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宝石令嬢は帝宮で銀色の夢を見る  作者: 宮前葵
第三章 婚約編

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第四十四話 ユリアーナ様の難題(下)

 私はもう小細工は使わずに、真正面からユリアーナ様に面会依頼を出した。


 この時に「ガーゼルド様も同席します」とわざわざ明言した。これで私の意図はユリアーナ様に伝わったと思う。


 依頼は通って一週間後にお茶会が設定された。ずいぶん悠長なようだけど、私もガーゼルド様もユリアーナ様も忙しいからね。


 ただ、私たちは社交で同席することもあるし、夜会で控室を共にすることもあるので、そこでお話が出来ない事はなかった。


 しかしそれをしないことで、私はこのお話が非常に機密性の高いお話であり、そんなに軽々しくお話し出来ない事である事を暗に示したのだった。


 当日、私は青いドレスを身にまとい、サファイヤ主体のアクセサリー構成の、真っ青な格好でお茶会に向かった。エントランスに迎えに出てくれたガーゼルド様が目を瞬く。


「ずいぶん極端なコーディネートだな」


「必要でしたので」


 私の返答にガーゼルド様は戸惑ったようだけど構わない。すぐに分かる。


 今回のお茶会にはイルメーヤ様は招待されていない。彼女はずいぶん怒ったし、私に抗議したけど、お茶会の主催は私ではなくユリアーナ様だ。お義母様がイルメーヤ様を招待しなかったのは思惑があるからだろう。私にはどうにも出来ないとはぐらかした。


「もう! 後でどういう話なのか教えてよね!」


 とイルメーヤ様はサロンに入る直前まで付き纏って、最後にブリブリ怒ってこう言ったけども、多分、全部は明かせないお話になると思うのよね。


 ユリアーナ様私室付属のサロンはいくつかあるけど、今日はその中でも奥まった所にある狭いお部屋が使用された。窓も小さく、内装は豪華だけど少し暗い。


 明らかに密談用のお部屋だと思われる。これではイルメーヤ様が盗み聞きを企んでも難しいだろう。今頃地団駄踏んでいるに違いない。


 ユリアーナ様は薄い、白に近いピンク色のドレスでイヤリング、ネックレス、指輪はサファイヤで珍しくピンクダイヤは身に付けていなかった。テーブルの上に、この間見せて頂いた宝石箱とカメオの箱があらかじめ置いてあるのが見えた。


