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雨の日。もうすぐ姉が結婚する。

作者: はりはら

雨の日は、なまけ者に優しい。でも、ウソつきには優しくない。

「ナニ考えてるのよあんたは!」

 電話の向こうで友人はそう叫んだ。彼女はとても頼りになる。ファッション関係に無頓着なわたしの相談に快く乗ってくれる。…でも、ときどき手厳しい。

「お姉さんの結婚式にドレスをレンタルして出るって、そんなのダメに決まってるでしょ!」

 友人の怒声にわたしはおずおずと言葉を返す。

「…だって、ひと通り揃えたらけっこうかかるでしょ? レンタルで済ませたくもなるじゃない」

「あのねぇ、妹は親族で、お客様じゃないの! 招待客をお迎えする立場なんだよ。それをレンタルだなんて…お姉さんに恥をかかせる気なの?」

「そんなつもりじゃないけど…」

 大好きな姉が結婚するんだ。もちろん、そんなつもりは無い。でも…

「買いに行くのもめんどくさいし…もう式に出るのやめちゃおうかな」

 ついつい、そんなことを言ってしまう。

「そんなこと言うなら、最初からわたしに相談しないでよ」

 友人はあきれたように言う。そして、

「もう観念してさ、買い揃えようよ。一緒に行ってあげるからさ」

 ああ、本当に持つべきものはいい友人だ。それからしばらく、電話で買い揃えるものについてレクチャーされた。

「…だからね、綺麗すぎちゃだめ。可愛すぎちゃだめ。肌の露出が多いのも避けて、宝飾品はシンプルなものを選ぶ。目立ち過ぎないのが鉄則よ」

「ふーん、でも、けっこうな金額使うのに、目立っちゃダメだなんてツマラないわね」

「しょうがないでしょ、主役はあんたじゃないんだから」

(わたしが「主役」じゃない…か)

 その言葉はわたしに刺さった。電話でよかったな、もし面と向かって話していたら、友人に気づかれたかもしれない。

「…ねえ、聞いてるの?」

「あ、ゴメン。ちょっとボーッとしちゃった」

「まったく…あんたが電話してきたから、こっちは外出中なのに相談に乗ってあげてるんだけど」

 友人はまた、あきれたように言う。

「ほんとに、ゴメン」

「あんたは家なのね? 休の日くらい外に出たら?」

「だって、今日は雨じゃない。雨の日はやる気が出なくって…」

「そんな怠け者の言い訳あるあるみたいなこと言わないでよ。やる気が出ないからって部屋でゴロゴロしてても何かが変わるわけじゃないでしょ」

(そりゃあ、そうだけど…)

 わたしは「変わればいいってもんじゃないでしょ」と言い返しそうになったが、やめた。友人は本当に親切に相談に乗ってくれているのだし、わたしは変わらなければならない――それは確かなんだ。


「それじゃあね。最終的に、服を買うのも着るのもあんたなんだからさ、買いに行くまでにちゃんと考えおきなさいよ」

 友人はそう言うと、電話を切った。

 あーあ、結婚式に着ていく服かぁ…めんどくさいなぁ。考えるのも、買いに行くのもめんどくさい。そして、結婚式に出るのがいちばんめんどくさい。それが、わたしのホンネだ。

 姉のことが大好き、というのも噓じゃない。だから、なんやかんやと言い訳をして結婚式を欠席するという気にもなれないのだ。

(だけど…なあ)

 朝、ベッドを抜け出てから、同じような考えがグルグルと回っている。お昼もとっくに過ぎてから、やっと「結婚式には出なければならない」というごく当たり前の結論にたどり着き、服装の相談をしようと友人に電話をかけたのだが、それでもまだ、なにも決められていない。

(今日はもう考えるのヤメた。明日にしよう)

と、優柔不断な人間の見本のように考えた。でも、実際の話、今日これ以上考えたところで、進展があるとは思えない。友人に買い物につき合ってもらう約束は取りつけたし、一歩前進ということで、また、日を改めて考えよう。

 それに、今日は他にやらなければならないことがある。溜まりまくった洗濯物を片づけなければならない。休日の今日、まとめて洗濯しようと思っていたのに、朝からずっと雨だ。

「あーあ、本当にもう! しょうがないなぁ」

 一人の部屋で、そう声をあげた。


 わたしは銭湯にやって来た。温かいお湯につかって、そのあと、隣のコインランドリーで洗濯物を片づける。それで今日はもう終了。なにも考えないで、とっとと寝てしまおう。そう思っている。広い浴槽の温かなお湯の中でぐったりと体を伸ばす。

(場所を変えただけで、やっていることはあまり変わらないな)

 そんな気がした。今日は朝からごろごろしていただけで、疲れるようなことはなにもやっていない。それでも、体の中の重いものがお湯の中にとけていくような気がして、なにも考えないと決めたのに、やはりまた考えてしまう。

(妹のわたしが心配になるほどふんわりしたおねぇちゃんが結婚するんだもの、祝ってやらなきゃだよなぁ)

