第三十二話 誓いの宝石
私はガーゼルド様と婚約して準皇族になってしまった。
準皇族というのは分かり易く言えば貴族と皇族の中間、みたいな位である。逆に分かり難いわね。
例えば侯爵様がいたとして、その方と私を比べると、私の方が敬われるけど命令権限は無い、という感じだ。これが正式に皇族になると、完全に階位が貴族よりも上になるので命令権限まで付与される(もちろん何でも言って良いというわけではない)。
しかしとりあえず平民の孤児出身の私(男爵令嬢という事にはなっていたけど)がいきなり帝国に何千人かいる貴族の上の階級になってしまった訳である。当然、貴族の中には反発する人もいたと思うのよね。
でもその声は大きくならなかった。理由は簡単で、皇帝陛下が私とガーゼルド様の婚約に勅許を出していたからである。帝国では大女神様の代理人である皇帝陛下の命令は絶対だ。特に故なき自裁の命令にも粛々と応じるのが貴族の誇りとされるくらいなので、貴族であれば皇帝陛下の勅許に異を唱える事はほとんどあり得ない。
今回の場合、皇帝陛下だけでなく皇妃陛下も三公爵家の内の二つ、グラメール、ウィグセン両公爵家も私の皇族入りに賛成であり、ガーゼルド様と結婚したがっていたセレフィーヌ様のカルテール公爵家が若干難色を示したものの、他の皇族が賛成なのに強固な反対運動を展開する訳にはいかず、最終的には消極的賛成に落ち着いた。
皇族が一致して賛成している事に、貴族たちが強く反対出来る訳がない。
それと同時に「噂」レベルで流れ始めていたのが、私がサイサージュ殿下とルレジェンネ様の娘であるという話だった。つまり私が元々皇族の血を引いていた、という話である。
皇兄と愛妾の娘であるので正式な皇族ではないけど、皇族と強い血縁関係があるのは間違いない。そして貴族は血統を重要視する。
おまけに現在の皇帝陛下が兄であるサイサージュ殿下を敬いその処遇に同情していた事は知られており、しかもルレジェンネ様とは恋仲だった。
その二人の娘に特別な思いを抱くのは当然だと言える。それならば皇帝陛下が息子のように可愛がっている甥のガーゼルド様の嫁に、私のようなどこの馬の骨かも分からぬ娘を選んだ理由も分かる、と思われたのだった。
この「噂」に関しては、皇族の誰もが否定も肯定もしなかった。その事で貴族たちは逆にこの事を信じるようになったのである。そもそもこの手の話は真偽不明が当たり前だからね。否定されない、というだけで十分な信憑性があると考えられたのだ。
そんな訳で私は意外にあっさりと準皇族として貴族たちに受け入れられてしまった。そんな簡単な事でいいの? とちょっと呆れたけど、話が拗れるよりは簡単な方が良いのは確かだ。
もちろん、実際には話が簡単に済んだのはガーゼルド様やグラメール公爵家による根回しの結果だったし、内心では反発していた貴族も少なくなかったと思うけどね。
しかしとりあえず私は準皇族として敬われる存在になってしまった。しかしこれがまた結構大変だったのだ。
◇◇◇
皇族と貴族の違いは、貴族が基本的には自分の領地の統治しかしないのに対して、皇族は帝国全土の統治を行うという事だ。
ここが少し難しいのよね「帝国」という国家は本来、全土が皇帝陛下ただお一人の所有物である。土地も、人も、人が作り出したものもである。
しかしながら帝国創成期ならいざ知らず、現在の帝国は巨大で内情も複雑だ。とても皇帝陛下お一人の手で統治する事は出来ない。
そのため、皇帝陛下は帝国各地の統治を分割して委託する事になる。これを請け負っている者たちがつまり貴族である。
貴族たちは領地を委託され、領地からの収益を全て自分の物にする事が出来る。その代わり、有事の軍役や帝国全体に関わる公共工事を請け負う責任などが生ずるわけだ。
そのため、貴族領地は基本的に統治する貴族の好きにして良く、皇帝陛下でも基本的には干渉することが出来ない。
もちろん貴族が皇帝陛下に処罰されるような事をしでかすと、爵位と領地は没収になる。逆に皇帝陛下の歓心を買うような功績を立てれば領地が加増され爵位が上がる場合もあるのだ。
これに対して皇族は基本的には領地を持っていない。実はグラメール公爵家にも所有している領地は無いのだそうだ。私はそれを聞いてびっくりしたんだけど、それを見て笑いながらガーゼルド様は教えて下さった。
「皇族は帝国の統治を行う一族だ。領地の統治にかまけている暇はないのさ」
皇帝家と三公爵家は帝国政治の中枢を担う。軍事、外交、帝国全土の公共設備の整備と維持、貴族と平民の統制を行うのが仕事だ。
