるのか?」
「同じ色同士は惹かれ合うようにできてるのか?」
「……それとも、お前らは“色持ち”を互いに競わせてるのか?」
次々と疑問が溢れ出す。
言葉にするほど、胸の奥がざわつく。
アズランはすぐには答えず、静かに外を見つめた。
宇宙の闇に散らばる光が、彼の輪郭を淡く照らす。
アズランがようやく口を開いた。
「選ぶのはお前たちだ。だが、選ばなければ――淘汰される。」
リヒトは息を呑む。
その一言が、心の奥に冷たく沈んだ。
急がなくては――そう思った。
不適合であっても、一度“色”に染まれば庇護下に置ける。
現に、ユノは自ら俺の庇護を選んだ。
ならば、色持ちとなった者は、その“色”に守られるはずだ。
けれど、色を持たぬ者は?
適合も拒否もできず、ただ恐れて立ちすくむ者たちは――。
どうすれば、全員を救える?
リヒトは何度も自問した。
答えは出ない。出るはずもない。
リヒトは黙ったまま、目を閉じる。
まぶたの裏で、青と白の光が交錯した。
静かな夜が、彼の内側を、少しずつ侵食していく。
** *
朝は、静かに訪れた。
夜の冷たさをわずかに残した空気の中で、薄い光がカーテンの隙間を縫って差し込む。
リヒトは目を開ける。浅い眠りのまま、何度も夜を越えたような気がした。
リヒトが目を開けると、誰かが隣で眠っていた。
淡い朝の光が髪を透かし、金色に染める。
「うわっ!」
「えっ、なになに!?」
ユノが狭いソファでリヒトに抱きつくように眠っていた。
「おはよー、リヒト」
「は、離れろ!」
その騒ぎにカイハがため息をつく。
外へ出ると、朝の風が頬を撫でた。
青い空が広がる。
そして、白い雲が、ゆっくりと流れていく。
リヒトは空を見上げた。
その瞳には、青と白――二つの光が揺らめいていた。
「とっとと来い。ブランカの施設が起動してる。お前らの出番だ。」
白の巣の前でアズランが声を掛ける。
リヒト、カイハ、そしてユノが中に入る。
「おはよう、お前らもう来てたのか」
リヒトが陸上部の三人を見つけ、声を掛ける。
「ああ…あんまり眠れなくて…」
「やっぱ怖くてさ…」
不安を滲ませ、三人は隅で固まっていた。けれど中まで自力で入ったのだ。
彼らは選んだ。それが嬉しくて、リヒトはにっこりと微笑んだ。
「俺も白の適合受けるんだ」
「え?そうなの!?」
「お前、青じゃなかった!?」
「そうなんだけど、もう一色追加してみようかと…」
「へー!すっげえな!お前!」
彼らの瞳に尊敬と少しの希望が混じる。
「それなんだが…」
背後にひんやりとした空気が走った。
振り返ると、白い髪がゆらめいている。
ユノが危険を察知したのか、ぱっとリヒトの腕を放し、外へ逃げた。
「適合装置が足りん…あと3つしかない」
「え…マジ?」
彼らが絶望したような顔になる。リヒトは仕方ない、とため息をついた。
「譲るよ」
「いいのかっ!?」「良かった~」「ありがとうっ!恩に着る!」
三人が三人ともホッとした顔をした。そりゃそうだろう。
ブランカはにやにやしながら、リヒトを見た。
「お前は装置なしで適合だ。あとでたっぷり可愛がってやろう」
ブランカの言葉にリヒトは遠い目をした。昨日のアレ、みたいなのをするのだろうか。
リヒトは、どこか大切な境界を踏みにじられたような気がした。
カイハがまだ理解しきれていない戸惑った顔でブランカとリヒトを交互に見た。
そして何かを悟り、呆れた表情で、リヒトを見上げる。
「リヒト、あんた…一体何するつもりよ?」
「俺は、変わるしかないと思う」
「変わらなくちゃ、誰も守れない。」
その声には迷いがなく、けれどどこか遠い。
