佐々木との再会とイケメンとカスタードクリーム入りメロンパン
その日、一本の電話から全てが始まった。
けたたましく鳴る電話を取ったのは本多だった。
「お電話ありがとうございます。ホテルレッドハイルで……あ、お疲れ様です。え? 本日ですか⁉ あ、いえ。大丈夫です」
電話の相手と何やら慌ただしく話す本多。俺はぽかんとした表情でその様子を見ていると、轟と百瀬は何かを察したのか動き始める。
「大和。今日はもう休館するぞ」
「え? 確かに今日は一組もお客さんは来てないですけど、閉めるほどですか?」
突然のことで目をぱちくりしていると、電話を切った本多が叫ぶ。
「皆、大変だ! 今からあのお方が来館される!」
「やっぱり来るのね」
何やらただ寄らぬ雰囲気だ。
「あのお方……?」
「そうか。大和は会うのは初めてだな」
「そう、あのお方――……」
俺はゴクリと生唾を飲み込むと本多の次の言葉を待った。
「……オーナーのご令嬢が視察に来るっ‼」
「え?」
俺は拍子抜けする。だって仕事ぶりを見るため視察に来るというのに、どうして休館する必要があるのだろうか。休館したら視察の意味がないではないか。
俺の考えていることが全て顔に出ていたらしい。
「休館するには深い理由があって……あっ」
本多は俺の疑問に答えようとしたが、急に何かを思い出したかのように声を上げると、
「ちょっと影井くんにも事情を話してくるね! 話と言っても影井くんの姿は見えないから客室の各フロアに行って大声であのお方が来ると叫ぶだけだけどね」
本多はご丁寧に説明すると、その足でエレベーターに乗り込み上階へと向かった。
俺は理由も分からず困惑した顔で百瀬を見る。が、百瀬は忙しなく事務所の書類をかき集めてはロッカーの中に無造作に突っ込んでいる。いつも気にせず煙草をふかしている轟もオーナーのご令嬢が来るからか、しきりに消臭スプレーをまき散らしていた。
皆が忙しそうにしているのに俺だけ何もせずに棒立ちしているのも居心地が悪い。
「あの、俺にも何か手伝えることってありますか?」
「そうだな、大和は……メロンパンを買ってきてくれ」
「はい?」
思わず轟の言葉を訊き返してしまった。しかし轟は鋭い眼差しでメロンパンを語る。
「ただのメロンパンじゃなくてカスタードクリームがサンドされているやつが理想だ。いいか? 生クリームじゃなくてメロンクリームでもなくてカスタードクリームだぞ?」
まるで間違って違うメロンパンを買ってでもしたら殺す、とでも言うかのような轟の勢いに俺はガタガタと震えが止まらない。
「それとチョコレートもお願いするわ。板チョコじゃなくてキャラクター……出来ればウサギの形をしているチョコレートね」
百瀬も話に入ってきた。
二人共真剣な顔をしているものだから、俺はこれ以上何も聞けずに買い出しへ出掛けざるを得なかった。買い出し……いや、これはパシリというやつじゃないだろうかと俺の中で疑念が生まれるが、首を振って疑念をかき消す。これは仕事である。れっきとした仕事なのだ。だけれど心のモヤモヤは少しばかり残るのであった。
俺の心とは違って、外はよく晴れた良い天気だった。たまに吹く風が気持ち良く、柔らかな風が木々を揺らしていた。
せっかくだから公園を通って行こう。
俺は近くにある公園へと足を伸ばした。この公園は芝生が植えられていて、休日にはカップルが弁当を広げたり、お年寄りが東屋で談笑したりと老若男女の憩いの場になっていた。
子供達がキャッチボールをしている姿を微笑ましく見ていると、俺はある人物に目が留まった。
高校時代、同じクラスで誰にでも隔てなく接してくれるマドンナの佐々木早紀である。
一人、何をするでもなくベンチにちょこんと座っているのだ。
えっ佐々木さん⁉ 予想外の再会に胸躍らせる俺。
だけど、高校時代そんな仲良くもなく、たまに話す程度の俺が佐々木に声をかけてもいいのだろうか。気持ち悪がられないだろうか。え、何コイツ。高校を卒業した途端すげー馴れ馴れしいんだけど。とか思わないだろうか。俺の中で不安が広がった。
