43.浮かれる気持ちも分からないでもなく
今や本人公認のもと絆に取り憑いている守護霊の三人は、学校に向かう絆の後ろから連れ添うようにして家を出たは良いものの、その心中は先程の情報量過多な会話を聞いたせいでちょっとしたパニックに陥っていた。
「どどど、どういうことッ? 新しい女ッ? え待って、それって過去にダーリンと付き合った女が居たってことッ!? ダーリンにそんなヤツが居たなんてワタシ知らないわよ!?」
月白のふわふわロングヘアーに純白をベースにしたロリータファッションを見事に着こなす小柄な少女――雅が盛大な勘違いをしながら驚愕の眼差しで隣にいる二人に声をかける。
しかし二人は雅の事などこれっぽっちも意に介さず、各々の問題に直面していた。
「どどど、どうしようッ! また柊木さんに乗り移る流れになっちゃった! これって、また絆くんと話せるかもしれないってこと!? いや待って、そもそもアタシちゃんと乗り移れるのッ? 自信ないよ!?」
白のカッターシャツの上から黒と赤を基調にした学生服をきっちりと着用したポニーテールの少女――唯が忙しなく表情を変えながら顔を上げたり下げたりしている。
そしてもう一人はというと――
「ハァ……、ご主人さまぁ……」
絆と名乃の会話の途中から恍惚な瞳でずっとそれだけを呟いていた。
両肩の膨らみとロングスカートが特徴的な紺色のパフスリーブワンピースに黒のブーツを履いた、黒髪くびれショートヘアの楓である。
いつもは切れ長な瞳も相まってクールな印象を見る者に与えているのだが、今は見る影もない。
「ちょっとアンタ達、一旦帰ってきなさい!」
そんな収拾のつかない有様に見るに耐えかねた雅が二人に連続デコピンをする。すると楓はハッとしたような表情になり、唯は「ギャッ!」っと声を出しながら固く目を瞑った。
「このッ、アンタいきなり何すんのよ!!」
「……とても痛いわ、雅」
突然の仕打ちにおでこをさすりながら怒鳴りつける唯と、さっきまでの蕩けた顔が嘘のような無表情さで声をかける楓。
そんな二人に、雅が喝を入れる。
「黙りなさい!! この非常時になに三人で面白い顔見せ合ってるのよッ! ダーリンに何処の誰かも分からない女が居たかもしれないのよッ!?」
「それは勘違いされるような言い方だって絆くんが否定してたでしょ!? アンタなに聞いてたのよッ!?」
「マジでぇええええッ!?Σ」
即座に唯に指摘された雅が目を飛び出させる勢いで唯の両肩を掴む。
先程名乃が絆に向かって『新しい女じゃないのか?』と問いただした時、その衝撃の発言に間近で聞いていた雅は思い切り天井に頭をぶつけるほど飛び跳ね、意識が朦朧としていたのだ。おかげで直後の絆の言葉を完全に聞き逃していた。
「なぁんだ、良かったぁ〜」
自分の思い過ごしだったとホッと胸を撫で下ろした雅は、一転して「ダーリ〜〜ン♪」なんてご機嫌な様子で絆に抱き付きに行こうとした…………ところを唯がガシッと掴む。
「こっちは良くないのよッ! また柊木さんに乗り移ることになったんだよッ!? どうしたらいいのか分かんないよッ! 助けてミヤビ!」
「グエッ、ちょど……ユイ! 離じ……グエッ……!」
パニクりすぎて泣きそうになりながら雅の首元を揺さぶる唯と、完全に首がキマって足をジタバタしながらもがいている雅。どちらかと言えば雅の方が助けてほしそうである。
「唯、そろそろその手を離してあげたら? でないと雅が気絶してしまうわよ?」
「あっ、ごめんミヤビ!!」
楓の冷静なツッコミでバッと両手を離す唯。
しかし解放された雅は既に口を半開きにしながら白目を剥いていた。
「ぁー遅かったか……」
「いえ、問題ないわ」
頭を抱えた唯にいつもと変わらない口調で楓が告げると、気絶しながらふわふわ漂っている雅目掛けてズドンと強烈なチョップをお見舞いした。
「へんぶぅううううう!!!!」
