第三十七話 婚約式(下)
私とガーゼルド様が式場に戻ると、皆様が私たちを観察しているのが分かった。特に強い興味の視線を感じたのはユリアーナ様だったわね。将来の義娘がこの窮地をどう潜り抜けるかを注視しているのだろう。
私は何くわぬ顔をして笑顔を振りまいた。ウィグセン公妃様が心配そうな表情で声を掛けてくる。
「もう気分は大丈夫なの? レルジェ?」
「ええ。大丈夫です。ご心配をお掛けいたしました」
他の方も心配の声を掛けてくるけど、深刻な響きはない。それはね。体調不良なんて見え見えの嘘だったのは皆さんご承知なんだろうからね。
私とガーゼルド様はそのまま祭壇に向かう素振りを見せた。さっきの事はなかった事にして、婚約式をそのまま進める姿勢を見せたのだ。
しかし、そんな事をセレフィーヌ様が許す筈もない。彼女としてみれば、あのアクアマリンの事を大問題にしてこの婚約式を中止する以外に、自分がガーゼルド様と結ばれる道はないと思っているだろうからね。
「ちょっと、アクアマリンの話はどうなったのですか?」
周囲の方々は少し迷惑そうに顔を歪めた。正直、皇族の皆様は私とガーゼルド様の婚約には概ね賛成であり、私が大きな失態をしたならともかく、皆様だって忘れていたような禁忌の宝石くらいで婚約を破談にするなんて無理だと思ってらっしゃるのである。
一時退場して、アクアマリンの事などなかった事にするというのは悪い手ではなかった。私とガーゼルド様が明確に「なかった事にしたい」という意向を示したも同然だからだ。これでセレフィーヌ様が話を蒸し返せば、それは私とガーゼルド様の意向に明確に否を突き付けた事になり、今後のグラメール公爵家とカルテール公爵家の関係にまで影響が出かねない。
そういう事を百も承知で、ガーゼルド様への恋心を完遂しようというのだから、セレフィーヌ様も空気が読めないのはともかく肝は据わっていると言える。それならば今後の事も考えて、芯から彼女の心をへし折って差し上げるのが恋敵としての義務ではなかろうか。
私はゆっくりとセレフィーヌ様に向き直ると、優雅に右手を差し出した。その人差し指嵌っているのは大きなアクアマリンの指輪。の筈だ。
しかし今の私の指に嵌ってるのはほとんど透明な、しかし少し白く濁った石だった。あの海の色を思わせるアクアマリンの輝きではない。しかし、先ほどの指輪と同じ意匠のリングだし、同じカットの石だ。セレフィーヌ様は困惑する。
「なんですかこれは。指輪を付け替えたという事ですか?」
控室に戻って慌ててアクアマリンの指輪を他に交換したのだとすると、それは私が自分の失態を認めたのだという事になる。そうなれば私はセレフィーヌ様に謝罪をする必要が生ずるだろう。
もちろん、私はセレフィーヌ様に謝罪などする気はなかった。
「いいえ、これはアクアマリンの指輪で間違いありませんよ。セレフィーヌ様」
セレフィーヌ様は困惑する。
「それにしては色がおかしいではありませんか。先ほどは見事な海の青でしたのに。今のそれはとても先ほどと同じ石とは思えません」
それはそうだろうね。私はニッコリと微笑む。
「セレフィーヌ様は色変化を起こす宝石をご存じありませんか?」
「色変化?」
「宝石には様々な理由で色が変わってしまう宝石があるんですよ」
宝石の輝きは永遠である、と誤解している人が結構いるけど、これは誤りである。
宝石の輝きは様々な要因で劣化する。一番簡単な例で言うとダイヤモンドである。永遠の輝きを謳われる金剛石だけど、実はこの石は油脂に馴染みやすく、長年着用していると皮脂や化粧が付着して曇りが出てしまうのだ。そのため、定期的に油脂を洗浄しなければいけない。
他にも傷が付きやすかったり、水に浸けると変色する石もあり、宝石の取り扱いにには繊細さと注意深さが必要である。
そしてアクアマリンにも弱点があるのだ。
「アクアマリンは実は太陽光線に弱いのです。太陽光を浴びると色が抜けて褪色を起こします」
海の青と言われる見事なブルーが抜けて、透明か白か、薄い黄色になってしまうのである。特に同時に汗の塩分を吸わせてしまうと、意外なほど早く褪色を起こす事があるのだ。
私がイルメーヤ様が長時間着用する上、屋外にも出る婚約式の宝飾品にアクアマリンを選んだのを意外に思ったのはこれが理由だ。おそらく、皇族の婚姻の儀式でアクアマリンが使われないのもそれが理由だと思うのよね。
