5.白の巣
「こっちだ。」
アズランの声に導かれ、リヒトたちはアスリオンの下層――
精密機械がひしめく動力中枢を抜け、上層へと続く通路を駆け上がっていった。
無数のパイプが唸り、金属の床が足音を反射する。
艦の“心臓”を突き抜けていく感覚だ。
あのとき、白の星獣に自分の星獣を投げつけたらしい。
アズランによれば、青の星獣は今も微弱な波動を放ち、まるでGPSのように彼らを導いているという。
――目指すのは、敵の中枢。
白の巣へと通じる、アスリオンの最上層だった。
アスリオンの屋上庭園を抜けた先、闇の中に黒い影が浮かんでいた。
光を呑み込むように鈍く沈むその質感は、遠目には岩塊にしか見えない。
だが、近づくにつれ、それが人工物――球体構造の施設だとわかる。
「ここが……白の“巣”?」
カイハが息を呑む。
外壁は蜘蛛の巣のようにひび割れ、無数の管が宇宙空間へ伸びていた。
まるで呼吸を繰り返す生き物のようだ。
その鼓動めいた微振動が、機体の床を通して足裏に伝わってくる。
「動いてる……施設そのものが、生きてるみたいだ」
「行こう」
リヒトが短く言った。
内部は半円状の金属ドーム。
床には透明な膜に包まれた人々が、整然と並べられていた。
無機質な光が彼らの輪郭をぼんやり照らしている。
「……見たところ、全員不適合だな」
アズランが吐き捨てるように言う。
「適合者は別室か。置いてあるんだろう、いい個体をまとめてな」
“置いてある”――その言葉に、リヒトの指がわずかに震えた。
彼は無言でひとつの膜を破った。
空気が滲み、微かな呻き声が漏れる。
生きている。
まだ、間に合う――
なぜか、そう確信できた。
ドーム中央の高台には、十数人の適合者たちが並んでいた。
陸上部の面々、そしてその中に――
「……獅子川?」
リヒトは駆け寄る。
獅子川理美。
彼女の身体は淡い白光に包まれ、静かに呼吸していた。
適合が進行している。もうすぐ覚醒する。
伸ばしかけた手を、リヒトは止めた。
今、膜を破れば、彼女を殺すことになる。
喉の奥が焼けるように痛んだ。
そのとき――
空気が、ひとつの音を立てて凍りついた。
耳鳴りが広がる。
空間が軋むように歪み、静寂の中心に“声”が落ちた。
「――何をしている?」
白い髪の女が、宙に浮かんでいた。
瞳もまた白。
光を拒むほどの白さは、無垢というより“欠落”に近い。
彼女の周囲で金属片が微かに漂っている。
リヒトはゆっくりと息を吸った。
「お前らの目的は適合者だろう。不適合者はこちらで回収する。」
できる限り事務的に、冷静に言葉を紡ぐ。
だが、心臓は早鐘のように鳴っていた。
「それは困るな。たとえ出来損ないでも、連中への土産は多ければ多いほど良い。」
ブランカの声は柔らかいが、どこにも感情がなかった。
「それなら、生きたまま引き渡したほうが効率的だろう。」
リヒトは食い下がる。
女は、ふむ、と首を傾げた。
その仕草すら、機械的で美しかった。
「よかろう。不適合者は返してやる。」
「しかし――」
彼女は、音もなくリヒトの目の前に現れた。
視認するより早く、距離が消える。
「少し遊んでいけ。ここは退屈でな。」
白い髪がさらりと揺れた瞬間、衝撃が走る。
リヒトの身体が宙を舞い、ドームの端へと叩きつけられた。
息が詰まり、視界が白に染まる。
それでも、場違いに彼は思った。
――綺麗だ。
「リヒト!」
カイハの叫びが、鈍く反響するドームの中に響いた。
バラバラと壁が崩れ落ちた。
粉塵が舞い、金属の破片が床に散る。
適合中の装置を壊してしまわないかと一瞬焦ったが、膜は想像以上に強靭だった。
こぶし大の瓦礫がぶつかっても、膜は波紋をひとつ揺らすだけで、すぐに静止する。
中の人影は微動だにしない。
リヒトは安堵の息を吐いた。――が、その瞬間。
「他人の心配をしている場合か。」
声と同時に、顔面へ衝撃。
白の脚がリヒトを弾き飛ばした。
腕を交差して辛うじて受けるも、体は再びドームの端まで吹き飛ばされる。
(速い……しかも、星獣よりも重い一撃。)
金属壁に叩きつけられながら、リヒトは息を整えた。
