14.開戦前夜
リヒトは、ただ空を眺めていた。
薄い雲の向こうに、アスリオンの人工の太陽がぼんやりと滲んでいる。
ベンチに体を預け、あの日のことを思い返していた。
——あの日。
黄の医療施設に運び込まれた時には、柚葉の意識はもうなかった。
白いシーツに覆われた彼女を見て、カイハは立ち尽くす。
瞬が目を伏せ、静かに首を振った。
「そんな……」
その言葉を最後に、彼女は膝から崩れ落ちた。
唐突に訪れた喪失。
別れは、こんなにも一方的で、理不尽なものなのか。
ぽたり、と涙が床に落ちる音がやけに響く。
その時、勢いよくドアが開かれた。
「カイハ!」
駆け込んできたリヒトの顔には、焦りと安堵が入り混じっていた。
息を荒げたまま、瞬と視線が交わる。
その小さな仕草だけで、すべてを理解した。
「……ごめん、俺、守れなくて。」
カイハの肩を抱いた瞬間、彼女の体から力が抜けた。
堰を切ったように嗚咽がこぼれ、リヒトはただその小さな背中を支えることしかできなかった。
その日、彼らは初めて“仲間の喪失”という現実に触れた。
それは誰もが想像していたよりも、ずっと冷たく、静かだった。
***
柚葉の遺体は、ロッソの炎によって焼かれた。
宇宙空間で土葬はできない。
密閉された環境で、死はすぐに腐敗へと変わる。
それを避けるため、彼女は灰となり、宇宙の粒子の一部となった。
誰を責めればいいのか分からない。
顔のない敵。奪われた命。
ただ、胸の奥で渦を巻くのは、行き場のない怒りと無力感だった。
それでも時間は進む。
死者を悼むことも、やがては贅沢になるほどに。
***
「こんなところにいたのね。」
リヒトの頭上から声がした。
見上げると、リミが腕を組んで立っていた。
短く切った髪が人工光を受けて揺れる。
赤の襲撃で焦げた部分を切り落としたと聞いた。
それが、彼女なりの“区切り”なのかもしれない。
「何かあった?」
リヒトは起き上がり、空を見たまま聞いた。
「会議だって。」
「会議?」
「黒の件だよ。もう、待てないらしい。」
リミの声は落ち着いていたが、その奥には張り詰めた緊張があった。
リヒトはゆっくりと息を吸い、立ち上がる。
これ以上、何かを奪われるわけにはいかない。
そう思いながら、彼は歩き出した。
***
会議は予想通り、瞬が仕切っていた
彼は本当にこういう場に似合う。
半分以上は祭り上げられているのだろうが、それに見合った実力がなければ、こうもスムーズに運べないだろう。
黄からは瞬とその補佐のロウ、イチゴが参加。
赤はレオン一人、白はリミとサネナリ、緑のカイハは少し所在なさげに隅に座っていた。
リヒトはカイハの隣に腰を下ろす。
「ああ、来たな。」
瞬はリヒトに気づき、資料から顔を上げた。
「まずはこの地図を見てくれ。」
そこにはアスリオン内部の詳細な地図が広がっていた。
「これ…もしかして」
「ああ、黄で隈なく歩いて調べさせた。」
教官からもらった内部図は宿泊棟と訓練施設、そして一部の娯楽施設だけ。
空白部分をすべて埋めたとは、黄の執念か。
「すげー」と、サネナリがリミの隣で感心した。
「この地図に基づいて、黒の掃討作戦を行う。」
リミが即座に反応する。
「待って、それってつまり“戦争”じゃない?」
一瞬、空気が止まった。
「掃討ったって、どうやって?」
「まずは黄による全館捜索だ。東側から一斉に行って、西側へ逃げ場を作る。」
「黄は戦闘員が少ない。そこで赤と白の戦力補充を要請。西側に追い込んだ後、屋上庭園まで一気に追い込む。」
「これ、黒が何人もいる想定?」
「黒の適合者数は不明だ。最悪、5~6人と想定している。」
リミは考え込む。
「悪くない。この配置なら二人一組で組める。赤は?」
「十分出せる。元々血の気の多い者が揃っている。純粋な戦闘力なら、赤の適合率20%でも黄の40%レベルに匹敵する。」
ピクリと瞬の顔が引きつるのを、リヒトは見逃さなかった。
戦闘に特化した者たちが、力を得てさらに強くなる。
瞬としては、面白くないのも当然だろう。
***
瞬はカイハに視線を向け、ゆっくり口を開く。
「カイハ、君は衛生兵として最前線に入ってもらう。」
カイハは顔を上げ、頷くしかなかった。
周囲の全員が覚悟を決めた顔をしている中、迷いは許されない。
「黄の精鋭を護衛につける。心配はいらない。」
そして瞬はリヒトを見る。
「リヒト、お前は遊軍だ。好きに動け。俺は指令本部をこの会議室に置いて指示を出す。全員、黄の伝令を使え。」
「その伝令はどうやって瞬の指示を受け取る?」
「これです。」
ロウの腕の黄色のラインが、チカチカと光を発した。
どうやら、これが瞬からの指示を伝える伝令の合図らしい。
色持ちの適合者たちの服には、着ているだけでそれぞれの色に対応した帯が現れる仕組みになっている。
元々は競技用に支給されていた制服だが、今では各色の適合者を識別する役割も兼ねている。
そして今、その能力と服を連動させ、遠隔の連絡手段としてまで応用していた。
「黄の兵にはモールス信号を覚えさせてある。遠隔での連絡が可能だ。」
「すっごいなぁ……」
リヒトは心から尊敬の眼差しを向けた。
「へえ?簡単なのなら、白でも使えそう。後で教えて」
リミとサネナリが食いついた。
リミは気づいた。笑っているサネナリの指が震えていることに。
「いいですよ。赤もどうです?」
ロウは得意げに答え、レオンにも提案する。
「俺らは声張った方が早いから、いいや」
「黄は制圧と指令、赤は殲滅、白は防御と拘束、緑は回復、青は遊軍。」
「各色がそろって、ようやく“アスリオン”が機能する。」
最後に瞬が会議をまとめ、全員が彼を見て、頷いた。
——刻一刻と、その時は近づいていた。
黒い影が、その大きな顎を開け、アスリオンの外縁で蠢いていた。
それはまだ誰も知らない、“開戦”という名の夜明け前だった。