「勅命の理由は希少なアクアマリンが褪色してダメになるのを恐れたからだと思いますよ。その証拠に、夜会で使われるのは禁じられていないわけですから」
皇女の自殺色々は後から付いた尾鰭だと思うのよね。何らかの理由でアクアマリンを褪色させてしまって皇帝陛下を怒らせた皇女がいたのかもしれない。
「ですから、そもそも褪色してしまったアクアマリンなら問題ありませんでしょう? そう思ってさっきアクアマリンを褪色させてきたのですよ」
まぁ、そうそう思い通りに褪色してくれるものでもないんだけどね。
セレフィーヌ様は戸惑ったようだったけど、気を取り直すように頭を振ると怒ったように言った。
「な、なんですかそれは! 宝石がそう簡単に色変わりなどする筈が! 誤魔化しです! 嘘を言うのではありません! 証拠はあるのですか!」
セレフィーヌ様は私の論点ずらしに気が付かず、話に乗ってくれた。褪色しようがなんだろうがアクアマリンはアクアマリンなのだから禁忌に触れる事は変わらないんだけどね。
おそらく宝石の中には短時間で変色させられる石があるのを知らなかったのだろう。だから私が短時間でアクアマリンを変色させた事が嘘だと考え、それを追求してしまった。まぁ、そこにはカラクリが確かにあるんだけどね。
しかし私の狙い通りである。私は頷いて言った。
「よろしゅうございます。証拠をお見せしましょう」
私が言うと同時に私の横にガーゼルド様が進み出た。長身のガーゼルド様の登場に、セレフィーヌ様が明らかに怯んだ。ガーゼルド様が少し怖い感じで笑っていたからでもあるだろうけど。
ガーゼルド様は芝居掛かった所作で握った右手を胸の前に上げると、白い手袋に包まれた拳をゆっくりと開いた。
そこには小指の先ほどの大きさのイエロートパーズがあった。さっきベルトの飾りから外したものである。
「これの色を今ここで変えて見せようではないか。そうすればレルジェが嘘を言っていないと分かるわけだな。その時はセレフィーヌ。レルジェに謝罪してもらうぞ」
「が、ガーゼルド様! 私は……」
「ではいくぞ」
何かを言いかけたセレフィーヌ様に、ガーゼルド様は取り付く島もなく言った。ちょっと可哀想だけど、ガーゼルド様を諦めてもらうのはセレフィーヌ様のためでもあるからね。
ガーゼルド様がご自分の手の平をジッと睨むと、イエロートパーズの周りが不意に紫色に輝き出した。
「おお、魔法だ……!」「久しぶりに見たな」「私は初めて見る」
皆様が驚きの声を上げるのが聞こえた。私もちょっとワクワクして注目する。
魔法は現在では使い手も少ないから、魔法が使われる所は皇族でも滅多に目にした事がないらしい。私も魔力は多いらしいから、学べば使えない事もないらしいんだけど、魔法の勉強は非常に大変らしい。次期公妃教育でヒイヒイ言っている私には無理よね。
紫色の光は次第に強くなり、ガーゼルド様が何やら呟くと光は回転を始める。そして光に包まれたイエロートパーズは静かに浮き上がり、発光し始めた。明らかに熱が加わった輝きだ。
最初は赤く、次第に黄色に、そして青白く、ついには強烈な白い輝きを放つ。直視するのが難しいほどだ。
ガーゼルド様の表情に視線を移すと、緊張して集中して、そして額に汗を浮かべてはいるものの、同時に何だかとても楽しそうだったわね。きっと彼が魔法を学んだのは面白そうだったとか、こういう風にみんなを驚かせるためだったんだと思うのよ。
なんというか、子供みたいな人なのよね。楽しいことが大好きで、興味があることはとことん追求しないと気が済まない。
一緒にいて退屈はしないし、ノリが良くて楽しい。それに飾らない人柄で緊張しないし疲れない。
彼と結婚する事を了承したのは結局、彼のそういう所が気に入ったからだ。好きになったと言ってもいい。愛しているかどうかは良く分からないんだけど。
イエロートパーズはしばらく真っ白な輝きを放っていたのだけど、やがてガーゼルド様が魔力を弱めると光を薄れさせた。そして魔力が完全に抜けると石はそのままガーゼルド様の手の平に収まった。加熱直後だからトパーズは熱くなっている筈だけど、ガーゼルド様の手袋は特別製なので熱くないのだそうだ。