破壊的な一撃を脳天に浴びた雅が激しく地面に叩きつけられ、そのまま地面を透過するように勢いよく地中に消える。
そして一撃を放った楓は「これで大丈夫」と、何事もなかったかのように再び絆の後ろを歩き始めた。
「いやいやッ、何が大丈夫なのッ!? てか何してんのッ!? ミヤビ居なくなっちゃったよッ!?」
突然の容赦ない楓の一撃に一瞬思考が停止していた唯が、すぐさま驚きの声を上げる。意識を失った者に対する処置とは、あまりにもかけ離れた……いや、寧ろ意識を奪う為と言っても過言ではないような、そんな凶悪な一撃だった。
「心配しなくても、そのうち出てくるわ」
対する当人は、とても涼やかな声で返答する。
そして楓の言う通り、怒声混じりにいきなり地面から飛び出た雅が、依然として表情の変えない楓の前に眉をピクピクしながら立ちはだかった。
「ちょっとアンタぁ、いきなりあんな暴力を振るうだなんて一体どういう了見かしらぁ〜?」
「あら雅、目が覚めたみたいね。地中はどんな感じだったかしら?」
「んなもん真っ暗で何も見えないわよッ! そんなことより殴る必要がどこにあったのよこの怪力女ッ!!」
軽くあしらう楓にムカついた雅がプンスカ怒鳴り散らす。
「意識を失っていたみたいだから呼び戻しただけよ。さっきアナタも私と唯に同じことをしていたじゃないの」
「おぉおぅおぅ同じぃ!? ワタシとアンタのがぁ!? 全然違うわよバカッ!!」
「いえ、同じよ」
「どこがよッ!? ワタシはちょっと小突いただけでアンタは全力だったじゃないの! 全然違うわよッ!」
「いえ、同じよ」
「同じじゃないッ!! アンタの方がよっぽど強かった!」
「同じよ、雅」
声のトーンは変わらず、目だけで言い聞かそうとしてくる楓に雅が怪訝な顔をする。もしかしたら何か怒らせるような事を無意識の内にしてしまったのかもしれない。
「なんでアンタがそんな必死になってんのよ?」
すると僅かに沈黙が訪れた後、楓が口を開いた。
「とても痛かったの」
「……は?」
思わぬ楓の返答に雅が呆気にとられる。
本当に少し小突いただけで、そこまで深刻になるような強さは勿論出していないし、そもそも深刻というなら間違いなく雅の方がダメージを受けていた。
「何言ってるのよ、アンタがあの程度で痛がる訳ないでしょうが! 冗談も休み休み言いなさいよ!」
さすがにたったあれだけのことで楓が弱音を吐くなど天地がひっくり返ってもあり得ない事は雅も分かりきっているし、それ以前に『この冷徹な女』が本気で弱音を吐いている姿など一ミリも想像出来ないというのが本音だった。だから今の楓の言葉には何かしらの裏があるとしか思えなかった。
すると楓がおもむろに自分の胸に手を当てて呟く。
「ここが、とても痛かったの」
「!!」
その言動に雅が衝撃を受ける。
まさしくそれは、自分もよく痛感している心の痛みに他ならなかった。
「せっかくご主人様の気持ちを至福の想いで噛み締めていたというのに、無情にもアナタにかき消されてしまった。それが何より心苦しかったの。こんなにも胸が締め付けられるような痛みは他にないわ」
「カエデ……」
目を瞑り、とても悲しそうな表情を見せる楓に罪悪感が生まれた雅が視線を落とす。まさか自分の軽はずみな行為がここまで相手を苦しめるなんて思いもしなかった。
「ごめんなさいカエデ! ワタシが悪かった! アナタの気持ちも考えずにッ……!」
「いいのよ雅、お互い境遇は同じだもの。私も酷いことしてごめんなさい」
「違うわッ、ワタシが悪いの! ごめんね!!」
そう言って抱きついて来た雅を優しく受け止める楓だったが、その全てを見ていた唯は二人の掛け合いに途轍もない違和感を覚えていた。
(え? いや待って、これってどうみてもカエデがやりすぎただけなんじゃないの? なんかミヤビ騙されてない!? てゆーか、いつの間にか話しの論点ズレてる気がするんだけどぉ!?)
