三倉くんの改造計画①
『――大丈夫?』
みっともなく床にへたり込む俺に、その女性はそっと手を差し伸べてくれた。
艶のある黒髪を、顎のラインに沿って切り揃えているその女性は、形の良い切れ長の目をしている。
その意志の強そうな瞳に、俺の心が大きく揺らいだ。
――――――
俺が働くラブホテル、レッドハイルの隣には“アイヴィー”というラブホテルが建っている。
そのホテルは名前の通り蔦で覆われていて……いや、覆われすぎていて一見廃墟のように見える。
だけれどちゃんと経営しているし従業員だって働いている。アイヴィーのこととなると暴走してしまう支配人の赤坂灯里。ホテル王を父に持ち、家業を継ぐ修行のために来日してきたが何故かラブホテルで働いているイギリス人のチャールズ、そして苦労性の三倉である。
この前だって心霊スポットと化したアイヴィーをどうにか立て直そうと暴走した赤坂とチャールズ(チャールズに関してはアイヴィーを立て直すという考えはなく、ただの遊び感覚のようなものだったと思う)によってアイヴィーは禍々しい姿になった。その後すぐに善良な市民の通報により、駆けつけた警官から薬物中毒者と間違えられた赤坂たちは警察署へ連行されたのだった。
そして今、従業員の一人である三倉がレッドハイルに来館していた――。
「警察署に連行された俺を迎えに来てくれた母ちゃんの切ない顔を見て、俺は自分がどうしたいのか、どうすればいいのか、もうわからないっす……」
俺と本多、轟は泣きべそをかいている三倉に同情する。
「もうアイヴィーに見切りをつけてレッドハイルで働けよ」
轟はそう言うが、レッドハイルだってアイヴィーと同等に癖があり個性的なメンバーだらけである。
高校卒業間近になっても就職先が見つからず焦っていた俺は、レッドハイルの副支配人である本多と出会い、ホテルで働かないかと誘われた。これぞ渡りに船という思いで二つ返事をした俺だったが、働いてみたらホテルはホテルでもラブホテルだったのだ。おまけに従業員はヤクザのような強面の轟、官能小説家になるのが夢でスイッチが入ると卑猥な言葉を口に出す残念美人の百瀬、肉眼で姿を捉えることが出来ない恥ずかしがり屋の影井といった一癖も二癖もある面々なのだ。
「でも……俺、灯里支配人には恩があるんす」
本多が淹れた紅茶を一口啜ると三倉は語りだす。
三倉は子供時代から自身の三白眼の目のせいで怖がられ友達が出来なかったという。高校に入学するとガンつけられたと勘違いされた不良に絡まれるようになり、しだいに登校しなくなっていった。
「でも母ちゃんには心配かけたくなかったから毎日制服を着て学校に行くフリをしていたんす」
三倉、めっちゃいい子じゃん! 俺は母親思いの三倉に泣きそうになった。
そんなある日、三倉がゲーセンで時間をつぶしていたら他校の不良に絡まれた。胸ぐらを掴まれ殴られそうになったところ、バコォゥッッ‼ と馬鹿でかい音がゲームセンター内に響き、そこにいた全員の動きが止まったという。
音の正体はすぐにわかった……パンチングマシーンをしていた女性がパッドを殴った音だった。
皆が生唾を飲み込んだ。パンチングマシーンのパッドは、その衝撃に耐えられず折れ曲がり中身のスポンジが露わになっていた。
パンチング女はパンチングマシーンを前にして一切動かなかった。その様子に心配したのか、それともマシンを弁償させるためか、ゲームセンターの店員が彼女に近付く。
しかし、「あぁん⁉」パンチング女は店員を睨みつけた。「ひいぃ、すみません!」店員はそれ以上何も言わなかったという。イライラが止まらないパンチング女は三倉と不良を次のターゲットに定めた。ゆっくりと近寄って来るパンチング女。その口元は笑っているように見えたという。
「アンタ達、学校にも行かないで何してるのよ」
「やべーぞ、逃げろ!」
不良はすぐに逃げたが、三倉は恐怖のあまり腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
「アンタ……」
パンチング女が三倉の肩に手を置いた。
もう駄目だ、俺はここで死ぬ……! 三倉は目をつぶると覚悟した。が、何も起こらない。薄目を開ける。
「不良に絡まれていたみたいだけど大丈夫?」
そこには心配そうに三倉を見ているパンチング女――赤坂灯里だった。
「どうやら灯里支配人、五日間連続フル勤務だったみたいでイライラしていたらしいんすよ。そんな時に俺と出会ったんす」
三倉と赤坂はゲームセンターから近くのカフェに移動すると、三白眼のせいで友達がいないことや不良に絡まれるせいで高校に行けないことを話した。
「ならアンタも不良になればいいじゃない」
赤坂はさらりと言う。
「え……?」
「不良と言っても見た目だけね。試しに金髪にしてみなさい。金髪に三白眼の目も相まって不良もビビッて近付かなくなるから」
「はぁ」
相槌を打つ。しかし、そんなことで俺の悩みが解決するだろうか? 三倉は半信半疑だった。
「善は急げ、思い立ったが吉日、よ。今から染めに行きましょう」
「え⁉」
こうして強制的に髪を金色にさせられた。しかし、金髪効果は絶大だった。
金髪にしてから学校に行ってみると、不良は三倉から目を逸らすようになった。俺の高校生活に平和が訪れたのだ。
「でも、友達は出来ないままだったんですよね?」
「はい、だけど俺の質問にはちゃんと返事してくれたので、クラスメイトとお喋りすることが叶ったっす」
それ、お喋りじゃない……ただの返答だ。 俺は三倉に突っ込みたかったがニコニコ顔の三倉に何も言うことができなかった。
「だけど今は金髪じゃなくて黒髪も混ぜているんだね」
本多が三倉に問い掛ける。今の三倉は金髪と黒髪を混ぜたヘアスタイルをしていた。
「金髪にした俺を見て母ちゃんが卒倒してしまって。だから黒髪を少し混ぜるように……」
へへへ、と照れる三倉。
三倉……いい子で可愛い!
