第三十三話 呪いのスフェーン(前)
皇太子宮殿にお客様がやってくるのは珍しい事ではない。それこそ毎日のように高位貴族の方々が皇太子殿下ご夫妻に会いにやってくる。
ただ、今回のお客様が珍しかったのは、両殿下にご挨拶した後に私に面会を求めた事である。私は首を傾げた。
それは私は数日後に婚約式も控え、準皇族として扱われる身になっているんだけど、まだ皇太子宮殿に間借りしている状態で単独で社交にも出ていない。正式に婚約者になれば公的にガーゼルド様の婚約者と名乗れるため、単独で社交に出る事が可能になるんだけど。
大体の貴族の方々はそれまでは様子見という事らしく、私にわざわざ会いに来るような事はこれまでなかった。それが突然名指しで呼ばれたので私は驚いたのだ。
まぁ、婚約式の準備も終わりに差し掛かっていた事もあり、私は面会に応じた。皇太子殿下宮殿の応接室の一つへと向かう。
面会のお相手はバリバース侯爵夫人である。帝国社交界ではかなりの有名人。もちろん私も初対面ではない。三十代後半の、長身痩せ型のご婦人だ。髪は赤茶色。
型通りのご挨拶をする。この場合、既に私の方が身分が高いので私は受ける側だ。この間まで姿を見るのも憚られた雲上人から遜った挨拶を受けるのはどうも慣れない。
バリバース侯爵夫人は優雅にソファーに腰掛けると、私に婚約の祝福の言葉を贈り、私とガーゼルド様はお似合いだと社交界では皆が言っていると褒めそやした。いわゆる無難な話題という奴である。なかなか本題に入らないのは貴族の会話では普通の事だ。
お茶を楽しみながら、ひとしきり無難な話が続き、二杯目のお茶がカップに注がれたタイミングでバリバース侯爵夫人がようやく本題を口にした。
「レルジェ様は宝石に関して神秘的な力をお持ちだとか」
私はフフッと微笑んだ。
「そのようなものはありませんよ。単に宝石に多少詳しいだけです」
一応、私が宝石の記憶が見えることは内緒だからね。だけどバリバース侯爵夫人はある程度確信があるようだった。かなり高位貴族の夫人だから、情報収集能力も高いのだろう。
「レルジェ様に見て頂きたい宝石があるのです」
バリバース侯爵夫人が侍女に頷くと、侍女が歩み寄り侯爵夫人に小箱を渡す。侯爵夫人はそれを私の前に静かに置いた。
つい手が出そうになるが自重する。私が座り直すと私の侍女であるリューネイが小箱を手にして中を改めた。
リューネイが問題ないと判断して、改めて私の前に小箱が置かれる。毒や何かの罠を警戒しているのだ。皇族なら当然の警戒らしい。
小箱の蓋はリューネイによって開けられていて、箱の中身が見えた。紫色のベルベットの布に包まれていたのは濃い緑色の宝石だ。宝飾品ではなく、裸石の状態。これは……。
「スフェーンですね」
「一目でお分かりになるのですか?」
「ええ。まぁ……」
スフェーンは緑色の中に赤い輝きが混ざる珍しい石なので宝石の記憶を覗くまでもなく分かる。
親指の先程の大きさで輝きも透明度も高い良い石だ。希少な石だから高価なものだっただろうね。
ただ、スフェーンは脆くて衝撃で割れ易いという特徴があり、宝飾品には使いにくいのよね。直射日光に当てると退色してしまうというのもある。美しいのだけど使いどころが難しいのだ。それでこの石もまだルースなのだろう。
「良い石ですね。で、これがどうかいたしましたか?」
バリバース侯爵夫人は非常に言いにくそうにこう言った。
「その……、それは呪いの宝石らしいのです」
私はちょっとびっくりしたくらいだったけど、周囲の驚きはそれどころではなかった。
「こ、侯爵夫人! そのようなものをレルジェ様の前に出すなど!」
「レルジェ様! 離れて下さいませ!」
慌てて駆け寄ろうとするリューネイを私は手を上げて制した。
「落ち着いて。大丈夫。呪いの宝石なんて有るはずがありません」