石は次第に冷えて発光が収まっていき、そしてガーゼルド様が慎重につまみ上げた時には普通の宝石の状態になっていた。その色は……。
「……まぁ…!」
感嘆の声がそこここから聞こえたわね。
イエロートパーズはほとんど透明になっていた。これがもっと熱が冷えてくると、薄いピンクのトパーズになることが多い(かなり個体差がある)。
トパーズの熱処理はそれほど珍しいものではない。二級品のイエロートパーズは加熱してピンクトパーズにしてしまった方が高く売れるからだ。私も商人時代何度か職人が炉で加熱するのを見た事がある。でも、魔法で加熱するのはインパクトが違うわね。
実際、セレフィーヌ様は圧倒されて呆然としてしまっている。その隙を突いて私は進み出た。
「このように、宝石を短期間で色変えすることは可能なのです。私は嘘など吐いていないことがお分かり頂けたかと思いますわ」
そして私はセレフィーヌ様を睨みつける。
「さぁ、どうなのです? セレフィーヌ様?」
私にグッと睨みつけられ、ガーゼルド様も怖い顔で笑っている。他の皆様も冷ややかな視線で注目している。そんな中でそれでも自説を主張出来る胆力なんてお嬢様であるセレフィーヌ様にはない。彼女はついに屈服した。
「謝罪を。発言を撤回いたします。失礼をお許し下さいませ。レルジェ様」
セレフィーヌ様は跪いて私に謝罪する。この瞬間、セレフィーヌ様と私の上下関係が確定した。元々私は次期公妃(予定)でセレフィーヌ様はガーゼルド様と結婚出来なければ貴族のお家に降嫁なされる事になる。そもそも将来的には私の方が身分が上になるのだ。
その状態で、個人的な上下関係でも私が上になった以上、セレフィーヌ様は私に一生頭が上がらなくなったと言っても良いだろう。私は満足して頷いた。
「よろしい。謝罪を受け入れましょう。今後ともよろしくお願いいたしますわ。セレフィーヌ様」
私は跪いて項垂れるセレフィーヌ様を放置して、ガーゼルド様の手を取ると祭壇の方に歩き出したのだった。
◇◇◇
無事に婚約の儀式も終わり、これで私は正式にガーゼルド様の婚約者となった。皇族の皆様から完全な承認を受けた事になるので、あらゆる場面で私はガーゼルド様の婚約者として公式に扱われる事になる。
帝宮で軽い宴を行った後は、グラメール公爵城に移動する。公爵城でグラメール公爵一族の皆様を集めた婚約披露宴があるのだ。
いよいよ公式に婚約者になったからには、私は社交に出る事になる。社交は貴族にとって重要なお仕事だけど、皇族は更にその重要性が跳ね上がるらしい。
私の社交での振る舞いによって皇族の意向が慮られ、貴族たちがそれを忖度して右往左往する事になるらしい。なので迂闊な振る舞いは厳禁なのだ。
その皇族としての社交デビューがこの宴になるらしい。一族しかいないのだからまだしも負担が軽かろう、という気遣いの結果のようだ。私にしてみれば一族だろうとなんだろうと、親しい人は一人もいないんだから同じなんだけどね。
公爵城の女性控室。そこではユリアーナ様とイルメーヤ様と一緒になった。ホールへの入場待ちの数分だけだけどね(その前は自室で休んでいた)。控室からホールの入口まで進み、そこでガーゼルド様と合流して入場の予定だ。私はソファーに腰掛け、侍女にお化粧を直してもらいながら呼ばれるのを待っていた。
「レルジェ」
不意に声が掛かった。ユリアーナ様だった。少し不機嫌そうな声だったわね。
「アクアマリンは元に戻しておきなさいね」
私は思わずイルメーヤ様を見る。イルメーヤ様は目を丸くして首を横に振っていた。彼女がユリアーナ様に教えたという訳ではなさそうだ。
「……どうしてお分かりになりましたか?」
私が言うとユリアーナ様は鼻で笑った。
「アクアマリンをあんな短時間で色抜けさせる方法はありません。それを知っていればすり替えしかないと分かるではありませんか。イルメーヤの企みでしょう」
……この義母様は相変わらず千里眼ね。
そう。加熱すれば色を変える事が出来るイエロートパーズと違って、アクアマリンを褪色させるのはそう簡単ではない。かなり強い日差しを浴びさせないと褪色しないし、どれくらいの時間当てればするのかにも個体差がある。都合良く日向に置いておけば色が抜けるというものではないのだ。
なので私はアクアマリンを褪色させるのはやめてイエロートパーズを変色させる事にしたのだけど、イルメーヤ様が仰ったのだ。
