第三十五話 呪いのスフェーン(下)
休憩を終えた私たちは再度三人の夫人に向き合った。私はバリバース侯爵夫人に視線を向ける。
「侯爵夫人。夫人はこのスフェーンの事をどこまで知っていましたか?」
私の質問に夫人はキョトンとした顔をする。
「その、正直よく知りませんでした。宝物庫にあったのは知っていましたけど、裸石で身に付けられませんから手に取った事すらありません」
確かにスフェーンには侯爵夫人の記憶はなかった。しかし私は更に追求する。
「この宝石について何か家伝はなかったのですか? 前侯爵夫人から教えられた事は?」
バリバース侯爵夫人はいよいよ困惑したようだ。
「何も。義母がこのスフェーンについて何かを言っていたという記憶もありません」
やはりこのスフェーンについてバリバース侯爵家に伝わっていることは全くないらしい。……おそらくそれは三代前のセルモーダ伯爵の狙い通りだったのだろう。
「セルモーダ伯爵夫人。伯爵家ではこのスフェーンについて何か伝わっていましたか?」
伯爵夫人は首を傾げる。
「ええ。まぁ、三代前に紛失した事情と宝石の様相などが伝わっておりまして、私は嫁入り時に義母に教わりました」
私は頷いて更に尋ねる。
「その時前伯爵夫人は『なんとしても探し出すように』と言ったのですか?」
セルモーダ伯爵夫人は目を丸くする。そして首を横に振った。
「いいえ、特には……。そういえば逆に『もう探す必要はない』と言っていたような……」
私はガーゼルド様と目配せを交わす。やはりそうだ。
セルモーダ家は、このスフェーンがバリバース侯爵家にあることを知っていたのだ。知っていて、放置していた。いや、潜ませていたのだろう。
「探し出す必要はないと言われたスフェーンをどうして探し出したのですか?」
「い、いえ、私は探してはおりません。噂でスフェーンがバリバース侯爵家にあると聞いただけで……」
セルモーダ伯爵夫人は戸惑ったように言った。確かに、セルモーダ伯爵夫人は探し出してはいない。そう、探し出したのは……。
「サイタン子爵夫人」
私の呼び掛けにサイタン子爵夫人はその豊かなブロンドを揺らした。
「探し出したのは貴女ですね。夫人、いえ……」
私はサイタン子爵夫人の反応を見逃すまいと目を凝らす。
「元セルモーダ伯爵家令嬢」
サイタン子爵夫人は平静を装って微笑んでいたが、一瞬目付きを鋭くした。私は自分の予想が当たっていた事を確信する。
「……よくご存知ですね」
「調べましたからね」
ガーゼルド様がね。
そう。サイタン子爵夫人はセルモーダ伯爵家の出身なのである。伯爵家の第一令嬢だったのだが、格下の子爵家に嫁入りしているのだ。
セルモーダ伯爵家出身なのだから家伝でスフェーンの事は知っていた事だろう。もしかしたらバリバース侯爵家にある事情も知っていたかもしれない。
それならばセルモーダ伯爵家としてはスフェーンが「バリバース侯爵家にあった方が都合が良い」事も分かっていた筈である。それをあえてバリバース侯爵家にスフェーンがあることを明らかにした。占い師に「呪いの宝石だ!」と騒がせる事で。
その狙いは……。
「サイタン子爵夫人は本当はある伯爵家への嫁入りが予定されていたそうですね」
私の言葉に子爵夫人の微笑みが固まる。
「それが、セルモーダ伯爵家に格上の侯爵家から嫁入りがあることになり、迎え入れるのに予算が必要になってしまって持参金が用意出来なくなり、ご破談になってしまったと聞きました」
当然これもガーゼルド様が調べたのだ。この人の調査能力もちょっとただ事じゃないのよね。魔法でも使ってるんじゃないかしら。
「間違いありませんか?」
「……それがどうかいたしましたか? 今回の件にはなんの関係もないではありませんか」
サイタン子爵夫人の声は硬い。確かに、彼女の嫁入り時の事なんて、今回のスフェーンの件には関係がない、ように見える。一見。しかし、関係はあるのだ。
「貴女はその事でセルモーダ伯爵夫人を、いえ、セルモーダ伯爵家を恨んでいたのではありませんか? それで、三代前に遡るスフェーンの『呪い』を使う事にした」
サイタン子爵夫人の頬が強張り、バリバース侯爵夫人とセルモーダ伯爵夫人は目を丸くする。セルモーダ伯爵夫人は戸惑ったように言った。