しかし、俺は首を振る。そんなことない。教室の隅にいた俺にも優しく声を掛けてくれた佐々木だぞ。そんな風に思うわけがないだろう。
俺は一歩足を踏み出すと、佐々木へ歩み寄る。しかし、ここでまたもや俺の中で不安が生まれる。もしかしたら佐々木は彼氏を待っているのではないだろうか。だって休日に一人公園にいるのはおかしいだろう。きっと誰かを待っているのだ。それは女友達ではない。なぜなら佐々木は男受け抜群のゆるふわファッションをしているからだ。決して女友達を待っているのではないはずだ。と、どこかの雑誌で得た根拠のない薄っぺら情報を鵜呑みにする俺であった。
例えば俺が佐々木に声を掛けるとする。そこへ丁度、佐々木のイケメン彼氏(佐々木の彼氏なんて見たことないが、きっとイケメンに違いない)がやってきたら俺は挙動不審にならずにいられるだろうか。俺が去った後でイケメン彼氏が「今の誰www?」と若干馬鹿にしたように笑いながら佐々木に問う姿が頭に浮かぶ。
しかし、佐々木の顔を見て、俺の今までの考えは消えた。佐々木の顔は暗く浮かない表情をしていたのだ。恋する乙女が彼氏を待っている顔ではない。気になった俺は佐々木に声を掛けた。
「佐々木さん」
普通に声を出したつもりだったが、かすれた声が出た。うわー恥ずかしい。俺はやはり陰キャラから抜け出せないのか。
「大港くん」
佐々木は目を見開き驚いた顔をしたが、すぐににこやかな顔を作った。
「久しぶりだね。元気にしてた? ……今は仕事中?」
その言葉に俺ははっとする。買い出し中の俺はホテルの制服を着たままだった。
「そ、そうそう。買い出しに出ていてさ……」
俺がラブホテルで働いているなんて佐々木に知られたくない。俺はすぐに佐々木に話を振った。
「佐々木さんは今日ホテルの仕事休みなの?」
「えっ」
そこで俺は自分が失言したことに気付く。佐々木がホテルに就職したということは高校の教室の前で立ち聞きして知ったからだ。佐々木からすると、どうして教えてもいないお前がそのことを知ってんの? と不審がるレベルである。
「光城ホテルってトップレベルのホテルだから皆噂していてさ!」
何とか上手く誤魔化せた。ナイス、俺! 心の中でガッツポーズを決めた。
「そうだったんだ。えぇ。今日は休みなの」
そう言うと佐々木はまた物憂い気な表情をする。
「何か悩み事?」
佐々木の表情に俺はつい声にしてしまった。
佐々木ははっとすると、えっと、と言葉を濁し、暫しの間の後、話し始めた。
「ずっと憧れのホテルに就職できて本当に嬉しかったの。でもいざ働き始めると上手くいかなくて空回りして失敗ばかりしちゃって。私、向いてないのかなぁって」
やっぱり憧れているままがよかったのかもしれない。佐々木早紀は思う。
ホテルという華やかな場所でスタッフはスマートに接客していてカッコよくて、いつか自分も働きたいって小さい頃からの夢だった。でも実際は力仕事だし拘束時間も長い。休みだって不規則だ。この世界に入って、ホテル業界の現実を知ってしまったのだ。
「へへへ、こんなこと大港くんに話すことじゃなかったね。ごめんね、久しぶりに会えたのに愚痴って」
佐々木は笑ったが、泣きそうな顔をしていた。佐々木の心は限界まできているのだ。
俺は何て声を掛ければいいのだろう。
『佐々木さんならきっと大丈夫、乗り越えられるよ』
違う。そんな言葉、気休めにもならない。
『せっかく夢だった職に就けたんだから頑張ろうよ』
違う。佐々木はもう十分に頑張っている。
『そんなに辛いなら辞めちゃえば』
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。
頭に浮かぶ言葉はどれも違うものばかりだ。どう言えば佐々木は納得してくれるのだろう。正解がわからない。