そんなものがあるなら私もだけど、あんなにジャラジャラ宝石を身に付けてる貴族婦人達はみんなとっくに呪われているだろう。なにせ首を切り落として奪った宝石なんて珍しくもないんだからね。
「どうしてこれが呪いの宝石だと思われたのですか?」
私はバリバース侯爵夫人に優しく尋ねる。夫人は私が怒らなかった事にホッとしたような顔をしながら答えた。
「その、この所我が家に不幸が続きまして、占い師に問うたところ、この宝石が原因だと言われたのです」
占い師とはまた怪しげな話が出てきたものである。ただ、貴族社会では占いだとか運勢だとかは馬鹿にならない影響力があるもので、皇帝陛下だって国家的重要事項を決める際には祭祀を行なって大女神様にお伺いを立てるものだ。
なにしろ貴族には魔法が使える方もおられるので、超常的な力や運命を完全否定している人は少ない。
なので私も思わず笑い出しそうになるのを堪えて、貴族的な微笑みを浮かべながらバリバース侯爵夫人に問い掛けた。
「どのような呪いだと言われたのですか?」
夫人はなんだか困惑したような表情を浮かべた。
「その、この宝石は三代前の当主が手に入れたのですが、その際に罪なき者を殺めたのだそうで、その祟りが今の我が家の不幸の源らしいのです」
なんでも、先代侯爵が食中毒で急死したのを皮切りに、現侯爵が馬車の事故で腰を痛め、侯爵の三男が大病を患い、長女の縁談が二回破談になり、侯爵家の領地で嵐が起こり、この間侯爵夫人が仕立てたドレスの評価が社交界でさんざんだったのだとか。
……そのくらいの不幸はありふれているんじゃないかしら。しかも聞けばその不幸が起きたのはどれもつい最近らしい。なら三代前に手に入れた宝石は関係ない気がするんだけどね。
しかし占い師曰く間違いなく宝石の呪いのせいだとのことで、このスフェーンを手放さないと不幸は更に続きエスカレートするだろうとのこと。
夫人は恐れ慄き、すぐさま宝石を手放そうとしたのだけど、夫である侯爵が「そんな事で家宝の宝石を手放すなんてとんでもない!」と怒って許さず、困ったバリバース侯爵夫人は私に相談することにしたそうだ。
「どうして私に相談しようと思ったのですか?」
確かに私は貴族達の間では例の大王のルビーの件などで宝石に詳しいと評価されているはずだけど、一応準皇族である私にこんな怪しげな相談を持ち掛けるには抵抗があった筈である。
それをあえて失礼を承知で私に話を持ち込んだというのは……。
「その、ウィグセン公妃様に勧められたのです。そういう話はレルジェ様が詳しいと」
私より上位の方からの勧めなら、確かに私に対する失礼にはならない。公妃様からの紹介という形になるからだ。逆に私がこの話を断ったり怒ったりすればウィグセン公妃様の顔を潰す事になる。
ウィグセン公妃様は私との関係は悪くないので、悪気はないのだろう。これが義理の母(予定)のユリアーナ様だったら何か裏がないか心配するところだ。
公妃様のご紹介では仕方がない。私は目の前に置かれた緑と赤が混じったような不思議な色合いの石、スフェーンに意識を集中する。
すると色々な風景が頭の中に飛び込んできた。こうして記憶が見ることが出来るのだからこの石は普通の宝石なのだと思う。
……宝石が採掘されて磨かれ、異国から帝国に運ばれて、宝石商人の手に渡る。ここまでは全く問題ない。普通の宝石と同じだ。ちなみに出てきた宝石商人に知り合いはいない。三代前という話だったからね。
で、宝石商人から貴族夫人がこの石を買い取る。この段階ではネックレスか何かに加工されていたようだ。
そしてある時そのネックレスが壊れる。スフェーンは脆い石だから欠けたのかもしれない。で、職人が石をリカットして、ルースの状態で持ち主の元に戻される。
で「綺麗だけどこうも脆いのではねぇ」なんてご婦人が残念がる声が聞こえて、蓋が閉じられ……。次につながる映像は何やら黒いフードを被った中年男性が「この宝石が全ての元凶ですじゃ!」と叫ぶシーンだったわね。
……あれ?
