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週末の過ごし方

作者: もしもし、壁の向こうの世界

もしかしたらご不快に思われるかもしれません。そんな時はブラウザバックしてください。

最近どこかへ出かける時、そして帰る道すがら、


ゲームに集中しているせいか思考に没頭することが少なくなった。


止まって遊んでいると効率が悪いゲームだから、


歩きながらプレイする羽目になっているのが要因だろう。


そして周りに気を付けるために首を回し体の感覚をフルに使う。


余裕が身体から消えて無くなってしまうのだ。


時々ふと考える。このゲームは楽しい。


楽しいのだが、同時に


楽しみを得ると共に何かを失っている気もするのだ。


昔僕がよく考えていたジレンマを思い出した。


何かの問題、例えば終末と仮定しよう。


終末の中身の例としては星の滅びや人の末期など何らかの終わりだとする。


それに直面することが分かっているのなら、例え今それについて考えることが無駄になるとしても


考えることに意味があるか、という話である。


無論考えることはとても大切なことだと僕は思っている。


対策があれば問題に対処できるし備えることができる。


それに考えるという行いは結論を出すだけでなく自身の考えを深め、整理する意味もあると思うからだ。


が、今回の問題は終末だ。終末を迎えたが最後、全ては無に帰るだろう。


それを仮に「死」と表現するが、


「死」を迎えた時、何が残るだろうか。自分は何か残せるだろうか。「死」後何年それは残るだろうか。


そして終末を避けられないと分かったなら、終末について考える必要はあるのだろうか。


避けられない現実と向き合うのは無駄ではないだろうか。


もっと有意義な時間の使い方があるのではないだろうか。


最後の時まで諦めないべきだろうか。


考える考えないの問題というより終末の過ごし方の話に変わってしまったが、


何れ何らかの形で訪れる終末、どんなものになるか一度考えてみてはいかがだろうか。


答えはでなくても考えることはやめられない。




お読みいただきありがとうございました。次回もご期待下さい

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