「色が抜けたアクアマリンは用意してあるわ! 宝物庫にあったから!」
どうも例の禁制の原因になったアクアマリンらしい。それが帝宮の宝物庫にあったのだそうだ。私の衣装用の宝飾品を探していたイルメーヤ様がこの石を見つけた事で、今回の悪戯を思い付いたものらしい。
つまり、同じ形状のアクアマリンの指輪を用意して、それを私に着用させる。そうすればきっと婚約式で騒ぎが起こる。
それを私が解決すれば私の婚約には誰も異が唱えられられなくなる、という計画だったらしい。騒ぎを解決するにはアクアマリンを褪色してしまったものにすり替えて「これはアクアマリンじゃありませんよ」と言えばいいと考えたのだそうだ。
結局私はその計画を大分アレンジして使った訳だけど、元はイルメーヤ様の企みでアクアマリンはすり替えたというのは当たっている。
「幸い式に出たのは皇族だけです。もう元に戻しても大丈夫でしょう。あんな色褪せた宝石を着けていたら品位を疑われます」
どうもユリアーナ様のご機嫌が悪いのは、私があの褪色したアクアマリンを着けたまま婚約式を取り行ったからであるらしい。せっかくの婚約式の品位が損なわれたと考えているのだ。
私はすぐにイルメーヤ様がポケットから出した本物のアクアマリンのリングと、褪色した石の嵌ったリングを交換した。もうすぐ夜になるのでアクアマリンが日光に当たって劣化する心配はない。
色抜けしたアクアマリンは一応皇族の秘宝であるのでイルメーヤ様に戻してもらう事にする。私が白っぽくなってしまったアクアマリンのリングを眺めていると、ユリアーナ様が少し期待するような口調で私に尋ねた。
「何か視えるのですか?」
「……はぁ、視えますけども、あまりご期待に沿えるようなものではありませんよ」
「何が視えるのです?」
このお義母様も大概好奇心旺盛だからね。私は仕方なく視えるものを説明することにした。
……このアクアマリンは確かに皇女の婚約時に作られたらしい。結構美しい姫君だったわね。
しかしこの姫君、どうも年齢がまだ幼かったようだ。貴族のご令嬢なら成人の十三歳ですぐに嫁に行く事も珍しくはないからね。この皇女も事情があって婚約が早かったのだろう。
なので皇女は出来上がった婚約衣装、特にこのアクアマリンの指輪が気に入って、保管庫から持ち出して指に嵌め、帝宮中を走り回って色んな人に見せて歩いたらしい。
どうも天真爛漫な姫だったらしく、帝宮の使用人とも仲良しだったので庭園の庭師にまで見せたようなのだ。よっぽど嬉しかったんだろうね。
……そうやって直射日光に当てられまくり、汗に塗れた結果、アクアマリンは色を失って白っぽくなってしまったのである。
アクアマリンを気に入っていた皇女も悲しんだが、婚約衣装の目玉の一つをダメにされて皇帝も皇妃も激怒した。皇女は両親に厳しく叱責されてワンワン泣いてしまったようだ。
あんまりにも泣かれて、怒っていた皇帝陛下も気の毒になってしまったようなのよね。甘い父親だ。それで全てをアクアマリンに責任転嫁した。
「アクアマリンが色抜けなどするのが悪い。今後、皇族はアクアマリンを身に付けぬようにせよ!」
……どうやらこれが皇族のアクアマリン禁止令の実態らしい。やっぱり自殺色々は尾鰭が付いただけだったのね。ちなみに、この皇女がその後無事に嫁に行ったのかどうかは分からない。アクアマリンの記憶にはそこまでは入ってなかったからね。
私の話を聞いてユリアーナ様もイルメーヤ様も額を押さえてしまった。
「そんな理由で勅命を出して欲しくないものですが、もっと馬鹿馬鹿しい理由で出されて今も有効な勅命は沢山ありますからね」
帝宮のディナーではブロッコリーが出されないらしいのだけど、これは何代か前の皇帝陛下が苦手で、苦手の克服のために皇子時代に無理やり食べさせられて更に嫌いになり、それで皇帝に即位した瞬間に「今後一切、未来永劫、帝宮の食卓にブロッコリーを上げないように!」と勅命を出したのだそうだ。大人げない。
大女神の代理人たる皇帝陛下も人間だということなんでしょうね。そういう変な勅命は後代の皇帝陛下が撤回したり新たな勅命で上書きする事もあるんだけど、そのまま残っているという事は、たぶん歴代の皇帝陛下は全員ブロッコリーが苦手だったんだわね。