 私とガーゼルド様は並んでご挨拶をしたのだけど、ユリアーナ様はむっつりとした顔をなさっていたわね。


「なぜガーゼルドがいるのですか?」


「ご面会依頼でそのように言付けた筈ですけど」


「この事は他言無用と言ったではないですか」


「ガーゼルド様が勝手に突き止めてしまったのですよ。ここまで来たら一緒でしょう。それに、お兄様のことですしガーゼルド様も知りたいでしょう」


 私はいけしゃあしゃあと言った。ユリアーナ様が内心、ガーゼルド様にも伝わることを意図していた事を見通しているなどおくびにも出さない。


 私とガーゼルド様はユリアーナ様の前に座り、とりあえずお茶を一口飲んだ。ガーゼルド様が緊張している事が伝わってくる。


 ガーゼルド様はユリアーナ様の前に出る時はいつも若干緊張気味なのだ。ユリアーナ様の態度も超然としていて、家族を前にしてくつろぐといった感じではない。


「それで? 何か分かったのですか?」


 お茶を一杯飲み終わったタイミングで、ユリアーナ様が口火を切られた。私は一瞬迷う。でも、クッキーを飲み込んでから、私はいきなり爆弾を放り込んだ。


「ユリアーナ様は、色が分からないご病気なのでしょう?」


 私は質問するように言ったけど、これは確認だ。お部屋の中がザワっと揺らいだ。侍女たちが明らかに動揺している。ガーゼルド様も目を丸くしていた。


「ど、どういう事なのだ!」


 公妃様を病人扱いするなんて、例え義理の娘でも許される事ではない。でも、私は落ち着いてこう言った。


「病気というか、先天的に色の違いが分からない方、というのがいらっしゃるのですよ。それほど珍しい話ではございません」


 色の違いが分からないと言っても、一部の色の違いが分かり難いという方から、すべての世界が同じ色に見えてしまう重症の方までいるみたいなんだけどね。


「ユリアーナ様はおそらく、赤と青は同じに見えてしまうのだと思います」


 あの宝石箱の偏りはそういう事だったのだと思われる。あの時ユリアーナ様はご自分の目では同じ色に見える石を宝石箱に集めさせたのだ。


「そ、そんな事が……」


「試してみましょうか? ユリアーナ様。私は今日、一つだけ装いの中に赤い石を着けております。それがどれだか当ててみて下さいませ」


 ガーゼルド様も侍女たちも一斉に視線をユリアーナ様に集中する。ユリアーナ様は優雅に微笑んだまま仰った。


「いつぞやの意趣返しというわけですか?」


 最初のご対面の時、ユリアーナ様はすべての宝飾品をガラス玉にして、たった一つ、琥珀の髪飾りだけを本物にして私に当てさせた。その事を言っているのだろう。


 実際、この時の私もサファイヤはすべてガラスコーティングにしていた。そして胸の中央に大きく輝く赤い石はコーラル。珊瑚だ。つまり生物由来素材なので魔力が篭らない。


 魔力を頼りに鑑定出来なくしてあるのだ。ただ、大きい石なので見れば簡単に色は分かる筈である。


 しかしユリアーナ様は首を横に振ってこう仰った。


「分からないわ。意地悪な嫁ね」


 やっぱりそうだったか。私は内心ホッとしたんだけど、驚愕したのはガーゼルド様だ。


「し、しかし母上は宝石鑑定の名人ではないか! 色が分からなくてどうやって宝石を見分けていたのだ?」


 ユリアーナ様は黙っていたので、仕方なく私が解説する。


「魔力で見ていたのでしょう。記憶が見える程ではなくても、魔力の感じで宝石が見分けられたのだと思います」


 ある意味、見た目に誤魔化されないのだから最強の鑑定術だ。私の言葉にご自分も宝石に籠った魔力が分かるガーゼルド様は納得したようだった。


「な、なるほど。確かに宝石ごとに微妙に魔力の篭り方が違うからな。……しかし、そんな微妙な違いを全部覚えておくのは大変だぞ」


 色の違いが分からないユリアーナ様にはそれ以外の方法が無かったから、一生懸命覚えたのだろう。それで一流の宝石鑑定家になったのだから凄い努力だ。


「間違いございませんね? ユリアーナ様?」


 私の問いにユリアーナ様はゆるりと頷いた。


「ええ。間違いありません」


 あれだけヒントを出してあげたのだから分からないようなら興醒めでした、という副音声が聞こえた気がしたわね。


 私は素知らぬ顔で話を続ける。


「ユリアーナ様は赤と青の区別が付きません。ですからハーヴェイル様の瞳が赤だったか青だったかが分からなかったし、ハーヴェイル様のお好きだった宝石が何だったかも分からなかったのでしょう」


 おそらく、ユリアーナ様の目にはハーヴェイル様の青い瞳はピンクダイヤの色と似て見えたのだろう。後は魔力の問題だろうか。ハーヴェイル様の魔力がピンクダイヤの放つ魔力に似ていたのかもしれない。


 あまりのことにガーゼルド様は絶句し、ユリアーナ様の秘密を見抜いた私を侍女たちは(侍女は知っていて厳重に秘していたのだろう)怖れるような目で見ていたけど、ユリアーナ様は余裕のある微笑みを変えなかった。