今の状況に一切頭がついていけてない唯が唖然としていると、雅を見ている楓の顔が妖しい笑みを浮かべていた。
(いやカエデってば絶対にミヤビの事イジって楽しんでるだけじゃんッ!! 絶対ミヤビ騙されてるじゃんッ!!Σ それとも、ミヤビに邪魔されたことがそんなに嫌だったっていうのッ?)
色々とワケが分からない楓の言動に『カエデって怖ッ』なんてひっそりと感じていると、突然楓と目が合った。まるで心を読まれたかのようなタイミングに唯の身体がビクンと跳ね上がる。
「唯? どうかしたの?」
「ぇえっ? う、ううん! 何でもないよッ? アハハハ!」
なんとか取り繕おうと笑顔で誤魔化す唯だが、幸い楓は首を傾げるだけで特に追求はしなかった。
「それにしても唯ったら、まさか私達の想いをご主人様に伝えていただなんて、本当に驚いたわよ」
先程の絆と名乃の会話によって初めて聞かされた事実に、楓が関心を示すような視線を唯に向ける。
「そうよッ! さっきはアンタだけが抜け駆けしたのかと思って危うく頭がどうにかなりそうだったわ、まったく!」
腕を組み、色々と複雑な思いを抱えた雅がそっぽを向く。
始めに名乃が言い放った「ユイの告白」という言葉を耳にした時、一目散に唯に掴みかかってしまったのだ。おかげで真相を聞いた時は恥ずかしさと申し訳なさでちょっといたたまれなくなっていた。
ちなみに直前で天井に頭をぶつけていたのも雅である。
「でもこんな大切なこと、いったい何時ご主人様に伝えたのかしら、唯?」
「何時って、アンタ達が幸せそうに寝ていた時だけど?」
「……ああ、あの時ね」
当時を思い出すようにして答えた楓の顔が、ほんのりと紅潮する。あの時に味わった、まるで全身が蕩けていくような快感を反芻しているのだろう。
「そういう大事なことはすぐに教えなさいよ!! それとも何? 自分だけがダーリンとお互いの気持ちを共有してるみたいな、そういう『一歩リードしてます』的なポジションが狙いなワケ!? この裏切り者!」
「すんごい言われようでメチャ腹立つけど、アタシだって絆くんの気持ち知ったのさっきのが初めてだったんだからね! さっきの……」
そこまで言った唯が突然言葉を切ると、次第に何かを考え込むような顔つきに変わっていった。
そして唯の話しを聞いていた雅もまた、物思いに耽るように目を伏せた。
「…………ねえ、アレってさ……」
少しの沈黙の後、唯が口を開く。
「アタシ達、喜んでも……いいんだよね?」
恐る恐るといった感じで言葉を紡ぐ唯に、楓が前を歩いている絆を見ながら答えた。
「あの時ご主人様は、私よりも大切なのかと尋ねた柊木名乃に対して『お前とは方向性が違う』と言っていたわ。そして先日、ご主人様は柊木名乃のことを『家族みたいなもの』とも言っていた。つまりこれは――」
「――待って!」
そこで雅が俯いたまま声を上げる。
そして震える両手をゆっくりと口元に持っていった。
「待って……待って待って、…………ホントに? ホントに……そういう意味ってことなの? ……信じちゃっていいの? ヤバいわよ、こんなのッ……」
顔は湯気が出そうなほど真っ赤に染まり、チラリと絆の後ろ姿を映す瞳は完全に恋心を抱いた男性を盗み見る柔順な少女のそれになっていた。
「ちょっとッ、アンタがそんな反応するから……アあアタシまで変に意識し始めちゃったじゃないのッ……!」
普段の雅らしからぬ乙女チックな仕草に感化された唯も、顔を真っ赤にしながら顔を背ける。
