53.この結果がどう左右するのか
神楽那の了解を得てからリビングを出たヒナタは、頭がパンクしそうなほどの不可解な問題を一旦クールダウンさせる為に早足でトイレに入ると、落ち着いてドアを閉めた。
瞬間、個室独特の静寂さに包まれる。
(どういう事だッ?)
壁に背中を預け、額を押さえながら先程聞こえた彼女達の言葉の一つ一つを思い出す。
それはあまりにも暴力的で、残虐性と嗜虐性に満ちた悪魔の思想そのものだった。
しかし、そんな事はこの業界では日常茶飯事な出来事である。
なぜなら悪霊とは本来そういうものだからだ。
直近で言えば、ここへ来る前にも緊急で割り込んできた仕事で悪霊を抹消してきたばかりである。
世界とはそういう亡者達が其処彼処に存在し、ただ大半の人間がそれを認識出来ていないだけなのだ。
――では、そんな日常茶飯の側にいるヒナタがこれほどまでに動揺しているのは何故か?
その理由は二つあった。
一つは霊同士の干渉について。
霊は守護霊のように守護する対象の身を護ることはあっても、現世に影響を及ぼそうとする霊に対して手をかけることはしない。そして現世に影響を及ぼそうとする霊も、守護霊を含め他の霊には手を出さない。これは自分と同じ世界に点在するモノに執着がない事と、そもそも単調な残留思念なので新たな目的を立てるなどといった思考を持ち合わせていない事が起因している。
死霊だろうと生霊だろうと、無意識に共鳴し合うことはあっても決して敵対することはないのだ。
しかし今回、守護霊である彼女達は同じ存在である霊に対し強烈な憎しみを抱き、且つその手で消し去ったと言っている。
最早この霊離れした行動が既に頭を悩ます不可解な問題となっているのだが、ここに二つ目の理由が加わる。
彼の話しが真実だとすれば、相手は《虚ろの世界》を創造出来る相当厄介な怨霊だったといえる。
もしこれを自分が対処するとなった場合、全力で挑まなければならないほどの苦戦を強いられていた事だろう。
だというのに、彼女達はそれを軽くあしらったかのように伝えて来ているのだ。
(いったいどれほど強力な霊体だというんだ……)
初めて彼女達と対峙した時から感じていたが、どうやらこの身震いするような悍ましい感覚は決して大袈裟でも偽りでもなかったようである。
除霊しようとした時は彼女達から抵抗する気配を感じなかったが、もしも拒絶の意思を向けられていたら何かしらの被害が出ていたかもしれない。それどころか、信じたくはないがあの神聖な場でさえ抑え込むのは無理だった可能性さえある。
それではまるで……
「いや、あり得ない」
ヒナタは首を振ると、それ以上考えることをやめた。
そんな事などある筈がないし、遭ってはならない事なのだ。
幸い、彼女達から禍々しさを感じることはあっても、生者を脅かすような危険な気配は今のところ感じられない。
真相は分からないが、恐らく好意を寄せている彼と共にいる限り、現世に危害を及ぼす行為はしないのだろう。
(そんな彼女達に慕われている彼も、大概謎めいているんだけどね)
どう見てもごく普通の学生にしか見えない絆の事を思い浮かべ、心に少し余裕が出来たヒナタが無意識に笑みを零すと、気持ちを切り替えるようにトイレから出た。
そして、リビングの入り口で中の様子をコソコソと覗き込む振袖姿の幼女を見つけた。
「うーむ、あやつを挟んで娘達がバチバチし合っているのを見ておると、どうにもソワソワしてもどかしくなりますなぁ〜。しかし、ふふふ、あやつめ、緊張しすぎて身体が縮こまっておるのが丸分か……んあ?」
そこで幼女が気の抜けまくった顔でヒナタの方へ振り向く。その拍子に、サラサラとした長い黒髪に挿された金色の簪がキラリと光った。
「あれ? 君は……」
「おッ? ……おぉッ!? ……ぅおぬしッ……!!」
幼女の存在に妙な違和感を覚えたヒナタだが、それを確かめるよりも早く全身をガクガクと震わせ始めた幼女の瞳がみるみる見開いてゆく。
そして――
「トイレを流す音が聞こえなかったではないかぁッ!Σ さささてはお主ッ、流しを捻っておらぬなこのバカたれがぁああ〜ッ!!!!」
――などとトンチンカンな事を叫びながらビシッと短い指を突きつけてきた。
「あっいや、すみません、違うんです。入っていただけで使用した訳では……」
「なんとぉ! 用を足さずにトイレから出てくるとはこれ如何にッ!? 不思議な童めぇ〜」
そう言いながらコロコロと表情を変える幼女を前に、どう対応したらいいのか頭を悩ますヒナタ。因みに、なぜ幼女相手に敬語を使っているのかは自分自身よく分かっていない。
「いえ、本当に怪しい者ではないんです。それよりも、君は――」
『それ以上近づけさせないでッ!!』
その時、リビングから神楽那であろう緊迫な声がビリビリと聞こえてきた。
何事かと思い急いでリビングへ戻ろうとする……が、いきなり顔の真ん前に幼女が瞬間移動し――
「――ところでおぬし、ちと話がある」