「こうして高校も無事に卒業して大学にも入学することが出来たのも全部、灯里支配人のお陰なんです。だから今度は俺が灯里支配人の助けになりたいというか……恩を、返す番なんすっ!」
顔を紅潮させ、必死に訴える三倉。その男気に俺は胸を打たれる。
「なるほど。だからラブホテルで働いているのか」
本多が頷く。
「まぁ大学優先ですけど出来る限りシフトに入ってるんす……でもこの前みたいに連行されるなんて思ってもみなくて……」
そりゃあそうだ。勤め先に警官が押し入って来るなんて誰もが思わない。
「俺はどうすればいいんすかね……」
「うーん、話を聞いていると三倉くんは自分に自信がないようだねぇ。自信を持ったらどうかな?」と、本多が言う。
「あと周りに気を遣いすぎてる気がするな。まぁ気を遣うことはいいことだけれど、もっと気楽に考えていいと思うぜ」と轟が言う。
「自信があって気楽……なるほど、パリピになるんすね!」
「いやいやいや! どうしてそうなる⁉」
俺は初めて三倉に突っ込んだ。
「だって大学のパリピは皆『少しくらいサボっても大丈夫、単位取れるぜヒャッハー!』って、気楽で変な自信を持ってるんっすよ?」
「三倉さん、違います。そういう意味じゃなくて……」
俺はアドバイスをした本多と轟をちらりと見る。しかし、説明することが面倒くさいと思ったのか本多は紅茶を飲み、轟はそっぽを向く。その間も三倉は「パリピになるにはどうすれば……」と真剣に考えていた。
「すいませーん、サインください」
「立川さん。お疲れ様です」
そこへ現れたのは立川だった。
立川はお世話になっているリネン会社の従業員で、回収した枕カバーやシーツを納品にきたようだった。立川は四十代半ばくらいで、ごくごく普通のおじさんだ。細い糸目がいつも笑っているように見えて親しみやすい。
「何の話をされていたんですか? 声がリネン室まで聞こえていましたよ」
俺が説明すると、あっと立川は目を輝かせた。
「実は私、通信教育で催眠術を学んでいまして。三倉君にパリピになるよう暗示を掛けてもよろしいでしょうか」
まるで手品でも披露するかのようにケロリという立川。
「人を実験道具のように使わないで下さい!」
思わず俺は大声を出す。純粋で良い子な三倉はこのままでいいのだ。決してパリピなんかにさせてはいけない。
「いえ、やって下さい」
横から三倉が口を挟んできた。
「俺、自分を変えたいんです。だからお願いします」
三倉の目は真剣だった。こんなに本人が望んでいるなら俺は何も言えなくなる。
立川は、では、と言うと三倉の顔の前に掌を見せる。
そして何やら変な呪文を唱え始める。
「ちょ、本当に大丈夫なんですか⁉ 何か傍から見て呪いみたいですけど」
あまりにも異様な光景に俺は声をあげると、
「うっせー! 黙ってろ小童ぁっ!」
凄い形相で立川は俺に怒鳴りつけた。え、立川さん⁉ 人が変わった立川に俺はビビる。
最後に立川は三倉の耳元で何かを囁くと、パンっと両手を叩いた。
ゆっくりと立ち上がる三倉。そして――。
「ヒャッハー! 何かいい気分だぜ!」
うぇーい! っと紅茶のカップをビールジョッキのように掲げる三倉。
ほ、本当に催眠術にかかっている……!
俺と轟、本多は雷に打たれたような衝撃を受ける。
しかし、俺以上に衝撃を受けていたのが立川だった。
「まさか私に催眠術の才能があったなんて……!」
わなわなと手を震わせ、打ち震える立川。
その間もウェイウェイ三倉は叫んでいる。
そんな三倉をうるさく思ったのか轟が、
「もう十分だろ。立川さん、早くアイツの睡眠を解いてやってくれよ」とお願いする。
だが、
「俺は生まれ変わったんだ! 今なら何でも出来そうな気がする! アイキャンフラーイ!」
三倉はレッドハイルから出て行ってしまったではないか。
「あわわわ……あのまま野に放ったら大変なことになりますよ。俺たちも追いましょう!」
俺は振り返ると轟と本多に声を掛ける。
「やっと静かになった。あー、紅茶が美味いぜ」
「おっ、わかるかい? 轟くん。この茶葉はイギリスから取り寄せた――」
呑気にお茶会をしている二人。
「ちょっと! 二人とも今の状況わかってますか⁉」
「まぁまぁ。三倉くんはもともとパリピになりたがっていたし、もう少しだけパリピ気分を味合わせて見るのもいいんじゃないかな?」
「それにマジでヤバいことになったら警察署に連行されるだろ。善良な市民が、アイキャンフラーイって叫んでいる不審な男がいるって通報して」
「また警察のお世話になったら意味ないでしょう⁉」
とにかく俺は三倉を元に戻すべく、三倉の後を追ったのだった。