第四十二話 ユリアーナ様の難題(上)
グラメール次期公爵の婚約者としての生活も、三ヶ月もすればようやく慣れてきた。結婚式の準備は忙しかったけど、ヴェリア様の時みたいに無茶な短期間の準備期間ではないからね。そこまでではなかった。
お披露目の期間も終わり、社交の頻度も減ってお休みも増えて、ガーゼルド様とお茶をしたり庭園を散策する機会も次第に増えたわね。皇太子宮殿でお会いする事もあったし、私がグラメール公爵城に行くこともあった。
グラメール公爵城には既に私とガーゼルド様が暮らすための離れが用意され、家具類もほとんど整っていた。イルメーヤ様なんかは「もう義姉様も公爵城に住めばいいのに」と仰ってたわね。
公爵家に嫁入りする場合、準備や教育が大変だから。婚約式が終わった段階で夫婦は同居を始めてしまう場合も少なくないそうだ。もちろん寝室は別で。
正直、その方が面倒がないなと思ったのだけど、私的にちょっと抵抗があったのでそうしなかったのだ。
それはまだ義理の母たるユリアーナ様との関係が微妙だったからだ。
ユリアーナ様は私の社交の補助をしてくれて、他にも色々助けて下さって、思っていたよりもずっと良いお義母様になって下さっていたのだけれど、どうしても少し隔意があったのだ。別に私を邪険に扱うとかそういう感じではないのだけど、家族的な友愛の態度を示して下さらない感じがするのである。
公爵閣下やイルメーヤ様なんかはもう私を完全に家族扱いして下さっている雰囲気があるので、ユリアーナ様の硬質な態度がより目立つのよね。
そのせいで私はユリアーナ様への苦手意識が消せず、どうしても関係が微妙にギクシャクしていたのだ。その辺はガーゼルド様も察していらして、彼としては私と早く同居したいという意向だったにも関わらず、私に無理に公爵城に住めとは言わなかった。
そんなある日の事、帝宮で行われる夜会で私はユリアーナ様と控え室で入場を待っていた。皇族女性用控え室なのでその時は私とユリアーナ様と侍女達しかいなかった。
私はふとユリアーナ様の装いに目を留めた。貴婦人を見ると着用している装飾品を値踏みしてしまうのは私の職業病みたいなものだけど、貴族婦人も同席者の装いを見てその方の事情を詮索するのが当たり前なので別に私の癖は問題にならないはずだ。
その日のユリアーナ様は黒いドレスを着ていた。私は少し疑問に思った。黒は喪服の色だ。もっとも、黒を普段使いしてはいけないという決まりはないから普段から黒いドレスを愛用している方は少なくはない。しかしユリアーナ様は少し明るめの色のドレスがお好きだった筈で、こういう暗い装いは珍しいと思った。
宝飾品はクリアなダイヤモンドのイヤリングとプラチナと大きなサファイヤのネックレス。ルビーかスピネルを金で飾ったブローチが数点。そして胸の中央に白いカメオが飾られていた。
カメオは三歳から五歳くらいの小さな子供の肖像を象ったもので、おそらくは何か動物の骨を使って作られてるように見えた。金箔で飾られ、そして肖像の瞳に何か赤系統の小さな宝石が象眼してあった。非常に凝った作りのカメオだな、と私は思った。
私がカメオに注目しているのが分かったのだろう。ユリアーナ様は私を見てちょっと陰りのある微笑みを浮かべた。
「視てはなりませんよ」
私は貴族になってからは他人の許可無く宝石を「視る」ような事はしなくなっている。プライバシーの侵害になるからね。なので私は微笑んで頷いた。
「良いカメオですね」
私はもちろんお世辞で言ったのだけど、ユリアーナ様はそれを聞いて一瞬、強い喜色をその美しい相貌に浮かべた。
「そうでしょう?」
しかしユリアーナ様はそれ以上カメオについて説明はして下さらなかった。宝石好きは自慢の品を褒められたなら、一くさりその宝飾品についての自慢話をしたがるものなんだけどね。
ただ、その後少し長い事カメオに、彫られている少年像にジッと視線を落としていた事、横にいる公爵家に長く仕える侍女長が硬い表情をしているのが気に掛った。どうもあのカメオには事情がありそうだ。
数日後、私はガーゼルド様とお会いした時に思い出してユリアーナ様のカメオの話をしてみた。ガーゼルド様は顎に手を当てて考え込んでしまう。
「なんだそれは。私は母上がそのようなカメオを持っているとは知らなかったな」