痛みはある。しかし、動ける。――耐えられる。
「退屈、だっけ……?」
さっきのブランカの言葉を思い出す。
ならば、退屈させなければいい。
“面白い”と思わせれば、きっとこの場を切り抜けられる。
リヒトは深く息を吸った。
白い軌道が視える。次は――止められる。
飛び込んできた白の腕を掴む。
その瞬間、衝撃がぶつかり合い、二人の身体が空中に舞う。
ブランカが一瞬だけ目を見開き、楽しげに笑った。
リヒトの腕が白い光を吸い上げる。
光を吸い上げる腕が、わずかに焼けるように痛んだ。
吸えば吸うほど、何かが自分から削れていく気がした。
青と白、二つの軌道が交わり、弧を描く。
反転、そして――叩きつけた。
轟音。
壁が砕け、破片が飛び散る。
「ふふっ……面白い。面白いよ、お前!」
崩れ落ちた瓦礫の中から、ブランカが笑いながら立ち上がった。
白い髪が光を反射してきらめく。その姿に、リヒトは思わず息を呑んだ。
「お前、私の力を吸収しようとしたな。」
「……!」
「いいだろう。お前に免じて、不適合者は解放してやる。」
ブランカはゆっくりと近づき、リヒトの頬に手を添えた。
そして、そのまま唇を重ねる。
「我が名はブランカ。お前の名は?」
「リヒト!!」
カイハの叫びが響く。
アズランが面白そうに口笛を吹いた。
「な、何すんだよ……!」
リヒトが反射的に彼女を押しのける。
息が乱れる。
しかし、ブランカは静かに言った。
「見てみろ。」
リヒトは腕を見る。
振り払ったその軌道に、白い光が混ざっている。
「……なんだ、これ……」
「驚いたな。装置もなしに適合するとは。」
ブランカは微笑み、リヒトの手を取り、その光をなぞった。
「こうして触れるだけで、私の力が、お前に流れ込む。」
「それは、俺のだ。ブランカ。」
アズランが割って入る。
表情には明確な苛立ちが滲んでいた。
「お前のじゃねぇよっ!」
リヒトが怒鳴る。
「適合は一色のみとは限らんだろう?」
「互いの領分は不可侵のはずだ。」
「お前こそ、その掟を破っている。文句は言えまい。」
ブランカが挑発的に笑う。
二人はそのまま空中に浮かび、激しい口論を始めた。
リヒトは呆れたようにため息をつく。
ゆっくりとカイハのもとへ戻り、頭をぽんと撫でた。
「なんとか、不適合者は返してもらえることになった。」
「今のうちに、片付けよう。」
アズランを一瞥して、リヒトは短く言った。
その表情には、戦いの熱と、確かな覚悟が宿っていた。
** *
*
半透明の膜が、爪でピリピリと裂けた。
破れた隙間から、空気が漏れ、人の輪郭がゆっくりと現れる。
目を開いた青年が、朦朧とした視線で周囲を見回した。
「これで最後だな。」
リヒトが小さく呟く。
カイハと共に最後の一人を救い出すと、ようやく息をついた。
その青年は仲間に支えられながら、ふらつく足取りで白の巣をあとにした。
「俺たちも帰ろう。」
差し出されたリヒトの手。
カイハは一瞬、ためらった。
その掌に触れることが、今は少し怖い。
――彼が変わってしまったから。
戦いに慣れ、判断は鋭く、そして何より、
“彼ら”――あの異星の存在たちと、自然に話すようになっている。
どこか遠くへ行ってしまった気がした。
それでも、今はこの手を取るしかない。
カイハはその手を掴んだ。
冷たい金属のような感触の中に、かすかな温もりを探した。
「皆がどこにいるか、分かるか?」
「リヒト、分かんないの?」
「うーん……そこらにいっぱいいる感じはするけど、誰が誰かまでは分からない。」
「そっか。」
少し安堵した。
良かった、自分にも出来ることがある。
カイハは深呼吸し、感覚を研ぎ澄ませる。
空間の揺らぎを辿り、仲間たちの「気配」を探した。
* * *
「……ただいま。」
部室の扉を開けると、空気が一瞬で張り詰めた。
視線が二人に集まる。
「おかえり。怪我はないか?」
リーダーの瞬が立ち上がり、迎える。
「ユノが目覚めたよ。」
「そうか、よかった。」
リヒトは微笑み、肩の力を抜いた――その背中に、どんっと何かがぶつかった。