えーっと、という事はですよ。
このスフェーンは実に真っ当な購買によってバリバース侯爵家にやってきて、扱いが難しいので死蔵されて、今に至るという事ではないかしら。
どこに罪なき人を殺めた話が出てくるのかしら? どんなスプラッタなシーンがあるのかとドキドキしながら見て損したわよもう。
私は慎重な口調でバリバース侯爵夫人に尋ねた。
「この宝石は秘蔵されていたもののようですが、どうして占い師はこの石だと言えたのでしょうね」
「緑の家宝の宝石が怪しい、との事だったので、思い当たって私が宝物庫から出して占い師に見せたのですわ」
……完全にインチキ占い師による詐欺としか思えない。
緑色の宝石は何種類もあるのだから、何かしらバリバース侯爵家の家宝の中にある可能性は高かっただろう。侯爵家ならとんでもない数の宝石を所有しているのだろうからね。出鱈目に言ってもほとんど外れようがないのだ。
侯爵夫人が出してきた石見てを「これですじゃ!」と叫べばいいのだ。恐れ慄いた夫人が宝石を売ると言い出した時に、グルになった宝石商人が買い取る。もしくは「呪いを解く方法がある」とか言って多額の報酬を騙し取る。
実にありふれた詐欺だと思うのよね。ただ、私はこの時、言下に「そんなの詐欺ですよ」と言い切る事が出来なかった。私が平民で相手がお客様なら笑いながら言ってあげたと思うけどね。
理由は、そんな事を言ってしまうとバリバース侯爵夫人に恥をかかせてしまうからだ。まず、詐欺に遭いかけたという事自体が恥ずかしい事だと貴族社会では見做される。貴族は平民よりも名誉を重んずるからね。
この場合、恥をかいたバリバース侯爵夫人が詐欺師であろう占い師だけを恨むのなら問題はないのだけど、詐欺を見抜いてそれを人目のあるところで指摘した私まで恨まれると厄介である。バリバース侯爵夫人のみならず、紹介者であるウィグセン公妃様との仲まで拗れかねない。
そうなるとウカウカ教えて差し上げるわけにはいかない。でも、私は解決する事を見込まれて相談されてる訳である。分かりませんと言って帰ってもらうと、今度は私は頼りにならないと言いふらされてしまうかも知れないのだ。
面倒臭いけど、私は私の評判だけではなくガーゼルド様の評判にも気を遣わなくてはいけない立場だ。私の評価が下がると婚約者のガーゼルド様の評価も下がり、ひいてはグラメール公爵家の権威にも関わってしまう。
迂闊な事が言えなかった私は、バリバース侯爵夫人に、よく調べるためにスフェーンを預かる事を提案せざる得なかったのだった。
◇◇◇
「そんなもの『私は忙しいので後にしなさい』とでも言って断ってしまえばよかったのだ」
と婚約者様はにべもなかった。身分が高い者は下から際限なく相談や要望を持ち掛けられる立場なので、断る時は断固として断るべきとの事だった。
「でも、ウィグセン公妃様からの紹介でしたし」
「そんなもの本当かどうか分からぬではないか。紹介状でもない限り気にする必要はない」
確かに、紹介されたと明言された訳でもない。侯爵夫人が勝手に言っても分からないけどね。
「ふむ。それで、これが件のスフェーンか」
ガーゼルド様は興味津々といった風情でテーブルの上に置かれたスフェーンを覗き込んだ。話の胡散臭さは別として気になるらしい。
「見事な石だとは思うが、何かいわく因縁があるのか?」
お声に期待する響きがあるが、私は首を横に振るしかなかった。
「いいえ。ごく普通に輸入されて購買された宝石です。特に血生臭い話はありませんでした」
「ふむ。つまらんな。単純に詐欺占い師のダシに使われただけか」
そう言いながらガーゼルド様はテーブルに箱ごと置かれたスフェーンを眺め回している。手に取らないのはスフェーンが宝石としては脆く繊細な石だからだろうね。扱いに失敗して割ってしまいでもしたら賠償問題になる。
私もそう思ったので一度も手に取っていない。もちろん、そう簡単に割れたり欠けたりするほどの脆さじゃないんだけどね。念の為だ。
脆いと言えば……。
「そういえばこの石は一度欠けた事があるようです。それでリカットして死蔵されるようになったらしいですね」