「ど、どういう事なのですか?」
「伯爵夫人。貴女は今回の話をサイタン子爵夫人から持ちかけられたのでしょう? たぶん『バリバース侯爵夫人に恥をかかせる方法がある』とか」
伯爵夫人の顔が驚愕に歪む。
「な、なぜそれを……」
「セルモーダ伯爵家の家宝の宝石であるスフェーンが何故かバリバース侯爵家にある事は、セルモーダ伯爵家は承知していたのですよ。それがスフェーンの『呪い』です」
バリバース侯爵夫人もセルモーダ伯爵夫人も話が飛び過ぎて意味が分からないという顔をしていたわね。サイタン子爵夫人だけは少し怖い顔で微笑んでいる。私は順を追って説明することにした。
「まず、三代前のセルモーダ伯爵家は中堅くらいの伯爵家でそれほど高い家格の家ではなかったのです」
もちろん伯爵家は高位貴族だし、当時からバリバース侯爵家と領地争いができるくらいの実力はあったようだけどね。でも、大臣を出したり将軍を輩出したりというような勢いはまだなかった。
そこで当時のセルモーダ伯爵は考えた。帝国中枢へ乗り込むためには後ろ盾が欲しい。その後ろ盾に、伯爵はバリバース侯爵家を選んだのだ。
一見、領地争いで揉めたばかりの家であり、夫人は姉妹で犬猿の仲。無謀な選択のようだが、実はそうではなかった。
まず、近接する領地を有する家がいつまでも険悪だと、武力衝突を恐れて皇帝陛下が介入してくるかもしれない。最悪、領地替えの可能性まで出てきてしまうのだ。そのため、バリバース侯爵家としてもセルモーダ伯爵家との関係修復を内心では願っているに違いなかった。
そして姉妹の仲が悪い事は、伯爵が侯爵夫人に取り入るには絶好の隙になったのである。つまり、侯爵夫人にとって憎き妹の夫を「寝取る」事は、妹に対する絶好の復讐の機会だったからだ。
なんで姉で侯爵夫人でもある方が、妹をそんなに憎んでいたのかは良く分からないけどね。とにかく侯爵夫人と伯爵は不倫関係になり、侯爵夫人はセルモーダ伯爵を支援する事になる。
この事をバリバース侯爵が知っていたかは定かではない。貴族の浮気や不倫は家公認で行われる事も多いし、見て見ぬふりをするのがマナーという風潮もあるから、知っていてもおかしくはない。
ただ、バリバース侯爵家としてはセルモーダ家を支援していわば「恩を売る」事は家の利益にもなる事だったのだろう。侯爵も夫人と共にセルモーダ伯爵を支援して、伯爵は皇帝府の大臣になる事に成功する。
もちろん、当時の皇帝陛下が認めたのだからセルモーダ伯爵は有能な人物だったんだけどね。税制や流通経路の改革に才能を発揮して皇帝陛下に賞賛され、セルモーダ伯爵家の家格は大きく上昇して現在まで三代続けて大臣を輩出するに至っている。
そこまで来ればセルモーダ伯爵家には後ろ盾は最早必要ない。伯爵家とはいえ侯爵家を超えるくらいの実力が備わったと言えるからね。
でも、言い換えればそこまでの実力を備えるまでは、三代前のまだ大臣になったばかりの時点では、セルモーダ伯爵にとってバリバース侯爵家からの支援はまだまだ必要だったという事である。
まだ不安定なその時期に、バリバース侯爵に裏切られ、見捨てられてしまうと、新人の大臣なんて簡単に追い落とされてしまっただろう。だからセルモーダ伯爵としてはバリバース侯爵家が手の平を返さないように、保険を掛けておく必要があったのだ。
それがこのスフェーンである。セルモーダ家の家宝の宝石。これを伯爵は夫人に贈った。直前におそらく侯爵夫人は伯爵夫人がそれを着用したのを見ていた。妹の宝石を奪ったという優越感を得るためだったのだろうか、侯爵夫人はさして興味もないその石を受け取ってしまう。
直後に社交界には噂が流れる。セルモーダ家の家宝であるスフェーンが「紛失」したと。結構大騒ぎで捜索までしたために、この事は社交界では現在まで話が残るほど有名な話になってしまう。
これこそがスフェーンの「呪い」だったのである。
「つまり今回伯爵夫人が仰ったように「紛失」した筈のスフェーンが何故かバリバース侯爵家から発見されれば、それはどう言い訳しても侯爵家が盗んだ、あるいは着服したと見做されます。これは高位貴族にとっては極めて不名誉な事でしょう」