「……それで? ハーヴェイルが手に取った石は何だったか分かったのですか?」


「分かりました」


 即答した私に、ユリアーナ様がここで初めて小さな動揺を見せた。余程、長年その小さな息子との小さな想い出を大事にしていたのだろう。わずかに声も震えていた。


「そう。その石は?」


「その前に、ユリアーナ様にお聞きしたい事がございます」


 情報の価値を確認してから、私は取引に移った。私は商人だもの。タダでは働かないわよ。


「どうしてユリアーナ様はガーゼルド様を可愛がらなかったのですか?」


 私の言葉にユリアーナ様の頬が少し引き攣った。かなり動揺したと思われる。ガーゼルド様が慌てたように仰った。


「レルジェ。私は可愛がられていなかったとは思っていないぞ」


「いいえ、ハーヴェイル様やイルメーヤ様は私室に招いて遊んだにも関わらず、ガーゼルド様だけはお部屋にお招きにならなかった

というのは、明らかにガーゼルド様には隔意を示されていると思えます」


 私はユリアーナ様をジーッと見つめる。ユリアーナ様は居心地が悪そうに身じろぎした。


「おそらく、成人前にはろくに会った事もなかったのではございませんか? ガーゼルド様が乳母を早くに亡くした事情を察していたにも関わらずです」


 私はガーゼルド様のために腹を立てていた。


 乳母も母もおらず、女性に親しく面倒を見てもらえなかったせいで、ガーゼルド様の女性観は歪んでしまったのだ。


 こんなに非の打ちどころのない素晴らしい男性に育ったにも関わらず、女性を避けて育った結果、貴族女性とは一風変わった私なんかに目を付ける羽目になったのだ。


 彼ならばいくらでも他に素敵な公妃に相応しい女性を見つけられた筈なのに。なんだって私みたいな庶民女に拘って、娶るために要らぬ苦労を色々しなければならなかったのか。


 それもこれも全部ユリアーナ様がガーゼルド様に母親の愛情を注がなかったからだ。


 私は複雑な思いを胸に渦巻かせながら、ユリアーナ様に向けて大きな声で言った。


「謝ってください!」


 ユリアーナ様が目を丸くする。


「ガーゼルド様に謝ってくださいませ! そうしなければ、答えは教えてさし上げません!」


 私が宣告すると、部屋の中に沈黙が満ちた。侍女たちなんて愕然としてしまっているわね。ガーゼルド様は柄にもなくオロオロとしている。


 しかしユリアーナ様は私の事を、そのピンク色の瞳で睨んでいた。


 私も睨み返す。どうしてもここは譲る気にならなかったのだ。


 ユリアーナ様の事情は分かる。同情も出来る。失ったハーヴェイル様を想うあまり、ガーゼルド様を愛せなくなったのだろう事は理解出来るのだ。


 でもそのせいでガーゼルド様が、私の大事な婚約者が、幼少時に寂しい思いをさせられたのが許せない。その寂しさを埋めるために、彼は自分を律し努力して公爵家嫡男に相応しくあろうとした。


 その頑張りを、私はユリアーナ様に認めてほしい。ユリアーナ様は私の努力を認めて下さって、私を助けて下さったではないか。


 ガーゼルド様がちゃんと母と慕うユリアーナ様に、ガーゼルド様を認めて欲しいのだ。自分が、彼を我が子と認めなかった事について謝って欲しいのだ。


 ……そこに、どんな理由があるにせよ……。


 ユリアーナ様は私の事を怖い顔で睨んでいたけど、私は一歩も引かなかった。ひび割れるほど緊張した空気の中、誰も動く事は出来なかった。


 ……やがて、ユリアーナ様が諦めたように目を伏せた。


「貴女に頼めばこうなる事は分かっていたのですから、覚悟を決めておくべきでしたね」


「は、母上」


 ガーゼルド様が思わず立ち上がる。


「私は母上に愛されなかったなどとは思っておりませんぞ」


「いいのですよ。ガーゼルド。無理をしなくても。幼い頃の貴方を、十分に愛して上げられなかった事は事実なのですから」


 ユリアーナ様の返答にガーゼルド様は絶句する。ユリアーナ様がはっきりと「愛して上げられなかった」と仰ったのがショックだったのだろう。


「確かに、私は亡くしてしまったハーヴェイルに拘るあまり、貴方を遠ざけてしまった。貴方には何の罪もないのにね。許して下さい。ガーゼルド」


 立ち尽くすガーゼルド様の手を、私は握った。頑張って、と心で励ます。


「今は、次期公爵として貴方を頼りにしています。これは本当です。レルジェと共に、公爵家を継ぎ、帝室を支えて下さい。どうか、お願いします……」


 ユリアーナ様は頭を下げる。……やっぱり、言わないのか。私は少しの失望と、安堵を覚えた。その事を知って、ガーゼルド様が冷静でいられるかどうかは分からない。知らない方がいいのかも知れないわね……。