「ユノ!?」
カイハが声を上げる。
背中にしがみついているのは、確かにユノだった。
メンバー全員の顔が一斉にこわばる。
ユノは瞬の恋人のはずだ。
「ユノ、ちょっと離してくれないか?」
「いや!離れたらまた置いていくでしょ?」
「置いていくって……俺たち、そんな仲じゃ――」
リヒトは言葉を濁す。
それはユノに言っているようで、半分は瞬への弁明でもあった。
気まずさが空間を支配する。
「違うからなっ!俺、ユノとは瞬経由でしか話したことないからなっ!」
沈黙のあと、ふっと笑い声が漏れた。柚葉だった。
「分かってるって。誰も誤解してないよ。……ユノ、起きてからずっと変なんだ。」
「ね、瞬?」
「ああ。何かに怯えてて、まともに話せなかった。……君たちが帰ってきて、やっと落ち着いたみたいだ。」
「ユノ、何があった?」
瞬が優しく問いかける。
しかしユノの視線は、リヒトだけに向けられていた。
リヒトは小さく息を吐き、肩を押して距離を取った。
「ユノ。ちゃんと話してくれないと分からない。……何があったんだ。」
まっすぐに見つめると、ユノは頬をわずかに赤らめ、口を開いた。
「白い髪の女の人がいた。その人に“進化させてあげる”って言われたの。」
ざわつく空気。
カイハやリヒトを見たメンバーは、否定できなかった。
二人の変化は、まさしく“進化”と呼ぶしかないものだった。
「装置を着けられて、眠くなって……夢の中で、リヒトが私を呼んだの。」
リヒトの胸が一瞬、痛んだ。あの時、確かに彼も夢の中でユノを見た。
「呼ばれて、目が覚めたら、身体が軽くなってた。」
「それにね――リヒトの白い光、とっても気持ちいいの。だからもう、リヒト以外は見えないの。」
そう言って、ユノは母親を見る赤ん坊のような目で彼に抱きつく。
リヒトは苦笑し、瞬を見た。
その表情は「ごめん」と「どうしよう」が混ざったようだった。
肝心のアズランは――不在。
白の女、ブランカと何か話していて、一緒には戻ってこなかった。
「なあ、白いヤツは倒したのか?」
救出した陸上部の三人が前に出てくる。
「いや、親玉と話してきた。攫われた奴らは返してもらった。」
歓声が上がる。
だがリヒトは静かに続けた。
「でも、見込みのあるやつは“適合”を受けた方がいいと思う。」
「てきごー……?」
「進化のための処置だ。装置の中で、力を身体に馴染ませる。」
「全員を、ユノみたいにする気か!」
瞬が声を荒げた。
リヒトは一拍置き、静かに答える。
「不適合なら、俺たちが救い出す。そこはコントロールできる。」
「な、カイハ?」
カイハは皆を見渡し、ゆっくりとうなずいた。
「俺、受けてみようかな。」
陸上部の一人が手を上げる。
「そうだな。白の星獣に狙われたってことは、素質があるってことだ。明日、一緒に行こう。」
残りの二人も頷いた。
だが――「待て!」瞬の怒声が響く。
「どうなるか分からないんだぞ!進化が良いこととは限らない!」
リヒトは冷たく、それでも静かに言い返す。
「そうだ…。俺たちは実験体だ。進化したら、もっとひどいことになるかもしれない…」
「でも……ここで怯えてるだけの奴らに、未来はない。」
その言葉に、空気が凍った。
彼の瞳の奥には、もう“人間の”迷いがほとんどなかった。
リヒトは立ち上がる。
「お前ら、陸上部の棟まで帰るだろ?送るよ。」
カイハもユノも立ち上がる。
言葉はいらない。彼女たちは――もう、リヒトの側にいた。
「待って、カイハ!リヒト!」
柚葉とナギニが駆け寄る。
陸上部の三人を先に行かせ、カイハが振り返る。
「私は一緒に行けないけど、あんたたちは仲間だと思ってる。」
柚葉はカイハの手を握り、まっすぐに言った。
ナギニは何か言いかけて、唇を噛む。
「ナギ、あの時巻き込んでごめん。もういいから。」
カイハはそれだけ言い残し、歩き出した。
「柚葉、ありがとう。ナギ、またな。」
リヒトは軽く手を上げて別れを告げる。
ユノが「待って」と言いながら、彼の腕を掴む。
それはただの挨拶のようで、どこか――別れのように切なかった。