特に当時、バリバース侯爵夫人が妹であるセルモーダ伯爵夫人を憎んでいた事は有名な話だったからね。妹憎さのあまり、伯爵家の家宝を盗んだとなれば、それはかなりの大スキャンダルになる。流石の大貴族であるバリバース侯爵家にとっても浅からぬ傷になった事だろう。
つまり当時のセルモーダ伯爵は、もしも侯爵家が自分を裏切った時に、侯爵家に一矢を報いる事が出来る「呪い」をバリバース侯爵家に潜ませたのである。
この事を当時のバリバース侯爵家が知っていたかどうかは定かではない。現在までのスフェーンの無造作な扱いからして知らなかった、気が付かなかった可能性もある。あるいは侯爵夫人がスフェーンの事を夫である侯爵には話していなかったのかもしれない。
幸か不幸か、セルモーダ伯爵家は順調に実績を積んで家格が上がり、対照的にバリバース侯爵家は家勢が落ち気味だ。現在の両家の勢力はほとんど同等と考えてよく、今やセルモーダ伯爵家はバリバース侯爵家の後ろ盾を必要としていない。
そのため、スフェーンの「呪い」はその役目も効力も失い、静かにその役目を終えつつあったのだ。
……その呪いを今更呼び起こしたのがサイタン子爵夫人である。
「サイタン子爵夫人。貴女はバリバース侯爵夫人の所に占い師を送り込み、このスフェーンを『呪いの宝石』だという騒ぎにする事で表に出し、セルモーダ伯爵夫人に教えましたね」
バリバース侯爵夫人を憎んでいるセルモーダ伯爵夫人にスフェーンの事を教えれば、伯爵夫人は狙い通り「呪い」を発動させて侯爵家の信用を失墜させるために大騒ぎをすると子爵夫人には分かっていた筈である。
ただ、今となってはこの「呪い」は諸刃の剣ともなるのだ。両家の家格が同等、あるいは少しセルモーダ伯爵家が上回る現在、バリバース侯爵家を三代も前の過失で責め立てる事は、上位の家からのイジメと捉えられかねない。
一応は侯爵と伯爵には階級差もある。階級が下の伯爵家が家勢を笠に着て侯爵家をイジメているとなれば、けして貴族社会に好意的には受け取られまい。そういう声が皇帝陛下のお耳に入れば、セルモーダ伯爵家への陛下の御信頼が失われるかもしれない。
そういうリスクがあるから先代伯爵夫人は「もうスフェーンは探さなくていい」と言ったのだ。その事はサイタン子爵夫人も知っていた。知っていて呪いを解いたのだから、子爵夫人の狙いはバリバース侯爵家だけではなく、実家のセルモーダ伯爵家も含まれていたのである。
「サイタン子爵家はバリバース侯爵家の分家です。しかし、子爵は家勢著しいセルモーダ伯爵家への接近を図っていた。それを鑑みれば子爵夫人がセルモーダ伯爵家に接近することは不思議には思われなかったでしょう。それになにしろ実家ですしね」
それを利用して、サイタン子爵夫人はバリバース侯爵家とセルモーダ伯爵家の両家に傷を負わせる事を企んだのである。
「そもそも両家の夫人の仲があれほど悪かったのですから、ちょっと煽ってやれば大きな炎になり、両家の対立は抜き差しならぬものになることは分かっていたでしょう。武力衝突にでもなれば両家ともタダでは済みません」
皇帝陛下の調停を招く事にでもなれば、両家とも罰を受ける事になっただろうね。セルモーダ伯爵は大臣の座を罷免され、バリバース侯爵は伯爵に位を落とされたかもしれない。
サイタン子爵夫人の企みはそれほど危険なものだったのである。そして、子爵夫人は十分それを承知だった。
「それほどご実家と、バリバース侯爵家が憎いですか?」
私はあえて少し挑発的な口調でサイタン子爵夫人に言った。サイタン子爵夫人は麗しい唇を歪めて笑った。
「ええ。憎いですわ。私を貶めた実家も、それを強制した侯爵家もね」
……サイタン子爵夫人はとある伯爵家への嫁入りがほとんど決まっていた。
ところが、バリバース侯爵家の都合で次女が嫁入りすることになったケッセレンク侯爵家が、引き換えとして長女に相応しい嫁入り先の紹介をバリバース家に求めてきたのである。
困ったバリバース侯爵家はセルモーダ伯爵家に相談し、伯爵家は当時の次期伯爵の嫁にケッセレンク侯爵家第一令嬢を迎えた。これを見るとまだバリバース家とセルモーダ家には友好的な繋がりがあったのだろう。近年の仲の悪さは偏に姉妹の不仲が原因なのだと分かる。