「なぜ」


 ガーゼルド様のお声が部屋に響いた。やや大きなお声だったけど、しっかりした口調だったわね。


「ハーヴェイル兄上の事を私に隠したのですか?」


 ガーゼルド様の言葉に私は少し驚いた。予想していた質問と違ったからだ。ただ、彼の手は熱く、その質問が重要なものである事はよく分かった。


 ユリアーナ様は美しい姿勢で座ったまま、ガーゼルド様の事をジッと見上げていた。いつも通りの、厳しくも優しい視線で。


「……貴方の、予想した通りの、理由だと、思いますよ。ガーゼルド」


 ユリアーナ様はゆっくりと音節を区切るように仰った。


 その瞬間、ガーゼルド様の手から力が抜けた。


「ありがとうございます。母上。胸のつかえが取れた気分です」


 私には分からなかったが、今の質問と答えは母子にとって非常に重要なものだったようだ。


「一つ申し上げておきますが、私は子供の頃から母上の事を唯一の母と慕っております。それは今までもこれからも変わりませんよ」


 ガーゼルド様の口調は、優しかった。ユリアーナ様も柔らかく微笑んで仰った。


「ええ、私だって貴方を唯一の自慢の息子だと思っておりますよ」


 今は、と付けなかったのはユリアーナ様の矜持だろうか。彼女はガーゼルド様の前ではハーヴェイル様の事をずっと秘密にしてきた。


 こんな事でもなければ明かすつもりもなかっただろう。だからユリアーナ様はこれまでずっと、ガーゼルド様を唯一の息子として扱ってきたと言える。これまでユリアーナ様がガーゼルド様を蔑ろにしたとか悪く言ったという話は聞いたことがない。


 ただ、幼少の頃、ハーヴェイル様の面影がガーゼルド様に浮かんでしまう頃は、近付く事が出来なかったのだと思われる。それは、ある意味仕方がないことではある。


 しかしこれを機会に、夫と義母の蟠りが解けてくれるなら、嫁としては願ったり叶ったりである。……逆になってしまう可能性もあったのだから……。


「さて、もういいでしょう? 貴女の希望は叶えましたよ。レルジェ。そろそろ答えを教えてちょうだいな」


 ユリアーナ様が私をギロっと睨む。ユリアーナ様としてはガーゼルド様とここまで突っ込んだお話をする気はなかったのかもしれない。でも、それでは私の気が済まなかったのだ。


 でも、私も満足した。そろそろ種明かしをいたしましょう。


 私はテーブルの宝石箱を開くとその中から無造作にその石を取り出した。


「これです」


 それを見てユリアーナ様もガーゼルド様も興味津々に見ていた侍女も目を丸くする。ユリアーナ様は眉を寄せて低い声で仰った。


「ふざけているのですか? レルジェ」


「ふざけてなどいませんよ。これに間違いありません」


 私が取り出したのは無色透明の水晶だった。綺麗な球状に加工されている。大きさは私の親指の先ほど。質は非常に良い。


 何かの宝飾品から外れてしまったものではないかしら。それが宝石箱の中の修繕用具入れの中に転がっていたのだ。


 ユリアーナ様がかなり動揺したご様子で仰った。


「おかしいです。あの時、私が一瞬見た時、あの石は青かったのですよ」


 ユリアーナ様は青と赤の見分けがつかない。なのでこの場合、その石は青か赤かどちらかの石だということになる。


 さすがに透明と赤か青の違いは分かると言いたいのだろう。しかしながら、そうでもないのだ。


「水晶は、偏光効果がありますからね。色が石の中で反射するのです」


 ユリアーナ様がハッとした表情になる。水晶玉は光が内部で屈折し、向こう側の物が上下逆に見えたり、とんでもない方向の物が光の加減で映り込んだりする性質がある。


 私はその水晶玉を窓からの日差しに翳した。


「そうです。ユリアーナ様が見たのは、水晶玉に反射したハーヴェイル様の瞳の色だったのですよ」


 だからユリアーナ様にはハーヴェイル様が手にした宝石がなんだか咄嗟には分からなかったのだ。青いのに、ユリアーナ様の知っているどの青い宝石とも魔力が違ったんだろうね。