まんまるな瞳で心の内を覗かれるように語りかけられたかと思えば、次の瞬間――
「………………は?」
――真っ暗な闇の世界に佇んでいた。
「なにが……起きた……?」
有り得ない現象に思わず声が震えてしまう。
まるで思考が追いつかない。
辺りを見回してみても、一面暗闇で何も視認できない。
そして誰の気配も感じられない。
唯一、先程まで居た彼の家の廊下とは明らかに違う硬質な床の感触だけが、自分がそこに存在している事を教えてくれている。
すると、何の前触れもなく数メートル先にスポットライトが照らされ、そこに先程の振袖姿の幼女が目を閉じたまま綺麗な所作で正座していた。
その見違えるような高貴さと気品ある姿に、しばし声もかけず傍観してしまう。
やがて幼女の瞳がゆっくりと開き、澄み切った力強い眼差しが的確にヒナタを捉えた。
「先ずは、先程の数々の非礼な振る舞い、心よりお詫び申し上げまする」
発せられた声こそ幼い子供のそれだったが、その口調はとても堂々としたもので、一言一句が見事に洗練されていた。
「さて、おぬしをここへ呼んだのは先に言った通り、少し話しをしようと思ってな。事が終われば元居た場所に帰す故、何も心配しなくて良いぞ」
「それは……感謝いたします。……いや、しかし……驚いたな。まるで別人だ」
あまりの変わり身に素直な感想を述べると、幼女はフッと大人びた笑みを浮かべた。それが何とも惹きつけられる魅力を秘めており、思わず見惚れてしまいそうになってしまう。
ヒナタは邪念を振り払うように首を軽く振ると、もう一度目の前の幼女を見据えた。
「ところで、さっき初めて君を見た時から思っていたけど、どういう訳か君からは何の気配も感じられない。君は……いったい何者なんだ?」
「ふふふ、先日伝えたばかりというのに、ボケるにはちょこっと早いのではないか?」
「!!」
その言葉を聞いて、驚愕に目を見開くヒナタ。
いや、正直に言えば廊下で声を聞いた時にそうなのではないかと脳裏には過っていたし、更に言えば彼の家の前に着いた時から妙な気配は感じていた。そのせいでチャイムを鳴らすことに少々躊躇いが生じた程である。
しかし、そんな簡単に会えるものだとは思ってもみなかったヒナタにとって、今の発言は確信を得るには充分過ぎるものだった。
「じゃあ、もしかして君がッ………………ヒメコなのか?」
「はいそうです。どうもお初にお目にかか――」
「うおおおぉああああぁああーッ!!!!Σ」
「――ります……うるさいのぅ」
そのあまりの衝撃に我を失ったヒナタの雄叫びをもろに受け、呆れながら耳を塞ぐヒメコ。
ヒナタにとって、それは先日大切にしていた壺が無惨に割られた時以上の破壊力を秘めていた。
「おおぉう教えてくれーッ!! 君はいったい何者なんだッ!? いきなり僕の頭の中に話しかけてきたかと思えば悪霊の彼女達に手を出すなとか人の恋路がどうとかッ、あろうことか僕の力を簡単に打ち破ったみたいなことも言っていたしッ、あらゆる文献を開いてみてもヒメコなんて名前の人物は一切出て来やしない!! 挙げ句こうやって会えたかと思えばそこに存在しているという気配すら全く感じないしッ、虚ろの世界とは明らかに異なるこの謎の空間も意味不明すぎて頭がどうにかなりそうだッ! 訳が分からん!! そもそも何故僕だけに――」
「――やかましいわぁーッ!!!!」
ついに耐えきれなくなったヒメコが、何処からともなく取り出した金色の扇子で勢いよく上から叩きつける仕草をした。
すると距離が離れているにも拘らずヒナタの頭頂部に殴られたような衝撃が走り、「ぼへェ!」と無様な声を上げながらそのまま床に倒れ込んでしまった。
「まったく、本当にこやつを信じて良いのかのぅ」
ウンザリした様子で天を仰いだヒメコは、ピクリとも動かなくなったヒナタを尻目にこの先の未来を想像しながら、深い深い溜め息を吐くのだった――
……はい、ということで二人が出会ったわけなんですけど、果たしてこの出会いが絆達にどう影響するのか、未知数極まりないですね~。
まあ、相性は悪くはなさそうですね。
それはさておき――
なんか作中でヒナタが言ってましたね。
『虚ろの世界』
強力な悪霊が、固執する現世のモノを閉じ込める際に創り出される虚構の世界です。正確には霊の怨みの強さが無意識に具現化され、そこに対象を引きずり込むと言った表現が正しいですね。
放課後の教室で絆達が迷い込んだ場所がまさにそれです。
さて、この怪しさ満載のワードですが、昔に怪奇現象と携わりのあった方達が勝手に命名したもので、それが現代まで引き継がれているだけのようです。なのでヒナタが一人でカッコつけたとかではありません。
それどころか、ヒナタを含む一部の人達は大真面目に向き合っています。
下手をしたら生者の命や存在そのものを脅かしかねない危険な事象ですからね。
夢オチで終わるような恐怖体験……実は虚ろの世界へ連れて行かれてるかも!