ガーゼルド様が若くして近衛騎士団長になっている事から分かる通り、皇族であれば早くから帝国の中枢に関わる仕事に就くのが当たり前であるらしい。
これは女子でも同じ事なのだが、女性の場合は帝国のために働く夫に代わって家の事を取り仕切り、社交で貴族社会を上手くゆるく統制するのが主要業務になるらしい。
これも結構馬鹿に出来なくて、貴族世論は大体社交界で形成されるので、その統制は重要なのである。社交界が他の貴族に壟断されるような事があると、それは皇族の影響力の低下と帝国統治の不安定に繋がるからだ。
そのため、皇族女性には硬軟取り混ぜた交渉力と大きな人格的包容力が求められるのだそうで、圧倒的なカリスマ性や人を惹きつける魅力を持っていれば完璧、らしい。無茶振りである。だから皇族の女性はどのお方もあんなに妖怪じみて……げふんげふん、素敵な方達ばかりなのか。
ちなみに、では公爵家や皇帝家はどこから経済的な収入を得ているのかというと、帝国の各地にある皇帝直轄領という領地から得ているのである。各公爵家はそこから歳費を皇帝陛下から与えられている。この皇帝直轄領からの収入が莫大であるため、皇族はあんなにお金持ちなのである。
ただこのシステムだと公爵家は高い権威と経済力はあるけど、土地がないので独立性が低い。これも公爵家が皇帝陛下に逆らえないようにする為の保険なのだろう。ただ、最近では貴族たちはいろいろ事業を起こしたり出資したりするので、必ずしも土地が基盤ではなくなっているみたいだけどね。
私も準皇族になった瞬間に公爵家から予算が割り当てられた。もちろん正式に皇族になればもっと割り振られるみたいなんだけど、準皇族としても伝えられただけで卒倒しそうなくらいの額だったわね。
この予算で私がやらなければならなかったのは、主に自分の身を飾る事だった。
つまりドレスや宝飾品やお化粧道具を買いなさい、という事である。確かにこれらは非常に高価で、巨額な予算も頷ける。
なにしろ今まで私が使っていたドレスは皇族の格に合わないから作り直しだと言われたのよね。勿体無いけどこれも投資である。皇族女性は社交界を統制しなければならない。そのためには外観から他の貴族を圧倒する必要があるのだ。
昔、貴族女性が豪華な衣装を競い合っていた時代があって、その頃は皇族女性も対抗上更なる豪奢さを追求せざるを得ず、予算が天井知らずになってしまって大変だったらしい。
なので現在では階位によってレギュレーションが決められていて、その枠をはみ出すと罰則があるのだそうだ。それによって貴族も皇族も女性の衣装代が家の屋台骨を傾かせるような事は起こらなくなったが、私のように位を飛び越えると、何もかもが作り直しになってしまう。
これは侯爵令嬢から皇太子妃になられたヴェリア様も同じだったそうで、なにしろ皇太子妃で私よりも位が高いから、恐ろしい費用が掛かった事だろう。侯爵家や本家のウィグセン公爵家が威信にかけて用意したのだろうね。
私にも一応は実家という事になっているブレゲ伯爵家から支援があった。ただ、皇族への嫁入り費用なんて出したら伯爵家は破産してしまう。なのでほとんどの費用はグラメール公爵家が負担してくれた。
皇族女性の仕事は社交がメインである。という事は社交に出るに相応しいドレスや宝飾品がそれだけ要るという事なのだ。もちろん、皇族として出るのだから相応しい装いでなければならず、数着のドレスを着回すなんて事は皇族はしない。
つまり私は嫁入りまでに数百着に及ぶドレスを作らなければならなかったのだ。これが大変な騒ぎだったのよ。
知らない人向けに説明すると、ドレスを作るにはまず、職人とのデザインの打ち合わせがある。着る本人が気に入らなければ大変な事になるので、私も当然同席しなければならない。
用途に合わせたデザインと素材を決めたら、採寸である。一回測れば使い回せば良いのでは? と思うのだけど、職人毎にサイズの指標が違うので、一着毎に毎回測らなければならない。数百着を短期間で作るなんて一つの工房では無理だからだ。数十ある皇族御用達のドレス工房が総出で取り掛かる大仕事なのである。
一回測ればお終いではない。これが面妖な事に、完成まで何度も何度も仮縫いをしてサイズを調整しなければならないのだ。私はあんまり太りも痩せもしないんだから。サイズの変化は考えなくても良いと思うんだけどね。この仮縫いが何件も重なると、それだけで一日が終わってしまう事さえある。