 色合いだけを覚えていたユリアーナ様はその時ハーヴェイル様が触っていた宝飾品の中から青い宝石を集めて私に見せた。サファイヤが多かったから青と赤の区別が付きにくいユリアーナ様にもはっきりと青だと感じられる色だったのだろう。


 ユリアーナ様には、ハーヴェイル様の瞳はピンクダイヤの色に見えていた筈だ。だからユリアーナ様はピンクダイヤがお好きなのだから。


 しかしあの時、ハーヴェイル様の瞳の色に染まったこの水晶はサファイヤのように青く見えた。ユリアーナ様が初めて、ハーヴェイル様の本当の瞳の色を見たのではないだろうか。


 ユリアーナ様は呆然としていたわね。この水晶には確かに、青い目の少年が石を覗き込む様子が一瞬だけ記憶されている。それがハーヴェイル様だという確証はないけどね。


 私はユリアーナ様に水晶玉を手渡した。もしも補修用具の間に紛れ込んでいなければ、さして高価でもないこの石は残っていなかった可能性が高い。運が良かったのだ。


「……そう……。あの色は、あの子の瞳の色だったのね……。どうりで……」


 ユリアーナ様は水晶玉を右手で握り込むと、それを胸に抱くようにした。そしてしばし俯いて黙り込む。


「それにしてもどうして分かったのだ? レルジェ」


 ガーゼルド様の問いに私は肩をすくめた。


「私はユリアーナ様の眼力を信じておりますから。お義母様にも分からなかったのであれば、色でも魔力でも分からない石だったのだろうと思ったのです」


 青い瞳を映し出したのではないか? と予想して、透明なダイヤモンドか水晶だと当たりを付けたのだ。もしも現物がなければそういう説明をするつもりだった。


 ユリアーナ様は静かに俯いていたけど、やがてゆっくりと顔を上げた。さすがはお義母様。すっかり表情も雰囲気もいつも通りだったわよ。


「ありがとうね。レルジェ」


 私はお作法を守って一礼する。


「お義母様の娘として、当然の事をしたまでですわ」


「ふふ、恐ろしい娘が出来てしまった事」


「お義母様ほどではございませんよ」


 私とユリアーナ様は顔を見合わせてウフフ、オホホと笑い合ったのだった。


  ◇◇◇


 私とガーゼルド様はユリアーナ様の所を辞して、二人で並んで歩いていた。今日は私は皇太子宮殿に帰るつもりだ。エントランスホールに行くまでのしばしのデートである。


 ただ、ガーゼルド様も私もずっと無言だった。私はガーゼルド様の気持ちも分かるので話し掛けなかった。彼の腕に手を添えてゆっくりと歩く。


 彼が考えている事は分かるつもりだ。もう大概付き合いは長いし親密だからね。


 しかしその時の彼の言葉は少し意外だった。


「ありがとう。レルジェ」


 ……私はガーゼルド様の表情を見上げたのだけど、彼は穏やかに微笑んでいるだけだった。ただし、私の方を見ていない。前方を見ている。


「余計な事ではありませんでしたか?」


「いや、母上のお心が知れて良かった」


 そう言いながら、彼は少し目を伏せた。


「……母上の、ご病気な」


 色の区別が付きにくい疾患の事だろう。あれは正確には病気じゃないんだけどね。


「はい」


「あれは、子にも伝わるのではないか?」


 ……さすがはガーゼルド様。気付いていたのか。もしかしたら知っていたのを思い出したのかもしれないけども。


「ええ。そう聞いていますね」


「そうか。やはりな」


 ガーゼルド様はそれ以上仰らなかったけど、そのご様子からすると、きっと気付いたのだろうね。


 色の区別が付かない疾患は、子供に引き継がれる事が多いのだ。特に母親から男の子には強く伝わるらしい。


 しかし、ガーゼルド様にはその疾患が引き継がれていない。もちろん、引き継がれない場合もあるのだろうけどね。


 だがこの事はある疑念を抱かせるには十分なのである。