あの夜会にはガーゼルド様も私と一緒に出席なさったのだけど、そう言えばユリアーナ様はガーゼルド様の前にはおいでにならなかったかしらね? 気にしていないから覚えていないけれど。
「あまりご着用なさらないものなのかも知れませんね。少年の肖像でしたから、ガーゼルド様を象っているものだと思うのですけど」
と自分で言ったのだけど、ちょっと引っ掛かるものを感じた。
あの時のユリアーナ様の服装。そしてカメオの肖像。目の所に象眼されていた宝石。ユリアーナ様と侍女長の態度。そしてガーゼルド様がカメオの事を知らなかった……。
こうなると私もあのカメオが気になって仕方がなくなってくる。なのであるお茶会に向かう馬車で、私はユリアーナ様にこう尋ねてしまったのだ。
「ユリアーナ様」
「なぁに?」
「その、先日お着けになっていたカメオについてなのですけど……」
反応は劇的だった。私の言葉を聞いた瞬間、ユリアーナ様はハーッと大きな溜息を漏らしたのだった。
「……やっぱり貴女に目を付けられてしまいましたか。見せるのではなかったわ」
思いもよらぬほど強い反応に、私は思わず目を瞬く。
「それで? 一体何に気がついたのかしら? レルジェ」
ユリアーナ様の攻撃的ですらある口調に気圧されながら、私はオズオズと応える。
「その、あのカメオのモデルが気になりまして。幼い少年が浮き彫りにされておりましたから、普通に考えればガーゼルド様がモデルだと思えるのですが……」
グラメール公爵家、ユリアーナ様のお子には男子はガーゼルド様しかいない。ユリアーナ様が身に付けるのだから当然、愛息であるガーゼルド様の肖像であると考えるのが自然である。
「ですけど、少し違和感があったのです」
「……どんな?」
「まず、これまでユリアーナ様が着用なさっていたあのカメオを、ガーゼルド様が見た事がない、というのが気に掛かりました」
幼いガーゼルド様を刻ませたものであれば、出来上がった時にモデル本人と見比べてみたいと思うのが人情であるし、社交に小さなガーゼルド様をお連れする機会などにカメオを着用なさって、自分がいかに息子を愛しているのかをアピールするのに使ってもいいと思うのだ。
しかしガーゼルド様はあのカメオを見たことがないという。そこに違和感がある。
「あとはあの時のユリアーナ様の装いですね。ユリアーナ様がお好きなピンクダイヤモンドを着けていませんでした。あと、あの黒いドレスです」
基本的には暖色がお好きなユリアーナ様には珍しいドレスだった。服の形式はナイトドレスとしては普通だったけど……。
「やはりあれは喪服に見えました」
宝飾品も派手さを抑えた色合いだったし、どうしても誰かを悼む装いに見えたのだ。
「そしてカメオの肖像の目に象嵌されていた宝石です。赤系統なので、一見ガーゼルド様の瞳を模したようにも見えたのですが……」
しかし、ガーゼルド様の瞳は私がルベライトに擬したように少し暗めの赤だ。対してカメオの瞳はもう少し明るく透明な赤。いや、ピンク……。
「私の目が間違いなければピンクダイヤに見えました」
もちろん、ピンクダイヤにもいろんな色合いがあるんだけどね。でも、思えばユリアーナ様が集めているピンクダイヤは透明感のある薄いピンクが多い。あのカメオの瞳のような。
単にお好きな色のピンクダイヤを象嵌したという事なのだろうか? 恐らくそうではない。モデルの少年の瞳の色に忠実な宝石を選んだらピンクダイヤになったのだろう。
すると、もしかしたらこんな推論も成り立つ。
「ユリアーナ様がピンクダイヤがお好きなのは、あのカメオのモデルの少年の瞳が由来なのではないでしょうか?」
私はよく考えもせずに推論をつらつらと口にしてしまった。ユリアーナ様と横に座っていた侍女長の顔が強張っている事に気が付いた時には遅かった。
……しまった。これはユリアーナ様の心の禁じられた所まで踏み込んでしまったのかも。そう気が付いて冷や汗をダラダラと流し始めた私を、ユリアーナ様は冷ややかな目で睨んでいたが、やがてこう仰った。
「なるほど。それで? そこまで推理したのならカメオのモデルにまで考えが至ったのではなくて?」
これは、マズイ。下手にお答え出来ない質問だ。私は頬を引き攣らせながら何とか逃げようとする。
「い、いえ、そこまでは……」
「言いなさい。そこまで口にしたなら最後まで言ってしまいなさいな」