そうやって仕立てられるドレスは、昼用の軽いドレスでも完成まで一ヶ月掛かる。夜会用の重厚なものなら三ヶ月。儀式用のドレスなら一年でも早い方だという。その間中幾度となく仮縫いに付き合わされる私の身にもなって欲しい。
宝飾品に関しては本職であるので、かえって私は軽く考えていた。皇族の格に相応しい宝石はヴェリア様の侍女として扱って覚えたし、そういうランクの宝石を御用商人に発注すれば良いのだろうと。
ところがこれも簡単ではなかった。というのはヴェリア様は皇族として最上位に近い皇太子妃であるために、他にあまり気を遣う必要がなかった。しかし私はガーゼルド様の嫁、つまり次期公爵の妃という皇族の中では末端に近い階位になるわけだ(ガーゼルド様が公爵になられれば私は公妃になって位が上がるんだけど)。
そのため、私は皇妃陛下、皇太子妃殿下、公妃様方に「遠慮」しなければならない。皆様がお好きな宝石は避けて、価値も上回らないようにしなければならない。それでいて「皇族に相応しい」石を選ばなければならないのだ。これは結構難しい。
当然だが宝石が飾るドレスとのバランスも勘案しなければならず、例えばユリアーナ様のお好きなピンクの宝石は避けるとなると、ピンクの石に合う色のドレスは必然的に作れなくなるなどの制限が生ずるわけである。
め、面倒くさい。お貴族様はそんな事を考えながら宝石を選んでいたのかと今更気が付いた私だった。道理で似合うと思ってお勧めした宝石を、お気に入り下さったようなのに購入しない場合があるなぁ、とは思っていたのよ。
ちなみに私は宝石ならなんでも好きだし、特に好きな石は無いとも言える。そもそも私は自分が宝石を身に付ける事を考えた事が全然無いのだ。だから自分に似合う宝石を改めて考えると困ってしまうのよね。
結局、私は本職のくせに自分に似合う宝石をビシッと選び出す事が出来ず、ヴェリア様やイルメーヤ様にアドバイスを求める有様だった。お二人とも喜んで選んでくれたけどね。
「レルジェ義姉様は藍色の髪と黄色い瞳だから、薄い色の宝石は負けてしまうわねぇ」
イルメーヤ様の見立てでは私は髪色が濃いので髪飾りなどでは銀かプラチナにダイヤモンドのように輝きが強いものを配し、ドレスは薄い色を主体として、そこに濃い色のエメラルドやサファイヤなどを身に付けた方が良いという事だった。
確かに髪色が重い私は濃い色のドレスを着ると全体が沈み過ぎてしまう。薄い黄色や緑、あるいは白か薄桃色のドレスを多く仕立てられたから、それに合わせた濃い色の宝石を選んだ方が良さそうだ。
ただ、ヴェリア様は首を傾げてこう仰った。
「でもレルジェは私に薄色の宝石も選んでくれたわよね?」
ヴェリア様も髪は紺色で重めの色だ。私は説明する。
「ヴェリア様は瞳の色が水色で、瞳に合わせた色を選びましたので。それとお顔立ちが穏やかなので」
それとご性格的にも自己主張が強い方でもないから、押し出しの強い宝石を選ばなかったのである。
「そうね。レルジェは覇気のある顔をしているから、派手目の宝石が似合いそうよね」
……ヴェリア様の評価は的確だ。私は我が強くてなんぼという商人の世界にいたこともあるが、顔付きや表情があまりお淑やかではないようなのである。なので確かにダイヤなど輝きの強い宝石が合うだろう。
この辺は目指す方向性もあり、地味目な顔立ちの人がアピール度を補填するために派手目な宝石を選ぶ場合もあるけどね。ただ宝石の輝きは諸刃の剣である。石と人の釣り合いやバランスは宝石を身に纏う上で永遠のテーマなのだ。
色々宝飾品を試着させられる私を眺めながらイルメーヤ様はうーんと唸った。
「テーマが欲しいわね」
「テーマ?」
イルメーヤ様は頷く。
「お義姉様の装いに統一感を持たせるテーマが欲しいのよ。言い換えれば『お好み』ね」
着替えたり宝飾品を替えても、一目で「私」であると分かる何かが欲しいという事だろう。それは分かる。
イルメーヤ様のダイヤ好きとかユリアーナ様のピンク好きとか、女性貴族は大体自分のテーマカラーやテーマストーンを持っており、それを軸にして装いを構成する事が多い。
私もヴェリア様には例のアレキサンドライトに合わせ、昼は緑夜は赤を軸にした宝飾品の構成を行ったものだった。後は皇太子殿下の瞳の色である青系統を主体にまとめる事も多かったわね。愛する人の瞳の色の宝石を身に着ける事には仲良しをアピールする特別な意味があるからね。
「それよ!」
イルメーヤ様が指を鳴らした。長手袋をしているのに器用な事だ。
「お兄様の瞳の色の宝石をお義姉様のテーマ石にすれば良いのよ!」
……えぇ〜?