 つまり、ガーゼルド様はユリアーナ様の実のお子ではないのではないか? というね。当然ガーゼルド様はこれに気付いただろう。


 ……なんとも言えないというのが本当のところだろう。今現在公爵閣下に愛妾はいらっしゃらないし、女好きという話も聞こえてこない。


 そのことから考えると、何らかの事情があって、お子を得るために愛妾を娶らざるを得ない事情があったのではないか? とも考えられるのよね。


 例えばユリアーナ様がハーヴェイル様以降のお子を望めないお身体になってしまった、とか。それで密かにご愛妾に産ませたお子を実子として引き取ったのかもしれない。貴族としてはそれほど珍しくない事なのだろうけど。


 公爵家のためにはやむを得なかったのかも知れないけど、それはユリアーナ様のお気持ちは複雑だっただろう。ましてガーゼルド様のお顔立ちはハーヴェイル様の面差しに似ていた。


 それでユリアーナ様は子供の頃のガーゼルド様をお側に近づけなかったのだと思う。可哀想なガーゼルド様。まぁ、それはさっき直接謝って頂いたからもういいけどね。


 亡き兄上と色の区別が付きにくい疾患の事をガーゼルド様に知られれば、勘のいいガーゼルド様にこの問題を察せられてしまう可能性がある。それでユリアーナ様はハーヴェイル様と疾患の事を極秘になさったのだろう。


 今回秘密を明らかになさったのは、これ以上隠し切れないと思ったのか、それとも私とガーゼルド様の結婚を前に何らかの心境の変化があったものか。


 ……いずれにせよ、ガーゼルド様には大ショックなことばかりだっただろうね。でもいずれは知らなければならなかった事だと思う。だからユリアーナ様は今回ガーゼルド様の同席を認めたのだ。


 そもそも私が知れば当然夫になるガーゼルド様にも伝わってしまう事だしね。ガーゼルド様だけに隠しても意味がないと思われたのだ。


 それっきりまた無言になってしまった婚約者の横顔を私は見上げる。廊下の窓からオレンジ色の西陽が差して、ガーゼルド様の秀麗な顔立ちに濃い影を落としていた。


 私は未来の夫の腕を引いて歩みを止めさせた。ガーゼルド様は不思議そうな顔をしながら私を見下ろす。


「なんだ?」


 思ったよりも沈んだ表情ではなかったけど、私はガーゼルド様をまっすぐ見上げて言った。


「私がいますよ」


 ガーゼルド様の眉が意外そうに大きく動いた。……確かに私らしくないセリフだったかもしれない。ちょっと自分の頬が赤くなるのを感じる。大丈夫。夕日のせいで私の頬は琥珀のように染まっている筈だから。ガーゼルド様にはバレていないわよね。多分。


 ガーゼルド様は穏やかに笑いながら私をジッと見つめていたが、不意に私を抱き寄せると静かにこう言った。


「そうとも。私には君がいる。君がいれば私は大丈夫なのだ。レルジェ」


 そして優しく、私の熱くなった頬にキスをした。やっぱり勘のいい婚約者にはバレてしまったようだわね。

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― 新着の感想 ―
なかなかにせつないエピソードな上に、これは本当に嫁に覚悟を決めろという話でもありますね。思えば最初から彼女はそうでした…覚悟を決めなければ支援はできないよ、という態度が本当に立派な姑様だよなぁ…と思っ…
例えばユリアーナ様がハーヴェイル様以降のお子を望めないお身体になってしまった、とか レルジェがこう推測するってことはイルメーヤはユリアーナの子供じゃなかったのかな? どこかで出てきたのかもしれないけ…
ああ〜、色弱者だというのは分かりませんでした。 それは貴族女性としてめちゃくちゃ茨の道な……。 あのゴッホも色弱者だったのでは?といわれていて、彼の絵の独特な色遣いは特徴でありつつも違和感にもなってい…
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