9.渦巻くオモイ
「な、なにが起こったんだ?」
いきなり男が立ち止まって発狂したかと思ったら、その場に倒れた。
切られた腕を押さえながらゆっくりと男に近づく。
「……気絶してる」
呼吸はしているようだが、顔を見ると口をだらしなく開け白目を向いていた。いつの間にか男の髪が老いたように所々白く変わり果てている。
「…………」
しばし考え込む。
そして……
「……ん」
意を決すると、携帯電話を取り出した――――
――――
――
日も暮れて、街灯や車のライトがないと碌に足元も見えないという出歩くには少々遅い時間帯の中、一同は見慣れぬ道を歩き続けていた。
「ハァァァァ~」
「すごい溜め息ね」
見てる側まで気が滅入るような雅の深い溜め息に、横目で尋ねる楓。
「そりゃそうよ〜。絶対に悪霊って思われたわ」
「そういえば、さっきの目つきは中々に酷かったわね。実際私も驚いたわ。なんて醜い顔をしているのかしらって」
「何言ってるのよ、アナタなんて本気で命を奪おうとしてたじゃない」
「ええそうよ、私は本気だった。貴女は違うの?」
「ワタシは……覚えてないわ」
「そう」
少し間を空けて答える雅に、楓が表情を変えずに返事をする。
「でもあの時、どうして急に動けなくなったのかしら」
「あの時は本当に焦ったわね」
そう言うと後ろを振り返り、少し遅れて付いてきている唯へ聞こえるように声を張り上げた。
「アンタは大丈夫だったみたいだけどぉ?」
「えっ? ……あ、うん。でも、途中でアタシも動けなくなったけど……」
考え事をしていたのか、唯がパッと顔を上げて答えるが、どことなく歯切れが悪い。
「何よ、どうかしたの?」
「いや、なんかあの時、声が聞こえたような……」
「声ぇ~?」
予想外の返答に自身の声が裏返る雅。
「うん。それで、声が聞こえたと思ったら急に動けるようになった気がして」
「なによそれ、ワタシ達以外に誰か居たっていうの?」
「それは絶対にないけどさ」
強弱はあれど、霊にはお互いを感知する波長のようなものがある。
霊の存在を象るエネルギーが強ければ強い程、波長はより濃密に広がり、逆にエネルギーが微弱の存在であったとしても、近くに居たら必ずその波長は伝わってくる。
しかし、先程男に襲われた時は三人とも自分達以外の存在を認識していない。
補足だが、実際にこの三人も自分達以外の霊を見かけたりはしているが、霊は既に《現世の何か》に根強く依存している状態か、思考を持たない状態で彷徨うだけで、他の霊を認識したとしても意図的に干渉しようという考えに至らない。
「少し気になるけれど、今は考えたって仕方なさそうね」
「そうね。……それにワタシ達、この世から居なくなっちゃうかもしれないんだもの」
雅の表情が曇る。
男が気絶した後、彼は警察に連絡して、続けて昼間に会った自称霊媒師の元にも電話をかけていた。
そして今から会えないかと尋ねたところ、快く承諾を得られたようなので、霊媒師の居る神社へ向かっているところだった。
それはつまり、自分達の事について相談しに行くということ。
「あら、私は後悔していないわよ」
やけにあっさりとした表情の楓。
もしかしたら彼と引き剥がされてしまうかもしれない状況の中、その毅然とした態度に雅は少し対抗心が芽生えた。
「ワタシだって後悔なんてしてないわよッ。むしろ妻としてダーリンを助けられた事を誇りに思うわ!」
「そこは守護霊としてでしょ」
いつもと変わらない雰囲気でツッコミを入れる唯。
楓だけでなく、唯にまでいつも通りにされたことに、自分の醜い部分が顔を覗かせる。
「なんだっていいのよ、この無能がッ」
思わず意地悪な事を言ってしまった雅だが、その言葉が唯の心の内を刺激する。
「なんだとこのババア……。アタシだって少しは役に立ったわよ! 精一杯守ろうと努力したわよ!」
掴みかかる勢いで怒鳴りつけた唯の目は、僅かに潤んでいた。
自分だけが干渉出来ず、彼に傷まで負わせてしまったことが申し訳なくて、悔しかったのだ。
しかし、今一番言われたくない単語をぶつけられた雅もさすがにカチンとくる。
「ババアババアうるさいのよッ、この駄馬女!」
「駄馬女って何よ! ぶん殴るわよクソババア!」
両者一歩も引かず、お互いヒートアップして収拾がつかなくなる。
そこへ、悪魔の一撃が振り下ろされた。
「へぶぅぅぅぅぅぅーーーーーーー!!」
「へぶぅぅぅぅぅぅーーーーーーー!!」
容赦なく脳天に喰らった二人の頭がズドンと首にめり込む。
「貴女達、少しは大人しく出来ないの?」
煩わしく吠える二人に我慢の限界が来た楓が睨みを利かし、くだらない喧嘩に終止符を打つ。
「痛ったぁー! アナタってホントに容赦ないわね!?」
「アタシ無能じゃないもん!」
両手で頭を押さえる雅を無視し、心の痛みで今にも泣きだしそうな唯に真剣な眼差しで語りかける楓。
「そんなことくらい分かっているわよ。だから今この人は無事なの」
そう言って前を歩く彼に目をやる。
「まぁ……ちょっと腕切られちゃったけどね」
わざわざ言わなくてもいい事をぽろりと口にする雅。その事実に「うぅ……」と嗚咽を漏らした唯が俯いてしまう。
だから楓も事実を突きつける。
「その間私達は動くことも出来なかった。無能というなら、それは私達の方よ」
「ッ……そんなの分かってる!!」
図星を突かれ激昂する雅。
しかし――
「……ただの八つ当たりよ」
自分の非を認めたのか、すぐに落ち着きを取り戻すと、吐き捨てるように呟いた。
「ハァ、本当に不器用なんだから」
そんな楓の放った小さな小さな一言は、幸い誰にも聞こえなかった。
「ぁ、着いたかも」
彼が立ち止まったのを見た唯がぼそりと口にする。
「さて、私達……どうなるのかしらね」
「覚悟は出来てるわ」
神社の入口である鳥居を見上げた楓と雅が、それぞれの思いを口にした。
今更ですが、この物語はフィクションです。
この物語に登場する霊などの設定は全て創作であり、作中で説明しているような事についての根拠は一切ございません。