「なによ、不満なの?」
思わず渋面になってしまった私に、イルメーヤ様が半眼を向ける。
いえね、嫌と言う訳では無いんですよ。嫌という訳では。その、ちょっと恥ずかしいだけで。
何しろ仲良しアピールなのだから。恋人の瞳の色の石を身に着けるのは。そうね。そういう意味合いのある宝石をガーゼルド様と一緒に身に着けるのは……。って……。
「もちろんお兄様は早速最高級のイエロートパーズを発注していたわよ」
仕事が早過ぎるわよガーゼルド様。なんでもいくつものイエロートパーズから私の瞳に近いものを厳選しているという気合の入り方だそうだ。
ガーゼルド様がそういうつもりなら、私の方も応じるのは義務みたいなものだ。少なくともガーゼルド様がイエロートパーズを着用なさった時は私もガーゼルド様の瞳の色の宝石を身に着ける必要があるだろうね。
「お義姉様、お兄様の瞳に似た色の宝石と言えば?」
イルメーヤ様の問いに私は反射的に答えた。出会った時にすぐさま連想したあの石だ。
「ルベライト……」
「え? あー。あ〜。言われてみれば、そうかもね。でも、へ〜。お義姉様にはそういう風に見えていたのね!」
赤い宝石はかなりの種類がある。代表的なものでもルビー、スピネル、ガーネット、レッドダイヤなどがあり、水晶なども時には赤くなるのだ。
ルベライトはトルマリンの一種で、それが赤い場合にルベライトと呼ばれて別種の扱いとなる。
特徴としてはルビーより輝きが大人しくクラリティが低い石が多い事。色もピンクに近いものが多い。
面白いのが加熱するとビリビリと電気を発する事で、電気石なんて呼び名もある。
石言葉は「寛大」や「誠実」でその辺もガーゼルド様にピッタリな石ではなかろうか。
なんて言えないけどね。イルメーヤ様とヴェリア様は意味ありげにニヤニヤ笑いながら何度も頷いていたわね。何ですかその顔は。
「それでは最高級のルベライトを取り寄せないといけないわね」
なんてイルメーヤ様は言っていたんだけど、結局その必要は無くなった。そんな話をした数日後にご本人が持って来て下さったからだ。
ガーゼルド様は妙にご機嫌な表情で私に会いにやってくると、芝居掛った表情で私の前に跪いて、手に持った小箱を開いた。
そこにはルベライトにしては非常に澄んだ輝きを持つ、美しい赤い宝石が入っていた。それほど大きな石ではなく、シンプルにプラチナのリングにセットされている。おそらくは日常的に使い易いように配慮されているのだと思われる。
ちょっと私は困惑した。
「婚約指輪は別に準備されている筈では?」
皇族の婚約指輪は規格が決まっているとかで、グラメール公爵家ではサファイヤとダイヤで仕立てる事になっているそうだ。婚約式と結婚式で使用し、今後もグラメール公爵家の人間であると証明する為に着用するものなので私の好みが反映される物ではない。
ガーゼルド様はご満悦な表情を浮かべながら言った。
「これは婚約指輪ではない。私の誓いの石だ」
「誓いの石?」
そんな風習があっただろうか? 少なくとも私は平民の世界でも貴族の風習としても聞いた事は無いけども。
「騎士の風習だな。出陣前に想い人に贈り物をして、勝利を誓う」
私は首を傾げる。
「出陣なさるのですか?」
「それくらいの覚悟である、という意味だな」
彼は私の前にゆっくりと跪くと厳かな調子で言った。
「私、ガーゼルド・グラメール次期公爵は、私の女神であるレルジェ・ジェルニアに永遠の愛を誓う。大女神とこの石に誓おう」
私は目を瞬く。
「改まってどうしたのですか?」
ガーゼルド様は少し照れたような表情で言った。
「ルシベールの奴に怒られたのだ」
「皇太子殿下から?」
「『其方は恋人に愛を訴える事が少な過ぎる。何も言わずとも分かってくれるなどと思っているのではなかろうな? 何度でも愛を訴え、誓うべきだ』と」
なるほど。皇太子殿下はヴェリア様と婚約なさってからも、暑苦しいくらい愛を訴え誓い、宝石を贈りまくってたわね。
それに比べればガーゼルド様が私に宝石を贈って下さった事は無いし、口に出して愛していると言って下さった事は数えるほどだ。