「大港くん、仕事中だったよね。ごめんね、引き止めたりして。じゃあ私行くね」
俺が言葉を見つける中、佐々木はベンチから立ち上がる。目の前から去ろうとする佐々木の腕を俺は掴んだ。
「え?」
「あっ」
佐々木を引き止めたが、頭の中の考えはまとまっていないままだ。しかし。
「あ、お、俺は今、ラブホテルで働いててっ」
頭の中で何を言おうか考えもせずに、どもりながら喋る。
「ずっと就職活動をしていたんだけど、どこも上手くいかなくて。それで知り合いが紹介してくれた仕事がラ、ラブホテルでっ、今そこで働いているんだけど……」
一旦、話を区切った。あぁ、もう何を言っているんだろう俺。上手く喋れてないし佐々木に変な奴だと絶対に思われているよ。だけど声が、言葉が、出るのである。
「俺は夢とかなくてテキトウな企業を見つけては就職試験を受けて、面接官には熱意がないとか毎回言われるし。それで最終的には知り合いのツテで働くことになったんだけどさ」
俺は。俺は――……。
「俺は佐々木さんが羨ましい。ちゃんと夢があって、それが叶って……でも今は苦悩しているけどっ、なし崩し的に働いている俺とは違って、夢の場所で働いている佐々木さんが……俺は羨ましいっ‼」
最後は叫んでいた。遊んでいた子供達には指さされ、お年寄りには笑われた。
「あわわわわわ」
恥ずかしさがこみ上げて涙目になる。
「ぷっ」
佐々木が吹き出した。
「ごめんなさい。大港くんったら顔真っ赤にして言うんだもん。笑えてきちゃって……」
まさか俺の言葉は耳に入ってない⁉
「はは。それじゃあ買い出しに戻るから」
肩を落とすと、フラフラと佐々木から離れる。
「待って」
今度は佐々木が俺の腕を掴むと引き止めた。
「ありがとう大港くん。私、頑張るね」
真っ直ぐに佐々木に見つめられて俺の胸は高鳴りドキドキする。
「どどどどう致しまして」
「それと……」
佐々木は鞄に手を突っ込む。
「連絡先、交換しない?」
スマホを取り出すと、にっこり微笑んだ。
俺は生まれて初めて(家族以外の)女の子と連絡先を交換した。ウキウキとスキップして浮かれているが、仕事はしっかりとこなさなければならない。ウサギ形のチョコレートを無事に購入し、残るカスタードクリーム入りメロンパンを購入すべくパン屋へ入店した。
カスタードクリーム入りメロンパンはすぐに見つかった。しかも最後の一つである。
今日は何てツイている日なんだろう! 俺は右手に持っているトングをカチカチとさせながらカスタードクリーム入りメロンパンを掴もうとしたその時だった。
ガチンッ‼
まるでカスタードクリーム入りメロンパンを取られるのを阻止するかのように、俺のトングを何者かがトングで防いできたではないか。
「なっ⁉」
俺はトングで防いできた何者かを睨む。俺を邪魔したそいつは、栗毛色の長髪を横に流し一つにまとめている洒落たイケてるメンズ――イケメンだった。
「こんにちは」
イケメンは何事もなかったかのように爽やかに笑いかける。でも、カスタードクリーム入りメロンパンは譲らないとでも言うかのように俺のトングを目一杯自分のトングで抑えている。
「あの、そのトングどけてもらえますか?」
「君こそどかしてくれない? これは僕のメロンパンなんだから」
「いいえ! 俺のメロンパンですぅ~」
なんと醜い争いだろう。男二人が必死になってカスタードクリーム入りメロンパンを奪い合っている。
「もしかして、君はホテルスタッフかい?」
まさかレッドハイルの常連かと一瞬、狼狽えてトングを持つ手を緩めたが、轟の鋭い目つきを思い出し再び力を入れる。
「このパンを買えなかったら俺は海に沈められます!」
「え⁉ たかがメロンパンで⁉」
今度はイケメンが持つトングの力が弱まった。しかし、イケメンもなかなか手強くカスタードクリーム入りメロンパンを掴みにいけない。
「あなた、俺よりも年上なんだからメロンパンくらい譲って下さいよ!」