「ふむ。リカットしてこの大きさなら、元はもっと大きかったのだろうな。惜しい事だ……」
ガーゼルド様はそう言いかけて。ちょっと眉を顰めた。
「どうなさったですか?」
「稀に見るほど大きなスフェーン、か……」
ガーゼルド様は考え込んでしまった。私には彼がどこに引っ掛かったのかが分からない。首を傾げながら待っていると、やがてガーゼルド様はポンと手を打った。
「ああ、そうだ。セルモーダ伯爵家だ」
「セルモーダ伯爵家?」
「そうだ。かなり以前に小耳に挟んだのだ。セルモーダ伯爵家には昔、家宝のスフェーンのペンダントがあったのだが、随分前に紛失して今も探しているという話だったな」
……確かにこの石は昔、ペンダントだった時代があるわね。
「スフェーンで間違い無いのですか?」
「ああ、そう聞いたな。鮮やかなファイヤと赤い光彩が美しい、稀に見るほど美しいスフェーンだったと聞いた」
……特徴は一致しているわね。宝石は同じ種類でも色や輝きや透明度、形状や内容物に違いがあるので、意外と一個一個判別が可能である。
スフェーンは珍しい石だし、大きな物は稀だ。脆くて褪色しやすいから長年残り辛くもある。こんな見事なスフェーンは帝国に何個もないだろう。だからこそバリバース侯爵家でも家宝にしたのだろうけど……。
「盗品、ということですか?」
バリバース侯爵家が盗んだという事ではなく、盗品を知らずに購入したのではないか? という意味だ。しかしガーゼルド様は首を傾げる。
「いや、紛失という話だったがな。いずれにせよ、この石とセルモーダ伯爵家の探しているスフェーンが同じとは限るまい。というか、違うという事にしないとまずいな」
気になる言い回しだった。
「まずい、とは?」
「うむ、バリバース家とセルモーダ家は非常に仲が悪いのだ。なんでも三代前からの確執だとか」
バリバース侯爵家がこのスフェーンを入手したのは三代前という話だったわね。
ちょっと、嫌な予感がする。面倒事の予感だ。私は無意識に身体を震わせる。
冗談じゃない。私は婚約式を目前に控える身。物凄く、ものすごーく忙しいのだ。こんな忙しい時に、そんな貴族の家同士の確執なんていう、極め付けに面倒くさそうな話に巻き込まれている暇などあるものか。
全力回避だ。私は知らぬ存ぜぬを決め込むことを決意した。バリバース侯爵夫人が失望しようが知ったことか。明日にでも夫人を呼び出してこの石を返して何も分からなかったと言おう……。
……もちろん間に合わなかったわよ。
バリバース侯爵夫人は私に話を持ち込む前に既に社交で何度か「呪われていると言われた」とスフェーンをお披露目していたらしい。
その社交に同席していた夫人がセルモーダ家のスフェーンの事を思い出し、余計なことにセルモーダ伯爵夫人にご注進に及んだらしい。
セルモーダ伯爵夫人は激怒してバリバース侯爵夫人の元に突撃したらしい。両家に確執があるのは確かなのだけど、どうもそれ以上に両夫人が個人的に仲が悪いのだそうだ。
バリバース侯爵夫人だっていきなり金切り声で怒鳴り付けられてはたまらない。心当たりも(三代前の話だし)無いわけで。いきり立ってセルモーダ伯爵夫人に反論する。しかしセルモーダ伯爵夫人はすっかり侯爵夫人の弱みを握ったと思うからかなり侮蔑的な言葉を大声で言い立てたそうだ。
バリバース侯爵夫人は完全にキレてしまい、二人は優雅であるべき舞踏会の会場で大声で怒鳴り合い、終いには掴み合いの引っ掻き合いまで演じたとか。いやはや。
悪いことにその時例のスフェーンは私の手元にあった。そのため二人と両家の争いの仲裁が私に任される事になってしまったのである。つまり完全に巻き込まれてしまったのだ。
「せ、せめて婚約式の後にしてくれればいいのに……」
私は頭を抱えてしまった。婚約式はなんと三日後である。そのタイミングで皇帝陛下より「両家の仲裁をするように」と命ぜられてしまったのだ。
「宝石についてはレルジェが一番詳しいし、現在問題の宝石を預かっている立場でもある。それと、皇族として貴族の争いを裁くのはよくある事だ。練習に丁度良い」
との事だった。陛下の命令では仕方がないのだけど、せめて、せめて婚約式の大騒ぎの後にして欲しい。だって本当に忙しいのだから!