そういう意味で言ってガーゼルド様は私に対するアピールが足りないと言われれば、確かに足りないのかもしれない。
「私のアピールが足りないから。レルジェも淡白なのだ、と言われた」
……私が淡白であることは否定出来ない。私はいまいち恋愛感情に疎くて、愛とか恋とかいうものが今に至っても良く分からないでいるのだ。
ガーゼルド様の事は誰よりも信頼しているし、好きなんだと思う。だから婚約に踏み切ったのだけど、それでも皇太子殿下の様に熱く愛を訴える事も、ヴェリア様のようにしっとりと愛を受け入れる事も出来ないでいる。
有体に言えば私は戸惑っているのだ。愛とか恋とかがよく分からないのに婚約してしまった事に対して。
なので私のガーゼルド様への態度は、婚約を決める前と全く変わっていないと思う。ガーゼルド様が婚約を喜んでびっくりするほど幸せそうな様子なので、私の淡白な態度は目立っただろう。だから皇太子殿下が気を遣って下さったのだと思われる。
だけど私は困惑する。
「私は、ガーゼルド様のお気持ちを疑うような事は致しませんよ」
そもそも疑うようなら私は婚約しようなんて思わなかったからね。それと、この時の私はまだ、私とガーゼルド様には大きな身分差があるのだから、ガーゼルド様の意向が私の意向よりも優先されるのだ、という考えがあったのだと思う。なので疑っても仕方がない、と考えていたのである。
ガーゼルド様が私を離縁したいとお考えになったら。私が何を言っても離縁されるしかない。そんな風に諦めていたのだと思う。もちろん、ガーゼルド様がそう簡単に私を捨てるとまでは思っていなかったけどね。
しかしガーゼルド様は優しく笑って言った。
「誓いは、君にだけでなく神と自分にも誓うものだ。今後、何があっても、私は君だけを愛し続けると、自分にも誓うのだよ」
私は少し驚いた。
「自分にも誓うのですか? それはご自分を疑っている事になりませんか?」
「その通りだ。今後、どのような事が起こり私がどのように変わってしまうか分からぬではないか。そんな不確実な未来を律するために、私は君と、自分と、女神に誓うのだよ」
つまり誓いは愛情の証明ではなく、人生に対する誓約なのだという事だ。熱愛という一時の気の迷いではなく、もしも自分が変わり相手が変わっても、それでも永遠の愛を誓い一生添い遂げる事を誓う。
……誓い、という言葉の意味が途端に重くなってきた。そういえばガーゼルド様はこれは騎士の誓いだと言った。騎士の誓いは命懸けが当たり前である。これはガーゼルド様の命を賭けた誓約なのだ。
「……どうして、私なんかを……」
思わず弱気が口から転び出た。ガーゼルド様ほどの男性が、命を賭けて下さるほど、私は大した女じゃないと思うのよ。
「なに。私が勝手に選んだのだ。君が気にする必要はない。君は私の誓いを、受け入れてくれればいい」
……流石に、そんな不誠実な事は出来ない、と思った。誓いには誓いを返すべきだろう。永遠の愛には、永遠の愛を。しかし、私にはその永遠の愛というのがよく分からないのだ。
しかし、ガーゼルド様は全てお見通しという風に笑いながら、有無を言わさず私の左手人差し指にルベライトの指輪を差し込んだ。
私は複雑な気分でその指輪を見つめるしかなかった。
「君が私の想いをしっかり分かってくれるまで、何度でも君に誓おうぞ」
「い、いいですよ! そんなに何度も誓ってくれなくても! ガーゼルド様のお考えはもう分かっていますから!」
「いいや、分かっていない。私は、君に、私を愛して欲しいのだ」
ガーゼルド様の目が少し細くなった。それはガーゼルド様の本音であり願いだったのだろう。婚約者である私と心から愛し合う事を、ガーゼルド様は望んでいたのだ。
その想いに応えるためには、私は恋とか愛とかそういう感情を知り、そしてガーゼルド様にそれを向けなければならない。今はほんのりと好ましく思い、信頼しているとしか言えないこの想いを、もっと狂おしく熱い物に変えてガーゼルド様に応えなければならない。
出来れば結婚するまでに。真の夫婦として大女神様の前で永遠を誓う前に。
それは私にとって、結構な難題だと言えた。