13.緑の覚醒
アスリオン全体に、重く湿った空気が漂っていた。
人が「消える」。
誰かがそう言い始めてから、まだ二日も経たない。
だが噂は稲妻のように広がり、誰もがその“気配”を感じていた。
黄のリーダー、瞬が緊急声明を発したのはその日の夕刻だった。
講堂の巨大なスクリーンに映し出された彼の姿は、
冷静を装ってはいたが、その声はわずかに震えていた。
「一つ、必ず二人一組で行動すること。
一つ、夜八時以降の外出を禁ずる。
一つ、どこかの組織に必ず所属すること。」
その三つの声明が流れるたび、講堂にざわめきが起こる。
アスリオン全体が、見えぬ何かに怯えていた。
黄は積極的に「色なし」の受け入れを開始し、
やがてその組織は七百名を超える大所帯へと膨張した。
赤も基準を緩め、百名ほどを新たに迎え入れる。
一方、白は本人の消息不明により三十三名で打ち止め。
緑はいまだ姿を現さず、
青はのらりくらりと適合を拒み続けていた。
「なあ、アズ。なんで適合させるの、嫌がるんだ?」
リヒトは、飽きもせず同じ問いを繰り返していた。
宇宙の彼方で、青い髪の青年が、宙に浮かんだまま答える。
「装置がないと言っただろう。」
「黄の施設にあるじゃん!借りればいいだけだろ!」
「……ソレイユは苦手なんだ。」
「なんだよそれ。」
リヒトは深いため息をついた。
まるで理由になっていない。
アズランの真意が分からないまま、リヒトは焦っていた。
適合数は「外の連中」への交渉材料になる。
艦を手に入れるためには協力が不可欠だと、彼は信じていた。
「お前、宇宙船が欲しいんじゃなかったのかよ。」
問いかけても、アズランは沈黙したまま、
星の向こうに視線を逸らすだけだった。
その仕草が、なぜかひどく遠く感じられた。
** *
同じ頃、カイハは柚葉と共に緑の行方を探していた。
二人の足音だけが、薄暗い通路に響く。
彼女はすこし焦っていた。次々に色なし達が適合をしている。
もう柚葉が最後の一人だ。急ぎ、なんとか適合させたかった。
「ねぇ、カイハ、ずっとごめん。」
柚葉がふいに笑う。その笑みはどこか覚悟を秘めていた。
「今日中に見つからなかったら、黄に適合してもらうからさ」
「ほんと?」
「うん、もう決めた。」
カイハは胸を撫でおろした。
ずっと他の色を拒み続けていた彼女が、やっと前を向いてくれた。
これで守れる――そう思った。
思ってしまった。
だから、気づくのが一瞬遅れた。
曲がり角の先に、黒い軌道が走った。
まるで空間そのものが裂けるように、闇の線が走り抜けた。
「――え?」
その黒は、カイハの横をかすめ、
次の瞬間、柚葉の身体を貫いた。
「ゆ、ず……?」
息を呑む間もなく、柚葉の脇腹に穴が穿たれている。
血が流れるよりも早く、そこから“色”が抜け落ちていく。
まるで存在そのものが削られていくようだった。
「柚葉!? 柚葉!!」
カイハは震える手で妹を抱きとめた。
呼吸も鼓動も、どんどん遠ざかっていく。
「だ、誰か!!誰か助けて!!私の妹を助けて!!!」
人気のない廊下に、叫びが反響する。
けれど誰も来ない。
恐怖が足元から這い上がり、喉の奥を締めつけた。
「いやだ……やだよ……ゆず……」
私の片割れが、私の妹が、死んでしまう。
恐怖が足元から冷気のように上がってくる。
一歩も動けない。世界から音がなくなる。
柚葉を抱いたまま、カイハは廊下で座り込んだ。
カイハの涙が床に落ちた瞬間、ひび割れた床から蔦のように緑の光が伸びた。
それは柚葉の身体を包み、優しく脈打っていた。
しかし、もう冷たくなった柚葉の身体が治ることはなかった。
緑の光の中で、誰かが彼女の名を呼んだ気がした。
――海葉。
それが最後に聞こえた妹の声だった。
カイハ・ロラン(日本名:露蘭海葉)――フランス出身、能力:緑
ユズハ・セガワ(日本名:瀬川柚葉)――フランス出身、両親の離婚により日本国籍に変更、能力:なし、死亡