「君は年下なんだから年上である僕を敬いたまえ」
ああ言えばこう言うイケメンである。
「ところで! どうして俺がホテルスタッフってことわかったんですか」
「だって君が着ているその黒の制服はだいたいホテルマンが着ているじゃないか」
そんなところで分かったのか。
「それに僕も現役のホテルマンだしね」
「え。あなたも⁉」
カスタードクリーム入りメロンパンを買うのを邪魔してきて、一体どこのホテルマンなんだか! 勤め先を聞き出して後でホテルにクレーム入れてやる。
どうやら俺は思っていることが顔に出るらしい。俺の顔を見てニヤニヤするイケメンが答えた。
「君も知っていると思うよ。光城ホテルさ」
「う?」
嘘、と言いかけた途端、トングを滑らした。その隙にイケメンはカスタードクリーム入りメロンパンを攫っていく。
「あーーーー‼」
俺は叫ぶがイケメンはトレイに乗せると俺を無視して会計を済ます。
嘘だろ……。この「嘘だろ」はカスタードクリーム入りメロンパンを買えなかったことに対して言ったわけではない。このイケメンが佐々木と一緒のホテルに勤めていることに対しての「嘘だろ」である。こんなイケメンが職場にいたら佐々木だってイケメンの虜になってしまうではないか! こんな女を食い漁っているようなイケメンなんかと、佐々木は釣り合わない! 何が何でも佐々木を護らなければ!
俺は店を出る。と、スマホが鳴った。もしかしたら佐々木かもしれない。ワクワクしながら電話に出た。
「もしもし」
『お前買い出しに何時間かかってるんだっ!』
轟の怒声を浴びる。
「す、すみません。実は攻防の末、最後の一つだったカスタードクリーム入りメロンパンを買えませんでした。俺も必死に戦ったんですよ⁉ でも相手が一枚上手でして」
『お前何言ってんだ』
必死に説明するが轟には届かない。
『もうメロンパンはいい。チョコレートは買えたんだろうな?』
「はい。ウサギ形のチョコレートは買えました」
その時、パン屋からイケメンが出てきた。くそぅ。俺は睨み付けるがイケメンは何のことやら俺に向かって涼し気に微笑む。
『はぁ。ならもういい。戻って来い』
溜息混じりに呆れたかのように轟は言うと電話が切れた。
「轟さんっ、轟さーん!」
俺はスマホの通話口に向かって叫ぶ。しかしスマホからはプープープーと切れた音しか聞こえない。あぁ、無情。
「ねぇ」
俺の気もよそにイケメンが話し掛けてきた。
「なんですか。俺、すぐに職場に戻らないといけないんで」
俺は仏頂面で対応する。
「君、今電話で話していた相手――轟って……」
「俺の職場の先輩ですけど。メロンパン買えなかったからその先輩に海に沈められるでしょうね。メロンパン買えなかったせいで」
イケメンは何か思い当たることがあるのか黙り込む。それがなんだか気になった。
「ん」
「何ですか」
イケメンは買ったばかりのカスタードクリーム入りメロンパンが入った袋を俺に渡すではないか。
「一体何の真似ですか。情けは無用です」
喉から手が出るほど欲しいカスタードクリーム入りメロンパンを断る。本当は今すぐにでもかっさらいたいが。
「これも何かの縁というやつさ。君にあげるよ」
「……なら、ありがたく」
袋を受け取る。
「それにアイツがホテルに勤めていることもわかったし」
「え?」
「何でもない。じゃあまたどこかで、大港くん」
「えっ、どうして俺の名前を知ってんの⁉」
イケメンは俺の胸元をトントンと指で叩いた。
「胸ポケットに付けている名札に書いてあるじゃないか」
俺の耳元で優しく囁く。
「~~~~~~~~⁉」
声にならない叫びをあげる。俺はずっと名札を付けたまま街中を歩いていたのか。恥ずかしすぎて死ぬ。
「あははは。本当に面白い子だね」
イケメンは、またね、とでも言うかのように俺に向かってウインクすると、踵を返して去っていった。最後の最後で俺にダメージを喰らわすとは強いイケメンであった。もう二度と会いたくない。