「だってこんなのッ……ぁ、ダメ…………ごめ、ニヤけそうになるの止まんないッ……!」
そう言って、とうとう顔を両手で覆ってしまう雅。時折り可愛らしく呻くような声が漏れ出ていた。
「分かるわ二人とも。私もこの結論に行き着いた時、周りの全てがどうでもよくなるほど胸が高鳴っていたわ。最終的に雅に引き戻されてしまったけれど……」
そう言って雅が顔を隠しているのを良いことに冷ややかな視線を送る楓。
しかし雅は雅で、自分が今どんな視線を向けられているのかくらいは容易に想像出来ていた。
「そのことについては、本当にごめんなさい……」
本当に自分が悪いと思っている雅が、少し潤んでいる目元だけを露わにして素直に謝る。まだ鼻と口元を覆ったままではあるが、その目と声色からしっかりと反省の色を窺うことが出来た楓は、小さな溜め息を一つ吐くと漸く肩の力を抜いた。
「まったく、本当に可愛いんだから」
「な、なによいきなりッ?」
「ふふっ、何でもないわ。気にしないで」
妙に機嫌が良くなった楓を見てどうにも納得いかない様子の雅。
そんな中、唯がニヤリとした表情で楓を見る。
「あら唯、そんな顔で見てほしくないわ」
「ぃや〜だってカエデったら、そういう自分だって今じゅ〜ぶんカワイイってこと絶対気づいてないだろうから」
「私が? どういうこと?」
言われた意味が分からず困惑の表情で問いかける楓に、唯が続けて話す。
「んまあ、何だかんだでカエデも子供らしいところがあったって事かな? 結構意外かも、二ヒヒ〜♪」
両手を頭の後ろに組んでいたずらチックな笑みを浮かべる唯に、やれやれといった表情の楓が挑発するように目元を細めて告げた。
「もう唯ったら、あんまりおいたしてはダメよ、ウフフ♪」
その不敵な笑みにゾクっとした唯は『やっぱりカエデって怖ッ!』なんて再確認しながら引きつった笑みを浮かべていた。
「でもあれよね、まだダーリンに直接返事をもらった訳じゃないから、コレを機に調子に乗らないようしっかり注意しないと」
雅の冷静な判断に楓と唯も賛同の意を見せる。
せっかくお互いにとってとても良好な関係を築けているというのに、ちょっとした事で自分達の好感度を下げてしまっては目も当てられない。
「そうね。と言っても、変なことをするのはアナタくらいしかいないけれど」
「なッ!? そんなことしないわよバカッ!!」
「だといいんだけどね〜」
現世に干渉出来るのがほとんど雅だけだと分かっている二人は『どうせこの子はやらかすんだろうな〜』なんて半ば諦めながら心の中で溜め息を吐く。
そして言ったそばからウキウキ顔で絆に抱き付きに行った愚かな女に、コイツ本気で殴ってやろうかと思う唯と楓なのだった。
過去にも記述しましたが、彼女達のような霊体には痛覚というものがありません。
ただ生前の記憶を元に、痛いと錯覚しているだけです。
すると気になるのは『心の痛み』という点なのですが、
では彼女達は生前《誰かに恋心を抱いた事があるのか》といえば、それに近しい感情を抱いた者は居ます。
お前は何てことを言ってくれるんだと思うかもしれませんが、彼女達だって人生というものがあったんですから、その時間の中で誰かに対する憧れの一つも抱いたことはあったでしょう。
――ですが、実を結んだ事は一度もありませんでした。
この事実をどう受け取るかはさておき、
『心の痛み』とは早い話しがネガティブな心情です。
当然、霊体の彼女達も生前から持ち合わせていた感情なので容易に想像→錯覚を引き起こせます。




