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轟さんの過去②

 ファミレスに入ると外が見える窓側の席に俺たちは座った。

 しばらくして店員が注文を聞きに来た。俺はドリアを、加持は和風ハンバーグのセットを頼むと店員は愛想もなくマニュアル通りにオーダーを取って、厨房へと消えて行った。

「あの」

 俺が話題を切り出そうと話し掛けると、加持は穏やかに微笑む。そして、錆び付いた扉を開けるかのごとく、口を開いた。



 ――五年前――


 整髪料を手に付けると、真っ黒な髪の毛を後ろへともっていく。オールバックの髪型が俺の戦闘スタイルだ。

 そこへガチャリとドアの開く音がした。同期の加持が更衣室に入ってきたのだ。加持は俺の顔を見るなり呆れた顔をする。

「呂希はただでさえ顔が怖いのにオールバックにするとますます()()()()の人に見えるんだよね」

 そう言う加持の髪型は襟足を刈上げていてスッキリとさせていた。


 光城ホテル――客室数120。宿泊だけでなくチャペルに宴会場、和洋中のレストランもあり、夏場にはプールも楽しめる。この街でトップクラスの観光ホテルである。

 俺、轟呂希はこの春ずっと憧れだった光城ホテルに就職した。

 元々ホテルマンになるのが夢で、学生時代は別のホテルの宴会場(バンケット)でバイトをしていた。

 だから配属先が宴会場とわかった時は、バイトでの経験を活かせられると張り切っていた。

「呂希の配属先はバンケだもんなー。僕もバンケ希望だったのに」

 加持が唇を尖らせる。

「そういうお前はフロント担当じゃねぇか。ホテルの花形だぞ」

「まぁ、僕はかっこいいからね。顔採用ってやつ」

「うるせぇ」

 そこで俺たちはどっと笑う。

 憧れの場所で働けて気の合う同期にも恵まれ、俺は幸せ者だ――。そう思っていた。



 入社して八か月が過ぎた。

 ホテルの仕事は休みが少ないうえに拘束時間が長い。今日は朝九時に出勤して終わったのが0時前だ。でも、それはホテルでバイトしていた時に社員から聞いていたからわかっていた。だけど、毎日毎日続くとさすがに身体がきつくなる。俺は栄養ドリンクを煽るように飲むと死んだように眠るのだ。


 宴会場の仕事を簡単に言うと、会場のセッティング、お客様に料理や飲み物を提供するのが大まかな内容だ。

 最近は婚礼が続き、忘年会シーズンということも相まって、毎日息つく暇がないほど忙しかった。


 そして、この日――。俺の日常が一変する出来事が起きた。

 

 この日は婚礼で、円卓が二十卓あった。そこへ新郎新婦が入場し披露宴が始まると、俺たちスタッフが卓に料理を運ぶ。

 もうすぐ、披露宴が始まろうとしていた時だった。

「あのぅ」

「はい、どうかされましたか?」

 お客様に声を掛けられて俺は対応する。

 40代ほどの女性が申し訳なさそうにしていた。

「実は私、甲殻類アレルギーで。伝えるの忘れていたんですよ……」

「えっ、そうだったんですか」

 食物アレルギー。昨今ではアレルギー対応をしないホテルもあるなか、光城ホテルではアレルギー食材を別の食材に代用して提供している。

 普通は新郎新婦から送って来る招待状に記入して申告するのだが、この女性は忘れていたらしい。

「少々お待ちください。別の食材で代用できるのか訊いて参ります」

 俺はすぐに調理場へ向かう。


 調理場では前日から仕込んでいた料理を調理人たちが盛り付けていた。

「料理長、すいません。お客様が一人甲殻類アレルギーの方がいらっしゃいまして……」

 俺は料理長に報告する。今日提供する料理にエビやカニを使うメニューがあるからだ。万が一、お客様の口に入ったら命に係わる。

 しかし、料理長は溜息をつくと俺を睨み、叫ぶ。

「今更そんなこと言われてもおせぇんだよ!」

 目の前にあったボウルを叩きつける。しん……と静まる調理場。そして調理人たちに緊張が走ったのが空気でわかった。早く嵐が去ってくれと言わんばかりに包丁で食材を刻む。

「で、でも今日のメニューにエビとカニが出ますし、お客様から言われた以上報告はしなければ……」

 俺は説明する。しかし、料理長は何も言わない。何も言わず刺身で使う魚を捌き始めた。

「あの……」

「轟っ!」

 マネージャーが調理場に顔を覗かせると俺の名前を呼ぶ。

「何やってんだ、乾杯が始まるぞ。早く会場に戻れ」

「えっと……でも」

「いいから来い!」

 俺は強制的に会場へ連れ戻された。


 それから披露宴が始まり、食事がスタートした。

 俺は甲殻類アレルギーのことをマネージャーに話すと、その女性がいる卓はマネージャーが見てくれることになった。

 どうなることかと思ったが、ちゃんとエビやカニは使われてない料理が出てきて俺は安心した。

 どうにか事なきを得た、そう思っていた。


 仕事が終わり、調理場へと挨拶にいく。調理場ではまだ仕込みが終わってないのか、料理長と調理人たちがまだ仕事をしていた。

「お疲れ様でした!」

 俺は大きな声で挨拶をする。調理人たちから、まばらに返事が返ってきた。しかし、料理長からは返事が返って来ない。

 聞こえなかったのか?