有無を言わせぬユリアーナ様の圧力に、私は耐えきれず、ボソボソとこう言うしかなかった。
「……もしかして、ガーゼルド様にはお兄様がいらっしゃったのではございませんか? 恐らくは、亡くなった……」
馬車の中に沈黙が満ちた。外の車輪がガラガラ回る音だけが聞こえる。
やがて、ユリアーナ様が、はぁぁ〜っと長いため息を吐かれた。
「……本当に『視た』訳ではないのですよね?」
「も、もちろんでございます。そのような失礼な事は致しません!」
「結果が同じであれば視られても大して変わらなかったわね」
ユリアーナ様は肯定さえしなかったけど、否定しないという形で私の考えが間違っていなかった事を示した。
……ガーゼルド様は現在、グラメール公爵家唯一の後継候補だけど、過去にもそうだったとは限らない。ガーゼルド様の前に公爵閣下とユリアーナ様との間に男児が生まれていてもおかしくはないのだ。
そして、子供は簡単に死ぬものだ。平民なら生まれた内の半分は七歳を迎えられずに死んでしまう。だから七歳になると盛大にお祝いをするのだ。
貴族でも事情はそうは変わらないだろう。もちろん十分な栄養が得られる上に優秀な医者に診てもらえる貴族の方がそれはマシだと思うけど、子供はどうしても弱くて病に罹りやすいからね。
だからガーゼルド様のお兄様が不幸にして早逝されたのだとしても、残念ながらそれは珍しい出来事ではないのである。
ただ、子を失った母親がそれで納得出来るのかといえば、それはやっぱり無理なのだ。だからきっとユリアーナ様は失ったお子を偲んでカメオを作らせ、面影を追ってピンクダイヤを集めていらっしゃるのだ。
と、私は納得したのだけど、気分は針の筵に座っている気分だったわよね。ユリアーナ様は無表情だったし侍女長は真っ青な顔をしていたからね。
どう考えてもユリアーナ様の心のデリケートな部分に土足で踏み込んでしまった事は間違いなさそうだ。私はとりあえず謝る事にした。
「で、出過ぎた事を申し上げまして……」
「貴女に」
謝罪は途中で中断させられた。ユリアーナ様は無表情に私を見つめながら、大きなお声でしっかりとこう仰った。
「貴女にお願いがあります」
◇◇◇
私は頭を抱えていた。比喩ではなく。社交用に結い上げた髪でなければ頭を掻きむしりたい所だったわよね。額を抑えてウンウンと唸っていた。
「どうしたのよ?」
と驚いた声が聞こえる。見ると、部屋の入り口でイルメーヤ様がまん丸に目を見開いていた。彼女は大股で私の方に歩いて来て私の顔を覗き込む。
「なになに? お兄様と喧嘩でもした?」
とサファイヤ色の瞳をキラキラ輝かせている。期待に応えられなくて悪いけども、もちろんそんな事ではない。
「違います」
「じゃあお母様に意地悪でもされた?」
……この義妹様も大概鋭い。どうして分かるんだろう。
「当たらずと言えど遠からずです……」
「ふーん、最近は仲良くしてたのに。どういう風の吹き回しかしらね」
イルメーヤ様は私の向かいのソファーにポンと腰を下ろすと、テーブル越しに私の方に身を乗り出した。
「で、どんな無理難題なの? 話してちょうだい!」
どうしてそんなに目を輝かせているのか。どうして私に協力する気満々なのか。どうして私が無理難題に苦しんでいたのが分かったのか。というのは置いておいて、宝石に詳しくユリアーナ様の事をよく知るイルメーヤ様の協力があればありがたいのは確かだった。
「……ユリアーナ様にある宝石を探すようにお願いされたのです……」
イルメーヤ様はこの上無く怪訝そうな表情になった。
「お母様に? お母様のコレクションに無い石なんてあるのかしら?」
ユリアーナ様はかなり膨大な宝石コレクションを持っておられるらしい。さすがは公妃にして皇妹である。しかし、依頼の内容は所有していない石を探せというものではない。
「その……。ユリアーナ様に縁の方がお好きだった宝石はなんだったのか、を突き止めて欲しいとの仰せなのです」
今度はイルメーヤ様の目が点になってしまう。
「なによそれ」
……ユリアーナ様に、カメオのモデルになった方の事は他言無用と釘を刺されているので、これ以上は詳しく説明出来ないのだけど、あの時ユリアーナ様はこう仰ったのだ。
「あのカメオのモデルの子が、生前に好んでいた宝石があるのですよ。それを探して欲しいのです」
……はい?