アクアマリンに関しては既に婚姻関係の儀式以外では有名無実化しているし、そもそも屋外に出るような時には着用しない方が良い宝石だ。このままにしておいても問題ないだろう。過去の勅命の撤回や上書きは物議を醸す事も多いからなるべくやらない方が良いらしい。
「ふむ、しかし、セレフィーヌを凹ませたのは今後の事を考えると良い事でした。カルテール家も迂闊に貴女たちに手を出せなくなるでしょうからね」
珍しくユリアーナ様が褒めて下さった。私はどういう意味合いがあるのか分からないので曖昧に微笑んでおく。
「次期公妃たるもの侮られるようではいけません。いつでも相手を屈服させられる武器を隠しているようでないとね。そういう意味ではレルジェは合格ですよ」
そういう意味で褒められてもねぇ。ただ、ユリアーナ様は男爵家出身で侮られる事が多くなるだろう私の事を心配して下さっていたのは分かった。もちろんそれは私個人だけではなく、グラメール公爵家やガーゼルド様の事も含めての心配なんだろうけど。
「大丈夫よ。お母様。レルジェ義姉様は頭は良いし勘も鋭いし、何よりハッタリが上手だもの。実に皇族向きだと思うわよ」
皇族の条件がそれなの? と突っ込みたくなるけども、実際高位貴族の社交は腹の探り合いだからね。貴族の上に立つ皇族の条件として間違っているとは言えない。
状況を瞬時に判断して相手の考えを読み取り、自分の考えは悟らせない。もっともこれは貴族の専売特許じゃないくて平民の商人でも同じよね。
商人の方が貴族みたいに勿体ぶってなかったし、もっと脅しとか威嚇とか虚偽があからさまだったからね。貴族のやり方に慣れさえすれば商人時代のやり方がいくらでも応用出来たのである。
「それとレルジェ義姉様には妙な威厳もあるからね。今日もセレフィーヌを圧倒してたじゃない」
「そうね。さすがは……」
ユリアーナ様は途中で言うのを止めたけど恐らくは「レージェの娘」と言おうとしていたのだと思われる。ユリアーナ様はルレジェンネ様の事を慕っていたらしいから、逆に私をルレジェンネ様の娘だと意識しないように心掛けているようなのよね。
侍従が呼びに来たので私たちは優雅に立ち上がった。ユリアーナ様を先頭に控室を出て会場の入り口に向かう。二番目は私だ。私は次期公爵の婚約者になっているので、序列がイルメーヤ様より前になっているのである。最初に会った時は男爵令嬢と公爵姫として天と地ほどの身分差があったのに、逆転しているのだ。未だに実感が湧かない。
歩いている途中で、ユリアーナ様が扇で口元を隠しながらそっと呟いた。
「貴女なら大丈夫よ。レルジェ」
ちょと意外なお言葉だった。私はちょっと動揺して目を大きく見開いてしまう。それを見てユリアーナ様はクククっと笑った。
「まだそういう可愛いところが残っているようだけど、貴女はどんどん皇族に、ガーゼルドの婚約者として相応しい女性になれているわ。貴女の努力のおかげでね。自信を持ちなさい」
ユリアーナ様が私を励ましてくれるなんてどういう風の吹き回しだろうか。どうやら私の教育期間中に、意味ありげにジーッと見ていたのはユリアーナ様なりに優しく見守っているつもりだったようだ。私の方は何を企んでいるのかとビクビクしていたのだけど。
考えてみればユリアーナ様は私がガーゼルド様と結婚すると決めてから、一度も反対なさらなかったし、意地の悪い事などしていないのよね。ちゃんと私を息子の嫁として相応しいと思って下さっていたのだ。
私はちょっと感動して涙ぐみそうになってしまった。
「……ありがとうございます」
「でも、油断しないようにね。貴女はこれから皇族として社交に出るのですからね。社交は女の戦場。一瞬の気の緩みが命取りになるのですから」
「はい!」
私はユリアーナ様の忠告と励ましにしっかりと頷いたのだった。
……その後、皇族の名を背負って社交に出るようになった私は、どうしてこの時ユリアーナ様が珍しくお優しい言葉を掛けて下さったのかを、立ち所に理解した。
これは、あれだ。ユリアーナ様でも私に同情せざるを得ないくらいに皇族の社交が大変なものだからだ。ご自分も散々ご苦労なさったユリアーナ様には、この後私に襲いかかる社交界の荒波を十分にご承知だったのだろう。
私は程なくそれを思い知ることになる。