まるで、もう人の温度を少しずつ手放していくように。
カイハは唇を噛んだ。
「そんなのリヒトがやる必要ないんじゃないの…」
リヒトは即答した。
「誰かがやらなきゃいけないなら、俺でいい。」
その言葉が、まっすぐすぎて、怖かった。
カイハは視線を逸らし、地面を見る。
彼に自分の言葉はあまりにも軽すぎて届かない。
同じ色持ちなのに、もうずっとカイハの手の届かないところに彼はいるのだ。
** *
三人の適合をアズランとカイハに任せ、
リヒトはブランカに手を引かれ、施設の外に出た。
「さて、お前の番だ。覚悟は良いか?」
「いいよ」
「瞬きの間に終わる。」
ブランカはリヒトの手をぎゅっと握ると、笑った。
視界が急速に回転し、回転の中心に吸い込まれる。
リヒトは思わず目を瞑った。
回転が終わり、目を開けると、そこは宇宙空間だった。
目の前の小さな流星群の一つに三角錐がカタカタと動いている。
あれは何だ
「アレは私だ」
リヒトはその言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
目の前の美しい女と、あの三角錐の“何か”が同一存在?
いや、同一宇宙人――そう言えばいいのか。
「まだ意識が芽生えたばかりのほんの小さな命だ」
ブランカが手をかざすと、時間が急速に進む。
三角錐の生き物は、その内、頭部と体が分かれ、手足が出来た。
それでもまだカクカクした線と点の連続した物体にしか見えない。
そこへ、星のかけらのような石がころころと転がり、
コトン、カラン――その音が、宇宙最初の言葉のように響いた。
「星獣に会ったな。初めて自分以外の生命体に遭遇したんだ」
そしてまた時が巡る。
今の姿を彷彿とさせる小さなブランカが宇宙を漂っている。
すると緑、青、黄色、赤、黒が同じ軌道に乗った。
彼らは同じ生命体なのだ、と長い時を一緒に旅して分かった。
互いに干渉せず、しかし離れず、一定の距離を保って旅を続けた。
「これはブランカ、お前の記憶?」
「そうだよ。適合装置が代わりだ。私の記憶がある限り、それはお前の中で白の力を産みだすだろう」
なら最初からその方法を使えばいいのに、とリヒトは思った。
しかし、何故か口が開かない。
言葉は言わなくても通じた。
「私だってだれかれ構わず記憶を見せるわけではない。」
「お前はトクベツだ」
特別だと言われて、嬉しくないやつがいるだろうか。
たとえ、訳の分からない宇宙人に言われても、その言葉は誇らしかった。
「ほら、お前たちの地球だ。」
彼らはそこを何周も回った。人の営みが面白かったのだと言う。
人はやがて空を制し、宇宙へ出た。そして――彼らと接触する。
「お前らは人間になりたいのか」
ブランカは笑って答えない。
「船が欲しいっていうのは、口実?」
「船は欲しい。私たちは同じ色を見つけたい。」
「そしたら、人間みたいになれるから?」
「意外としつこいなお前。」
ブランカは、今度は声をあげて笑う。
「これで記憶も力も定着したはずだ。私はしばしここを離れる。次にくるヤツは苦手だ」
「さらばだ、リヒト。私たちの光――」
リヒトは宇宙空間に放り投げられる。
ブランカを振り返ると、彼女は白い軌道を放ちながら、遥か彼方へ飛んでいた。
かくん、と膝の力が抜け、リヒトは地面に膝をついた。
目を開くと、元いた場所に立っていた。
倒れると思った時には、カイハがリヒトを抱きとめていた。
本当に瞬きの内に終わった。
けれど、数千年、数万年の旅だった。
青と白――二つの光が、胸の奥で脈打っていた。
リヒト・アガワ=シュナイダー――ドイツ出身、能力:青、白
(第一章完)