しかし。両家の争いはかなりヒートアップしているらしく、時間を掛けると兵を集めて帝都の中で市街戦をやらかしかねないとの事。早急に仲裁の必要があるのだった。
「まぁ、陛下も解決できぬと思った者に任せる事はない。レルジェは見込まれたのだ」
あんまり嬉しくはないのだけど、皇族として頼りにならないと思われるより良いのは確かだった。
なぜかガーゼルド様は大変ご機嫌でニコニコしていた。婚約者である私の皇族としての仕事は、必然的にガーゼルド様のお仕事にもなる。準皇族である私にはまだ単独で貴族を裁けるほどの権限がないからだ。
この人だって婚約式の準備が大詰めな上、皇太子ご夫妻の警備も近衛騎士団長としての仕事も手を抜けず、大変忙しいと思うんだけどね。どうしてそんなにご機嫌なのか。
「今度は君がどんな思考の冴えを見せてくれるのかが楽しみでな」
私にそんな褒められるほどの思考力はありませんよ。むしろガーゼルド様の方が頭が切れると思います。
「君は思考もそうだが勘が鋭い。私の辿り着かなかった結論にいつも私を導いてくれる」
ガーゼルド様が私を気に入った理由はその辺りらしい。イルメーヤ様が言っていたが、ガーゼルド様は頭が良く意外性のある人が男女ともに好みなのだそうだ。
それはともかく、貴族の家同士の揉め事の事なんて私にはさっぱり分からない。ガーゼルド様の助けが必要なのは確かだった。
「そもそも両家はなんで不仲になったのですか? 三代前の確執と伺いましたが、その時はスフェーンは絡んでなかったのですよね?」
「調べた話では、最初は隣接する領地の境目の話だったようだな。それが当時の夫人同士の不仲もあいまって激しい争いになったそうだ。結局、当時の皇帝陛下のご仲裁を仰ぐことになって、一応は収まった。だが、しこりが今でもあって、両家はずっと緊張関係にあったらしい」
どうも色んな問題が複雑に絡み合っていて、簡単には把握出来ない話なのだそうだ。ただ、現在の両家の夫人の不仲の理由は簡単だった。
「バリバース侯爵夫人とセルモーダ伯爵夫人は姉妹なのだ。で、バリバース侯爵夫人が妹。つまり自分より良い家に嫁いだ妹を姉であるセルモーダ伯爵夫人が妬んでいるということらしい」
……しょうもない。ただ、ヴェリア様がご自分の姉上様に深刻に妬まれていたように、貴族女性にとって嫁入り先はプライドにとって結構重大な問題らしい。
「そもそも侯爵家と伯爵家では家格に差がある筈ですよね。争い自体が起こり得ないのでは?」
貴族身分に上下があるのは、貴族社会での争い事を減らすためという意味合いがある。貴族社会での争い事はつまり帝国の内戦になっちゃうからね。
「それがそう簡単な話でもなくてな。家格は高くともバリバース侯爵家は近年、大臣も将軍も出したことがない。それに対してセルモーダ伯爵家はここ三代、大臣が続けて出ている」
バリバース侯爵家の方が家格は上だけど、権力的な意味ではセルモーダ伯爵家の方が上らしい。後、経済力的な面でもセルモーダ家の方が勝るそうだ。
両家の関係は実に複雑なのだった。ちなみにバリバース侯爵家の本家はウィグセン公爵家で、セルモーダ伯爵家の方はカルテール公爵家に繋がりがあるそうだ。それで当事者ではないグラメール公爵家の私たちに仲裁が任されたという面もあるらしい。
「とりあえず、その件のスフェーンが呪いの宝石ではない、のは間違いないのだな? レルジェ」
ガーゼルド様の問いに私は頷く。
「特に変わった経歴のある石ではありませんでしたよ。気になる事と言えば。いつ所有者がセルモーダ伯爵家からバリバース侯爵家に移ったのかが分からないくらいです」