格上の侯爵家から嫁を迎える事は、将来的には階級の上昇を狙っているセルモーダ伯爵家にとっては、ケッセレンク侯爵家からの政治的な後押しも期待出来る意味のある婚姻だったのだが、格上の第一令嬢を迎えるにはかなりの費用が発生した。
そのせいで伯爵家の第一令嬢だった彼女は、同格の伯爵家への嫁入りが出来なくなってしまったのである。決まりかかった婚約は破棄され、彼女は格下の子爵家への嫁入りを余儀なくされたのであった。
セルモーダ伯爵家という有力伯爵家の第一令嬢として、美貌の持ち主として、彼女は自他共に認める社交界の華だった。独身時代には多くの高位貴族男性と浮き名を流したものだったのである。
その彼女が格下の子爵家への嫁入りを余儀なくされたのだ。その屈辱の思いは理解出来なくはない。その思いを晴らすために、子爵夫人は今回の事を企んだのだろう。
……私の説明を聞いて、バリバース侯爵夫人とセルモーダ伯爵夫人は呆気に取られたような顔をしていたわね。理解が追い付かないような表情だった。
「と、という事は。一体どうなるのでしょう?」
侯爵夫人は恐る恐る私に尋ねた。今回、侯爵夫人は純然たる被害者だ。なにしろ彼女はスフェーンの事情について何にも知らなかったんだからね。
それに姉に代わって侯爵家に嫁入りしたのだって、現侯爵が勝手に彼女に惚れたのが原因だ。よりにもよって元恋人に姉が嫁いだのにも彼女には何の責任もないことなのである。それなのに姉に激しく恨まれ、侯爵家を狙った陰謀に巻き込まれ掛けるという、侯爵夫人は客観的に見るとかなり可哀想な立場なのだ。
それに対してセルモーダ伯爵夫人は、無用に妹の事を逆恨みして両家の関係を悪化させた挙句、サイタン子爵夫人に乗せられたとはいえ、両家を致命的な対立に陥らせかけた。私情を廃して冷静に考えれば、バリバース家とセルモーダ家が対立しても何の益も無いどころか有害であることが分かった筈である。
そしてサイタン子爵夫人は更に重罪だと言える。意図してバリバース侯爵家とセルモーダ伯爵家を陥れて対立させ、帝国貴族社会を混乱させようとした。場合によっては両家の一族や味方する貴族を巻き込んで大きな内戦になったかもしれないのだ。断じて許されるものではない。
そういう事を踏まえた上で、私は皇帝陛下から委託された権限を使って今回の事態を仲裁しなければならなかった。
◇◇◇
実は今回、私が「事実だ」としたことは、ほとんどが私の推測である。何の証拠もないのだ。
スフェーンの記憶をとっかかりに、仮定に仮定を積み重ねて導き出した推測に過ぎないのである。
しかしながら、ガーゼルド様が数日で集めたとは思えないほど充実した三家の情報は、色々私の推測を裏付けてくれた。ガーゼルド様も「大きくは外れてはいないだろう」と仰ってくれた。それで私は推測を「事実」として三夫人にぶつけたのである。
幸い、三人の夫人は私の話に納得したようだった。特に首謀者と言えるサイタン子爵夫人から否定の言葉が出なかった事に私はこっそり胸を撫で下ろす。ここで知らぬ存ぜぬを突き通されたら困った事になることだった。
しかもサイタン子爵夫人は罪を認めると、堰を切ったようにバリバース侯爵夫人やセルモーダ伯爵夫人、そして両家に対しての恨み言を吐き出し始めた。
「バリバース侯爵も独身時代は私に何度も恋文を寄越したものでしたのに。身分に目が眩んで貴女のような女を選ぶなんてね」
あからさまに誹謗されてバリバース侯爵夫人の表情が引き攣った。侯爵夫人もかなりの美人なんだけどね。
「お兄様も可哀想に。社交界でも評判の癇癪持ちでしかも嫁ぎ遅れ寸前の貴女など娶りたくないと何度も嘆いていましたっけ」
「な! 何ですって!」
「貴女のような女が女主人では我が実家も長くはないでしょうよ。あのスフェーンの呪いで素直に滅んでおけば良かったのに」
嘲笑うサイタン子爵夫人に対してセルモーダ伯爵夫人の顔は怒りで真っ赤になり、今にも子爵夫人に飛び掛かりそうな形相になっていた。貴族とは思えない激し方だ。確かにこれは癇癪持ちが社交界で有名になっても仕方がないわね。