「そ、それはどのような宝石なのですか?」
私の当然の問い返しに、ユリアーナ様は首を横に振った。
「分からないのです……」
ユリアーナ様が言うには、ある時「その子」がユリアーナ様の宝石入れにイタズラをしていたのだそうだ。
それを見つけてユリアーナ様が叱り「その子」は宝石を放り投げて泣いてしまった。
その時に「その子」が手に持っていた宝石を探して欲しいのだとの事。
「日差しに宝石を透かして、輝くような表情で笑っていました……。叱ったりせねば良かった……」
ユリアーナ様は珍しく哀切に満ちた暗い表情で呟き、侍女長は目に涙を浮かべてユリアーナ様の手を握って励ましていた。
「その子」がユリアーナ様の早逝したお子であるなら、それは数少ない我が子との思い出であるのだろう。痛ましい遺恨の思い出であり、確かにお子との思い出の石を探し出したいという想いも分からないではない。
……しかし……。
「何色だった、とかどんな形状だったかとか覚えていらっしゃいますか?」
「いいえ」
「どんなアクセサリーだった、とか」
「確かルースだったと思います」
……これでは何も分からないし推理のしようもない。私が流石に断ろうとすると、ユリアーナ様は私をジッと見つめてこう言った。
「私の所有する石を全て『視て』も構いません。お願い出来ないかしら」
ユリアーナ様にしては珍しいくらいに切羽詰まった、痛切な思いを感じさせる桃色の瞳に、私は言葉に詰まってしまい、断りの言葉を発する事が出来なかった。
……ので私はこうして自室で悩んで頭を抱える羽目になっているわけである。
イルメーヤ様にカメオの少年の事はぼかしにぼかした上で事情を説明すると、さすがのイルメーヤ様も天を仰いで考え込んでしまった。
「お母様らしくもないキレの悪さね」
私もそう思う。ユリアーナ様は頭は切れるし記憶力も良い方だ。そのお義母様が、自分が知りたい事を長年放置していたとは思えない。
ご自分でも探してみたが見つからなかった、という事なのだろうか? それで宝石の記憶が視える私に依頼をした? ……どうもユリアーナ様はそんなお方ではないような気がするんだけどね。
「とりあえず、お母様の宝飾品を確認するしかないんじゃないの? お義姉様なら何か気が付くんじゃないの?」
イルメーヤ様は私の能力の事は薄々察しているらしいので、視れば何か分かると思っていらっしゃるのだろう。
しかし、話はそう簡単ではない。
何しろ数百点はあるだろうユリアーナ様の所蔵品からたった一つの石を探し出さなければならないのだから。
宝石の記憶は膨大である。特に上質な由緒正しい伝来品になればなるほど多くの記憶を秘めているものだ。歴代の公妃や皇妃が社交で何度も何度も着用した品であれば、その度毎に記憶は積み重なって行く。
その膨大な隙間に一瞬だけ挟まった少年の記憶を探し出すなんて、雪に埋もれたダイヤモンドを見つけるより困難だろう。一つ一つ精査していったらどれくらい掛かるか見当も付かない。
おまけに仮定の話としてその事が起きたのがガーゼルド様が生まれる前なのだとすれば、それは二十五年以上前なのだという事になる。そんなに前の話では、当時はルースだった宝石をアクセサリーに仕立てたりしてしまっているかもしれない。もしかしたら譲渡、もしくは売却してしまっているかもしれない。
そうなるといくら一生懸命宝石の記憶を見ていったって、絶対に見つからないかもしれないのだ。
なので私は困ってしまっている訳なのである。どう考えても無理難題だ。無茶苦茶だ。なんだってユリアーナ様はこんな酷い仕打ちを……。
「何をしているのだ?」
その時、ガーゼルド様が室内に入ってきた。そう、今日は皇太子宮殿で夜会があるので、私はこの控え室でガーゼルド様が迎えに来るのを待っていたのだ。ヘアスタイルがバッチリ整っていたのはこのためだ。
……今回の事は、なんとなくガーゼルド様には相談し辛かった。それは彼のことだから、きっと良い知恵を出して問題解決の助けになってくれるとは思うけど、事が彼の兄、しかもガーゼルド様が恐らくは存在を知らない兄君の事である。
このお話を突き詰めると、どうしてもその知られざる兄君の正体に迫らざるを得ないと思うのだ。ましてユリアーナ様からカメオの少年については口止めされている。出来れば相談したくない。
しかし、ちょっと遅かった。
「それがね、お兄様。お母様がね……」
とイルメーヤ様があっさりと話してしまったのだ。止める暇もなかった。それは秘密ですよと言っておかなかった私が悪いのだけども……。口が軽過ぎでしょうイルメーヤ様!