「お疲れ様です!」

 俺は再び挨拶をする。

「…………」

 だけども料理長は返事をしない。

 料理長はふらりとその場を離れると調理人に何かを訊きにいった。

 俺は不思議に思いながらも、今日はそのまま帰ることにした。


 次の日。俺は出勤すると、調理場に挨拶をした。

「おはようございます!」

 調理人から挨拶が返ってくるなか、やはり料理長から返事はない。

 一体、何なんだよ……。

 軽く苛立ちを覚えた俺は直接料理長の目の前で挨拶をした。

「おはようございます!」

 すると、料理長は俺を睨みつけるとすぐに視線を手元に移し、野菜の皮をむく。

 シカトかよっ!

 大の大人が食物アレルギー(昨日のこと)をまだ引きずっているのか。俺は料理長の器の狭さにただただ呆れていた。

 機嫌が直るまでの辛抱か……。そう、軽く考えていた。


「すいません、八名様の揚げ物をおねがいします!」

 俺はコース料理の揚げ物を作ってもらうために調理場に声を掛けた。いつもなら料理長が「おう」と返事をしてくれるのだが、返事がなかった。ちゃんと聞こえていたのか不安になる。これで聞こえてなかったら料理は出てくることはなく、次の料理を待っているお客様に迷惑が掛かってしまう。

「あの、揚げ物を……」

「わかっているわ! ボケぇ!」

 料理長が怒鳴る。

 わかっているなら返事をしろよ……俺は怒りを抑えるため拳を強く握った。


 それからそんなことが、ずっと続いた。

 マネージャーにも料理長のことを相談した。しかし、苦笑いするだけで何も解決してくれなかった。俺は関わりたくない、そう思っているのが顔を見てわかった。

 その頃、俺は調理場に入るのが怖くなっていた。料理の声掛けが辛くなってきていて、声を出そうとすると鉛が詰まったかのように喉が重くなるのだ。それほど、人から無視されるということは精神的にきつかった。


「おい」

 休憩室で加持に声を掛けられた。

 フロント勤務で夜勤もある加持とは、なかなか顔を合わす機会がなく、こうして喋るのは久しぶりだった。

「なんだ?」

「最近のお前、大丈夫か? 顔がやつれているしオールバックも……乱れているぞ」

 心配する加持。最近は食べてもすぐに吐くようになっていた。出勤して整えていたオールバックも、仕事をしたくない気持ちからか、上手くセットができなくなっていた。

「……問題ない。疲れているだけだ」

「そっか。今度一緒に飲みに行こうな」

 そう加持は言うとにっこりと笑った。


 ある日、俺はホテルの支配人に呼ばれた。俺の異変に気付いたスタッフか、それとも調理人が上に掛け合ってくれたらしい。

 俺は今まであったことを全て話した。支配人は調べる、と言ってくれた。それがどんなに嬉しかったか。

 しかし、俺の思いは打ち砕かれる――。


 それから数日後。再び俺は支配人に呼ばれた。支配人の口から飛び出してきた言葉に俺は耳を疑った。

「轟くん。料理長に聞いたら、君ね、声が小さくて聞こえなかったんだって。だから大きな声で挨拶や料理通ししなきゃダメだよ」

 ……何だ、それは。

「甲殻類アレルギーの対応もしっかりしたと言っていたよ。マネージャーにも聞いたら代用の料理がちゃんと出たって――」

 それから先の支配人の言葉は耳に入って来なかった。


 こいつは……光城ホテル(ここ)の責任者は料理長の言葉だけを聞いて、鵜呑みにして俺の話はちゃんと聞いてくれないのか?

 怒りなんてものは、もう沸いてこなかった。ただ、心には深い悲しみと絶望しかなかった。そして、その気持ちも空っぽになった時、俺は辞表を提出した。


 ――――――


「――今は改善されたんだけど、その頃は休みも全然なくて――ホテルのスタッフもだけど、調理場なんか休みなしに加えて毎日早朝から日付が変わるまで立ちっぱなしで仕事をしていたもんだからイライラして八つ当たりしていたんだろうね。

 それに、調理の世界は独特で同じホテルで働いているけど上の人も口出し出来ない所があって……本当に馬鹿だよな、幼稚な真似をする料理長も呂希を助けなかったマネージャーも支配人も……僕も。

 後で呂希の身に起きたことをバンケの子から聞いて僕は自分を責めたよ。どうしてもっとアイツの話を聞いてやらなかったんだろうって」

 加持はまるで子供を寝かしつけるために絵本を読む母親のように、穏やかな口調で話した。しかしその眼には後悔の文字が映っていた。


 俺は何て声を掛ければいいのかわからず、もうすっかり冷めてしまった目の前の料理をただ見つめていた。


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