しかし仲裁者としては止めないわけにもいかない。
「お止めなさい。それ以上無礼を働けばサイタン子爵家にも迷惑が及びますよ」
すると子爵夫人は私を睨んで歯を剥き出した。
「ふん! あんな家がどうなろうと知ったことですか。それより、ちょっと前まで男爵令嬢だった癖にこの私にずいぶんな口を利くのですわね。偉そうに」
準皇族の私に対する直球な無礼に一座の空気が凍り付く。これだけでサイタン子爵夫人の首は飛んでもおかしくない。
しかし彼女は血走らせた目で私を睨みながら更に言う。
「たまたま皇族に気に入られただけで良い気になって! 貴女なんて皇族に選ばれたから偉くなっただけじゃないの! 私だって実家に資金さえあれば!」
そこで意外な人物が口を開いた。ガーゼルド様は低く、よく通る声で仰った。
「レルジェは男爵令嬢。何の資産もない。其方よりずいぶんと条件は悪かった筈だな。ならばなぜ其方は身分高い家に嫁げず、レルジェは嫁げたのかな?」
威厳と威圧感を感じさせるガーゼルド様のお言葉に、サイタン子爵夫人は口を封じられたように黙る。ガーゼルド様は子爵夫人を静かに見つめながら言った。
「簡単な事だ。其方には其方自身に価値がなかったのだ。だから持参金など必要ないから娶りたいという者が現れなかった。しかし、レルジェにはレルジェ自身の価値がある。故に私は万難を排してでも彼女を娶るのだ」
……万難を排して、というのは誇張でも何でもない。彼は私と結婚するためにありとあらゆる手練手管を尽くして、問題を粘り強く一つずつ解決していき、遂に婚約を成立させたのである。
「私はレルジェを心から必要だと思い、一方其方は誰からも求められなかった。単にそれだけの事だ。それを実家や他人のせいにするのではない」
静かな口調だけど圧倒的な迫力と説得力があった。サイタン子爵夫人は口元を戦慄かせながら沈黙するしかなかった。
◇◇◇
……結局、今回の件について私が下した裁定は、バリバース侯爵夫人は被害者なので不問。セルモーダ伯爵夫人にはもう少し妹と仲良くするようにという強い注意を行った。
実際に両家の争いが顕在化する前だったし、夫人同士を除いた両家の関係は実はさほど悪くない事も確認した。ならばあまり重い処罰を与えて後々まで恨みを残すよりは、ほぼ不問に付した方が良いだろうという判断だ。
セルモーダ伯爵夫人も粛々と私の意に従う事に同意した。まぁ、そう簡単にこの姉妹仲が良くなるとは思えないけどね。
一方、サイタン子爵夫人には厳しい罰を下さざるを得なかった。
事が内乱誘発になりかねない事であったし、しかも子爵家夫人が伯爵家と侯爵家に陰謀を企んだというのは身分制度的にも重大な問題である。
問題に関わったバリバース侯爵夫人とセルモーダ伯爵夫人をほぼ不問に付す関係上、サイタン子爵夫人に全ての罪を被せる必要があったという事情もある。こういう時、身分の低い者は責任を押し付けられ易い。
私はサイタン子爵夫人に三ヶ月の室内謹慎処分を命じ、同時にサイタン子爵家にバリバース侯爵家とセルモーダ伯爵家への謝罪と賠償を命じた。賠償額は両家の要求に応ずる事とした。
私の命令は裁定を委託した皇帝陛下の命令なので絶対である。サイタン子爵家は多額の賠償金を負ってほとんど破産してしまったらしい。
サイタン子爵夫人自体は謹慎処分が明けた後、即座に離縁されたそうだ。実家のセルモーダ伯爵家は彼女を修道院に送った。私の育った帝都の修道院ではなく、帝都から遠く離れた山奥の修道院だそうだ。その後の彼女の消息は全く分からない。
私の裁定は皇帝陛下も「良い裁きだ」と褒めて下さったし、ユリアーナ様も「良いのではないかしら?」と言ってくれたので悪くはなかったのだと思う。人を裁くっていうのは柄じゃなくて、サイタン子爵夫人に重い罰を下すのは気が重かったけどね。
それよりもバリバース侯爵夫人とセルモーダ伯爵夫人が私の事を「レルジェ様は全ての事を見通す瞳を持っていらっしゃる!」と私の推理について社交界で誇大に言いふらしたせいで、この後も私の元に宝石関係の様々な問題が持ち込まれるようになっちゃった方が問題だった。これのせいで私はその後、何度も悩まされる事になる。





