3.全ては心の持ちよう
「……あれ? ……なんだ? ……何が起きたんだっけ?」
暗く、濃度の高い沼にゆっくりと沈んでいくような感覚。
身体の自由は利かず、空気も重く耳鳴りが酷い。
いつからこうなったのか、微睡む意識から記憶を掘り起こす。
たしか、いつも通り母親からの言いつけを守る為に街へ買い物に来ていたはずだったが、それからどうなったのか全然思い出せない。
なんとなく身体がふらついて倒れたような気もするが、意識がぼやけ瞬く間に考える事が億劫になる。
「――っと、――――じょうぶ?」
なにか聞こえる。女の子の声だ。
「――ったら! ――――てよっ!」
遠くの方から女の子の緊迫した声が近づいてくる。
「――っと!! 目を覚まして!!」
「ッ!?」
鮮明に聞こえた声で目を開けると、街の喧騒のなか目の前で心配そうにこちらを覗き込むおじさんが居た。
「大丈夫かい、あんた」
「えっ、……あれ? ぁ……痛っつつッ。くぅ~、なんだよこれッ」
起き上がろうとして、後頭部に殴られたような痛みが走る。
「いきなり目の前で倒れたからビックリしたよ、ホントに大丈夫かい?」
「あぁいえ、お気遣いなく。すみません」
「そうかい? 気をつけるんだよ」
「あっはは、……どうも」
起きながら苦笑いで返事をすると、気の優しそうなおじさんは立ち去った。
「……女の子の声がしたと思ったけど、聞き間違いだったのか?」
まだジンジンする頭で周囲を見渡すが、怪訝そうに一瞥する人が通り過ぎるだけで、さっきのおじさんの他に自分を気にかけてくれている人は居ない。
――それにしても、まさか自分が倒れるとは。
「疲れてんのかな」
生活に支障が出るほどの事ではないのでさほど気にしていなかったが、近頃妙に身体が重く感じる時があった。
仕事の都合で母親が家を空けてからというもの、一人で暮らしているせいか生活習慣が乱れ始めているのかもしれない。
「ハァ…………買い物済まそ」
こんな人通りの多い道のど真ん中でそんな事を考えても仕方ないので、とりあえず目的の店に向かう事にした。
「ねえちょっと!? 今の聞いた!? コイツってば……絶対に今アタシのこと意識してたわよね!? もぉ聞き間違いじゃなくてちゃんとここに居るのに~! いい加減気づきなさいよ!」
彼への思わぬアプローチにころころと表情を変える興奮気味の唯。
「それは無理よ。この人、貴女に対しては超鈍感だもの」
「ハァ……そうよね。ったく、何でアタシだけ……。っていうかアンタ、コイツの頭殴っておいて結構冷静なのね」
「いえ、今も内心ヒヤヒヤしているわ。死にはしないかしらって」
「冷静な顔してブッ飛んだこと言ってんじゃないわよ」
「ごめんなさい。……でも、こんなにもはっきりと干渉できたのは初めてよ。いったい何が原因だったのかしら」
「さぁー、どうせ後ろで引きずられてるあのボロ雑巾が原因なんじゃないの?」
そう言ってゴミを見るような目で一瞥すると……
「ァァ~~ァァ~~ァァ~~」
目をくるくるさせて引きずられている威厳もへったくれもないロリ娘がいた。
「まったく、アーアーうるさいのよ。他所でやってくんない?」
「確かに今すぐここから消えて欲しいのは共感するけれど、それも無理なことは貴女も知っているでしょ?」
「分かってるわよ。コイツに取り憑いてからというもの、変な鎖にでも縛られてるみたいにコイツから離れられなくなっちゃったからね、アタシ達」
「あら、離れられるのなら、離れたいのかしら?」
「ばっ!? 別にッ……離れたいとは言ってないでしょ? ……むしろ、コイツには感謝してるんだから」
「フフッ、そうね。どうしようもなかった私達の地縛を解いてくれた、大切な人ですものね」
「当然よ! それ以来ワタシはずっと心に決めているわ。地縛霊としてではなくダーリンの守護霊として! いえ、ダーリンの妻として!! 未来永劫ともに生きて行こうと!!」
そう言って割り込んできたのは、先程までボロボロだったのが嘘のように輝きを取り戻した雅だった。
「チッ、うるさいのが復活したわね。そもそもアンタ生きてないでしょ」
「心は生きてるわ! 毎日がハッピーライフなんだから! それに変な鎖じゃなくて、ダーリンとの赤い糸って言ってもらいたいわね」
「その赤い糸とやらに引きずり回されてたのはどこの誰だったかしらぁ?」
「うっ……」
唯に痛いところを突かれた雅が思わず後ずさる。
「そもそもアンタが一方的なだけで、コイツはアンタの存在すら気づいてないわよ、きっと」
「ううっ……」
「大体アンタ、さっきコイツのこと身代わりにしてたよね?」
「それはッ……妻を守るのも…………夫の務め――」
「――てゆーか今どき赤い糸とか言わないでしょ。これだから古い人の考えは」
「ぅううーっさいわねぇ!! いいじゃないの別に夢見る乙女になったって! なによさっきからッ! ワタシだって一度くらい恋してみたいわよ! どうせ生前は色恋話しの一つもないつまらない女だったわよ! リア充爆ぜろブァーカ! ムキームキー!!」
目を血走らせド派手に火山が噴火したようにプンスカプンスカ怒りを爆発させる雅。
「……この人、よく悪霊にならなかったわね」
「お取り込み中のところ悪いのだけれど、何だか前の様子がおかしいわ」
「えっ?」
至ってマイペースな楓に言われて前を振り向くと、人混みに紛れていくつもの悲鳴が聞こえてきた。
「何かあったのかしら?」
現世への干渉について。
現世への干渉条件は霊それぞれ違いますが、一つだけ共通している条件があります。
それは《強烈な怨み》です。
この場合、怨みの対象である人や物に対してのみ干渉を発揮することが出来るのですが、
では今回、楓は彼に強烈な怨みを抱いていたのかと言えば、そんなことはありません。
お前は何を言っているんだと思うかもしれませんが、要は、『今から干渉しようとする対象が自分にとっての怨みの対象だという明確な意思を持っていれば、たとえ対象が違っていても干渉してしまう』と言うことです。
つまり勘違いでも怨みの強さ次第では何にでも干渉出来ます。迷惑極まりないですね。
そして今回の楓ですが、雅が咄嗟に彼と入れ替わった事に気づかなかった弊害です。彼からしてみれば完全なとばっちりです。
加えて、彼女達は干渉条件について何一つ知りません。
なんか良く分からないけど干渉出来た――そんな気持ちです。迷惑極まりないですね。