ネックレスだったスフェーンが壊れて職人にリカットされ、箱に収められ、それ以降は秘蔵された。そういう時系列は分かるのだけど、その過程のどこで所有者が代わったのかがよく分からないのだ。
なにしろ三代前。百年くらい前の話らしく、私の知っている方は宝石の記憶に出てこないし、都合良く名前を呼ぶシーンが記憶されている訳でもない。
スフェーンのネックレスが破損した状況もイマイチよく分からない。私の能力は万能ではない。このように細かいところが視えない事はよくある。
「まぁ、呪いの宝石などがあるなら、我が家など何度呪われるか分かったものではないからな。問題はなぜ占い師にそのスフェーンが目を付けられたか、という事だが」
「目を付けられた?」
気になる言い回しだった。私は占い師は詐欺師だと思っていた。なので宝石はなんでもよく。あのスフェーンが選ばれたのはたまたまだと考えていた。しかしガーゼルド様は違ったようだ。
「おそらく占い師はそのスフェーンがバリバース侯爵家にあることを知っていた。そして、それが表に出ればセルモーダ伯爵家との揉め事の元になると知っていたのだろう」
「どうしてそう思われますか?」
「占い師はいくつか見せられた緑の宝石の中からそのスフェーンを選んだらしいのだ」
唯一の候補ではなかったという事らしい。いくつかの中からわざわざあのスフェーンを選び出したのだとすれば、少し怪しくなってくる。
「そして、占い師を紹介したのがサイタン子爵夫人というのも気に掛かる」
サイタン子爵家はバリバース侯爵家の分家である。侯爵夫人と子爵夫人は仲が良く、その関係で不運を嘆く侯爵夫人に子爵夫人が「良い占い師がいる」と紹介したのだそうだ。
「だが、サイタン子爵は最近、セルモーダ伯爵に接近している。帝国が進めている大規模な公共事業に関わりたがっているのだ」
貴族の本家と分家の関係はかなり複雑でややこしい。貴族は血縁を重視するので本家と分家の関係はかなり強固な事が多いけど、上位の家が没落した場合、下位の家が離反することは当然あり得る。
バリバース侯爵家は没落しているとまでは言えないんだけど、セルモーダ伯爵家はこの勢いを保ったまま皇族からの降嫁でもあれば、侯爵になるかもしれないと言われている。サイタン子爵家が血縁を越えて派閥の乗り換えを検討してもおかしくはない。
途端に話がきな臭くなってきた。私は最悪の想像を口にする。
「これはセルモーダ伯爵家の派閥による、バリバース侯爵家潰しの一環という事ですか?」
「そう考えた方が自然だと思うがな。それを察知したウィグセン公爵家が、バリバース侯爵夫人を君の所へ寄越した」
つまりウィグセン公爵家としては一族のバリバース侯爵家が窮地に陥っては困るので、問題の穏便な解決を期待して私を巻き込んだ、という話らしい。……迷惑な。
「……このお話、婚約式までに片付かない気がするのですが……」
というか婚約式まで忙しいので、式の後まで問題を先送りさせて欲しい。しかしガーゼルド様は同意して下さらなかった。
「そうもいくまい。婚約式にかまけている内に状況が悪化してしまうとウィグセン公爵の顔を潰すことになる」
婚約式は皇族の方が全員出席される。ウィグセン公爵家もだ。もしも公爵家の心証があまりにも悪くなってしまうと、仮病を使って出席拒否、なんてこともあるかもしれない。そんな事になったら今後のグラメール、ウィグセン公爵家の関係にまで関わってくるだろう。
「なので、婚約式の前にこの話は片付けておきたい所だ」
「……婚約式は三日後なんですが……」
つまり、こんな面倒くさそうな貴族の家同士の揉め事を、明日と明後日中に解決しなければならないという事である。しかも、婚約式の準備で目が回るくらい忙しいのに。
無茶振りである。