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黎明の適合者 -Colors of Dawn-  作者: 雨野 天
第二部 第一章 

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20.真実の帰還

しん、と静まり返った廊下を、リヒトは一人で歩いていた。

金属の床に響く足音が、やけに冷たい。


「――ノクス」


その名を呼ぶと、影がゆらりと揺れた。

リヒトの足元から、黒い波のようにノクスが現れる。


青年の姿、リヒトよりわずかに背が高く、彼を見下ろすように傍らに立つ。暗く陰鬱だった表情は、最近柔らかさが混じるようになった。彼の前髪をかき分けると優しい瞳がリヒトを見つめている。


ノクスはリヒトの足音に合わせて歩く。

その影は、まるで彼の鼓動に同期しているかのようだった。

他の星獣たちのように沈黙に沈むことはなく、彼はリヒトの方を見て、微かに微笑んだ。


彼らは互いを語らない。

人間の思惑など考慮しない。

人外らしく、眷属である適合者たちにも迎合せず、常に一歩引いたところに居る。


けれど、ノクスは――彼はリヒトを明らかに贔屓している。

人のように。


「何かあったか?」

「何も。ノクスが元気かなと思って呼んだだけ」


そんな自分の言葉に、リヒトは内心で苦笑した。

たぶん、ノクスを――アズの代わりにしてるんだろう。


アズラン。あの青年も、リヒトにはいつも甘かった。

ノクスも、それを分かっていながら黙って寄り添ってくれている気がした。

だからこそ、余計に胸が痛んだ。


「あと少しだから、ナギと一緒に、部屋で待ってて」


そう告げると、ノクスは静かに影へと戻っていった。


リヒトは毎日、色々なところへ顔を出す。中にはノクスを恐れている者もいる。ノクスに友人を害された者の中には彼やナギニを憎んでいる者もいる。この狭い世界で、彼らが一緒の空間に居るということは悲劇でしかない。忘れたくても忘れられないだろう。影に入ったノクスを遠ざけるのは、せめてもの配慮だった。