 と、また同じような結論にたどり着く――いや、違う。考えなきゃならないのは、その先だ。

 わたしは浴槽から出ると、のぼせかけた頭を冷たいシャワーで冷ました。姉を祝うと決めたのなら、結婚式に出ると決めたのなら、会わなければならないんだ、あの人に。姉と結婚するあの人に――


 あの人のことを、姉とわたしは「ケンチ」と呼んでいた。本当の名前は「研一朗」というのだけど、長過ぎだろう、とかなんとか、最初はそんな理由だったと思うけど、よく覚えていない。ご近所に住んでいて、よく三人で遊んだ。

 そして、いつからか、わたしはケンチが好きになった。

 秘めた恋心――なんてワケない。

「わたしケンチのこと好きなの。カノジョにしてよ」

 そう告白した。

「それはうれしいな、ありがとう」

 ケンチはそう答えた。

 それから、ケンチと何度かデートをした。ボウリングをしたとき、ストライクを出して、ハイタッチをした。そのときのケンチの温かい手のひらの感触を今でも覚えている。ケンチは明るくて、やさしくて、わたしがわがままなことをいっても、困ったような笑顔で許してくれた。楽しくて、嬉しくて、ケンチのことがますます大好きになって、いつまでもこんなのが続いて欲しいと思った。でも――

 ある日、ケンチと姉がわたしの家で大喧嘩をはじめた。滅多なことでは怒らない姉が、聞いたことのないような怒声をあげ、ケンチはわたしには見せたことのない怖い顔でそれに対していた。怒鳴り合いはしばらくつづき、わたしは呆然とそれを見ていた。やがて、それがおさまると、姉はケンチにしがみついて泣きはじめた。

 わたしは気づいた。ケンチと姉の関係が変わっていたことに。もう、いつも笑いあっていた友達同士ではない。そして、わたしとケンチの関係はなにも変わっていない。わたしはケンチに怒られたことなどないし、わたしがケンチに不満をぶつけたこともない。わたしたちは、本心をさらけ出し合う関係にはなれなかったんだ…

「わたしは子供扱いされていた」――なんて言うつもりはない。わたしがいつまでもこのままでいたいと思ったんだから。姉とケンチが二人だけで会っているのも知っていたけれど、なにも思わなかった。ただただ、いつまでも変わらずにこんな日々が続くと思っていた。わたしが、バカだったんだ。


 わたしは銭湯を出てコインランドリーのベンチに座っている。洗濯を終えて、乾燥機の中でグルグル回っているわたしのぬけがらみたいな着慣れた服たちをぼんやりと眺めている。

 姉とケンチの大喧嘩を見た日から、わたしはケンチと会わなくなり、しばらくして、家を出て一人暮らしをすることになった。

 結婚式で久しぶりに会うケンチは、わたしの告白のことを忘れたふりするのだろうか。それとも「あのときはゴメンね」と謝るのかな。どちらにしろ…どっちにしても、イヤだ。

 わたしがうなだれていると、コインランドリーの扉がガラガラと開けられ、女性が入ってきた。こんなところに来るのだから、近所の住人なんだろうけれど、ずいぶんとしっかり化粧をしている。

「こんちは」

 軽い感じであいさつをしてきたので、わたしも会釈を返した。会ったことのあるひとだったかな? 覚えがないけれど。ここは銭湯のおまけのようなコインランドリーなので、洗濯機と乾燥機が二台ずつ、ベンチがひとつあるきりだ。女性は空いている洗濯機に衣類を放り込むと、わたしの隣に座り、すぐにスマホに目を落とした。乾燥機と洗濯機の規則正しい虚ろな音が響き、わたしは再び乾燥機の中で回る自分の衣類を見つめていた。

 しばらくして、スマホに飽きたのか女性が声をかけてきた。

「ねえ、休みの日だってのに、一人なの? あなたも寂しいわねぇ」

 からかうような口調でそう言った。その言葉を虚ろな気持ちで聞いたわたしは、

「ええ、本当に…寂しいです。とっても」

 と、言葉を返した。女性は驚いた顔であわてて視線をそらし、そのままスマホに戻した。店の中に沈黙と機械の音が再び戻ったが、しばらくて、乾燥機が自身の仕事の終わりを告げた。わたしはナップサックに衣類を詰め、傘をさして店を出た。


「寂しいな…」

 一人で雨の中を歩きながら、つぶやいた。やさしかったケンチも、妹のわたしにまで甘えてくるような姉も、変わってしまう。二人は新郎と新婦になるんだ。でも、言葉にしてしまったら楽になった。背中のナップサックから乾燥機で温まった衣類の熱がじんわりと伝わってくる。

 わたしも変わらなければならない。友人にすべて打ち明けよう。そして、思いきり綺麗で可愛い服を選んでもらって、それを着て新郎と新婦に言ってやるんだ。

「わたしが、研一朗さんと結婚したかったのになぁ」

と。

 そのとき、わたしは上手に笑えるだろうか。

結婚式のドレスコードの話は創作です。参考にしないでください。

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