一通り話を聞き終えると、ガーゼルド様は頷いた。そしてあっさりと仰った。
「その子供とは私の亡くなった兄君であろう」
私もイルメーヤ様も仰天する。
「し、知っておられたのですか!」「なにそれ! 私聞いてないわよ!」
二人して驚愕してガーゼルド様に詰め寄ると、ガーゼルド様は苦笑なさった。
「落ち着け。私もつい先日知ったのだ。それまで知らなかった」
ガーゼルド様が言うには、私からユリアーナ様のカメオの話を聞き、興味を持ったガーゼルド様は調査をなさったのだそうだ。
ユリアーナ様の縁の少年ならご自分だろうと思ったそうなのだけども、どうもそうでもなさそうだということが分かり、紋章院でグラメール公爵家の家系図を確認して初めてご自分には亡くなった兄がいた事を知ったらしい。
「三歳で、私が生まれる前の年に亡くなっているようだな。名は『ハーヴェイル』」
……この方の腰の軽さと調査能力の高さを忘れていたわ。私からカメオの話を聞いただけで忙しい中紋章院にまで出向くなんて。
「そ、それで、どんな子供だったの? お兄様!」
イルメーヤ様は幻のお兄様の存在に大興奮だ。しかし、ガーゼルド様は苦笑して首を横に振った。
「そこまでは分からぬ。そうだな。家系図の記録によれば、髪は私と同じ濃い色の金髪。瞳の色は青かったようだな」
……え?
「ちょ、ちょっと待って下さいませ! ガーゼルド様! そのハーヴェイル様の瞳はピンクだった筈です!」
確かにカメオの少年の瞳はピンクだった。であればハーヴェイル様の瞳はピンク、少なくとも赤系統でなければおかしい。
「しかし、紋章院の記録では青い目と確かに記載があったがな」
公的な記録がそのような間違いを記録するとは思えないという話だった。何しろすり替えや賤称を防ぐために容姿を記録している訳だからね。
という事は……。
「可能性は三つあるな」
ガーゼルド様が仰るには「カメオの少年がハーヴェイル様ではない」可能性がまず考えられるという。その場合、ではなぜユリアーナ様が我が子を模したものではないカメオをあれほど大事にしているのかという事になるけど。
もう一つはハーヴェイル様の瞳の色が病気か何かで青からピンクに変わってしまった可能性だ。私は知らないけどそういう病気もあるそうだ。それが死因だったのだとすればそれを悼んだユリアーナ様がその瞳の色を身に付けるようになったとも考えられる。
そしてもう一つの可能性として、カメオの肖像はハーヴェイル様なのだけど、瞳にあえて違う宝石を象嵌した可能性だ。これは死者の肖像を描く、身に付けるのは死者に取り憑かれるとして避けられるものなので、ほんの少し故人とは肖像の細かな部分を違える事があるのだという。
「いずれにしても、可能性でしかない。本当のところは母上しか知らぬだろうよ」
ガーゼルド様は大きな肩をすくめた。私は考え込む。
ユリアーナ様のカメオに描かれた少年とガーゼルド様の早逝したお兄様であるハーヴェイル様。果たしてこの両者は同一人物なのだろうか。カメオに象嵌されたピンクダイヤと思われる宝石。ハーヴェイル様の青い瞳。どうして両者の色は異なるのか。
そして一番大事な事。なぜユリアーナ様は亡くなった息子、恐らくはハーヴェイル様がお好みになった宝石が見つけられなかったのか……。
「ふむ。面白そうではないか。私も協力するぞ。レルジェ」
「私も! 私もやるわ!」
……カメオの少年についてはユリアーナ様から他言無用を申し付けられていたから、ガーゼルド様とイルメーヤ様に手伝ってもらうのは気が引けたのだけど、ここまでバレてしまっては今更もう仕方がないだろう。
私はお二人に協力していただきながら、ユリアーナ様の難問に挑む事にした。