部屋の隅で、少年が膝を抱えて震えていた。光源を最大まで上げた部屋。影が一つもない。

――闇が怖いのだ


「毎日、夢に見るんだ。あの黒い影が追ってきて…」

「……そうか」


 リヒトはそっと膝をつき、彼の目線まで降りる。


「もし君が望むなら――俺が、その記憶を消してあげられる」


少年ははっと顔を上げた。

涙で濡れた目が、リヒトを必死に捉える。


「お、お願い…消して、この記憶…怖いんだ……」


縋りついてきた腕をやんわりと払い、リヒトは彼の頭を掴んだ。


「大丈夫。すぐに忘れられる。……そしたら、ゆっくり眠るんだ」


リヒトの掌から、微かに光が滲んだ。

彼の瞼が閉じる。

その瞬間、リヒトはふと、ノクスの笑顔を思い出した。



***


母艦〈アスリオン〉の生徒たちが、着陸船(ランダー)から次々と帰還していた。

地球では、帰還者たちの映像がニュース番組で繰り返し流されている。

一度切りで終わると思われていたアスリオンからの母星帰還報道はあれからも続いていた。

見出しは滑稽なほど誇張されていた。

「家族愛」「奇跡の帰還」。

そんな言葉で、どれほどの死と喪失を覆い隠せるのだろう。


特に、シュンの帰還報道は異様に持ち上げられていた。

「世界政府議員の息子」「父と息子の感動の再会」。

――見ていて吐き気がした。瞬は何を思って、撮られていたのだろうか。


そして、今――最後の着陸船(ランダー)が地球に降り立つ。

乗っていたのはただ一人。


リヒト・アガワ=シュナイダー。

青・赤・白・緑・黒――五色の力を宿す少年。


政府は厳重な警備を敷き、彼の帰還を待っていた。


ハッチが開き、リヒトは静かに降り立つ。

人々の視線の先、両親が泣きながら手を振っていた。


リヒトは手袋越しに自分の掌を見る。

中央の星が、黄色く点滅していた。


――今日も報道はされている、か。


彼はほんの少し嗤って、父と母に向かってその手を振った。


「リヒト!」


母が走り寄って抱きしめる。

思っていたより、小さな背中だった。

父がその肩を叩く。リヒトはいつの間にか、二人を見下ろす高さになっていた。


「ただいま。……心配かけて、ごめん。

 これからもっと心配かけるけど――それも、ごめん」


 そう言って、母の腕をそっと離す。


 次の瞬間、リヒトの身体がふわりと宙に浮いた。

 重力なんて、もう感じない。


 ――見つけた。


ガラスを蹴り破り、リヒトは中継カメラの前に降り立った。

スタジオの照明に似た白い光が、彼の姿を照らす。


「悪い人たちだなぁ。こういうのは、本人の許可がいるだろ」


その一言と同時に、世界中の生放送がプツリと途切れた。

砂嵐。ノイズ。

数秒後、画面が切り替わる。


――映っていたのは、アスリオンの内部。

そこに、少年が立っていた。


その瞬間、地球上の全てのニュース局が同じ映像を流していた。

政治討論番組も、スポーツ中継も、映画の宣伝も。

どのチャンネルに変えても、同じ顔がこちらを見ている。


「全世界の皆さん、初めまして」


その声が流れた瞬間、スタジオの空気が凍りつく。


「アスリオンの代表、リヒト・アガワ=シュナイダーです。この放送は母星の電波をジャックして放映しています」


カメラ越しの彼の声は、不思議なほど静かだった。

冷静で、穏やかで――しかし、抑えきれない怒りが底にある。


「俺たちは地球政府直属の宇宙開発局によって、“実験動物”にされました」


モニターの向こう、キャスターたちは顔を見合わせた。


「……え、これ本物?」「回線、確認して!」

「入ってるの、地上波全部です!」


緊急のシステム班が走り回る。

しかし、映像はどの端末からも切断できない。

スマートフォンでも、屋外のビジョンでも、同じ放送が流れ続ける。


カフェにいた人々が、思わず手を止める。

教室では生徒たちが画面に釘付けになる。

――“実験動物”。

その言葉の意味を、誰もすぐには飲み込めなかった。


「政府は、俺たちを“人類の進化”という名目で宇宙人と交配させた。

 これが、俺たちの現実だ」


背景には、適合装置と、その中で培養される少年少女。

ノイズ混じりの映像の中に、泣き叫ぶ少年少女たちが映る。


スタジオの女性キャスターが、口元を押さえて小さく息を呑んだ。

その隣で、男性キャスターが声を震わせながら言う。


「こ、これは捏造……なんですよね? どなたか確認を……」


その時、リヒトが画面の向こうで、中指を立てた。


「――もう、“確認”なんていらないだろ」


軽く笑いながら放つその挑発に、背筋が凍る。

音声卓が異常を検知し、映像を強制終了しようとするが――止まらない。


突然、銃声と怒号。兵士たちが映り込む。

麻酔銃が撃たれ、捕獲網が投げられる。


カメラの向こうのスタッフが悲鳴を上げた。

それでも映像は続く。


リヒトが首の注射器を抜き取り、床に落とす。

――カラン。


音だけが、世界中のスピーカーに響いた。


次の瞬間、光。

青い軌道を描いて、彼は空へと舞い上がった。


スタジオの誰も、言葉を発せなかった。

ただ、無音のままその姿を見上げていた。


画面が暗転し、放送が切れた。


だが――誰も、呼吸を再開できなかった。


そして数秒後。

SNSと通信網が爆発的に沸騰した。


《彼は本物か?》

《アスリオンの真実?》

《政府が沈黙している》

《あの少年は――人間なのか?》


地球という惑星が、一瞬で「揺れた」。

そして誰もが感じていた。

この日が“終わりの始まり”になると。



***


地上に心配そうにしている父と母が見えたが、リヒトは戻らなかった。

振り返らず、宇宙空間まで飛ぶ。

宇宙空間では青の星獣がリヒトの帰りを待つように、ふよふよと浮いていた。


「……待っててくれたのか」


3匹は加勢しに来たのか、邪魔しに来たのか。くるくると楽しそうに回った。

リヒトは3匹を回収して、青の軌道を描いてアスリオンに戻る。


瞬がリヒトを迎えるため、ハッチを開いて待っている。


「放送上手くいった?」

「ああ、概ね。最後に電波を切られたが、内容的には問題ないところまで放送出来た」

「お前、両親にあんな挨拶だけで良かったのか?」


瞬が心配そうに聞いてきた。

本当はもっと後にことを起こす手筈だった。

しかし、どうにも我慢が出来ずフライングしてしまった。


リヒトは少しだけ目を伏せて、笑った。

「わり、あんだけ狙われてると、我慢出来なくて…」


あれは衝動だった。

けれど、同時に――宣戦布告でもあった。


彼らは着陸船(ランダー)なんかなくても地球へ行ける。

軍隊も、電波も、支配も――全て超えられる。


その証明を、世界に叩きつけたのだ。


リヒトは深く息を吐き、ふっと笑う。


「……やっと、スッキリした」


その声は、どこか少年らしく、少しだけ寂しかった


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