轟さんの過去①
俺、大港大和は高校卒業間近だというのに就職先が見つからず困っていたところ、ホテルの副支配人である本多に拾われ、ホテルレッドハイルで働くことになった。しかし、そのホテルがなんとラブホテルであったのだ。官能小説家を目指していてネタが浮かぶと卑猥なことを口にする百瀬や、顔が怖い上にピアスをしていて赤髪の轟。そして恥ずかしがり屋なあまり姿を見せない影井といった個性豊かな従業員に囲まれ、最初は戸惑いだらけだったけれど段々と慣れてきた今日この頃、その日は突然訪れた。
「買い忘れたものはないよな?」
「えーと、コピー用紙とボールペンと消臭剤と……大丈夫です。全部買ってます」
俺は轟と必要な備品を買い出しに外出していた。平日だからか、人が少なく買い物もスムーズに終えることができた。
「よろしかったらどうぞ」
道でビラ配りしていたお姉さんに声を掛けられた。反射的に差し出されたビラを受け取ってしまう俺。
「何配ってたんだ? 風俗の案内か?」
轟が興味津々に覗き込んでくる。轟の下品な発言を軽く窘めつつ貰ったビラに目を通した。
「この近くに新しくホテルができたみたいですね。そのホテルは一階にカフェがあるみたいです」
「へぇ。じゃあシティホテルか」
「シティホテル?」
「ホテルにも種類があるんだよ。ビジネスホテルは出張や仕事で泊まるからシングルの部屋が多くて、シティホテルは一人客はもちろん、家族やカップルが泊まれてシングル部屋からツイン、ファミリールームといった様々な部屋タイプがあり、レストランやカフェも併設されているホテルのことだ」
「轟さん、ホテルについて詳しいんですね」
轟がちゃんと回答してくれるとは思ってもいなかった。それに、淀みなくスラスラとホテルの説明をしてくれたことに驚き、つい感嘆し声に出してしまった。
轟の半開きにしていた口がピクリと動いたその時、聞き覚えのある声が後ろからした。
「大港くん? 間違いない、大港くんじゃないか!」
名前を呼ばれて反射的に振り向くと、そこには何時ぞやのカスタードクリーム入りメロンパンを奪い合ったイケメンがにっこりと笑いながら手を振っているではないか。
今日は仕事が休みなのか、イケメンはラフな私服姿だった。ラフな格好でもさすがイケメン、様になっていてお似合いである。
「あ、あなたは……」
俺は咄嗟にファイティングポーズを取った。過去のことからコイツは敵だと俺の脳細胞が記憶しているのだろう。
「そんな怖い顔しないでよ、大港くん。僕と君との仲じゃないか」
「そう言いますが俺はあなたの名前を知りません」
するとイケメンは、あぁと呟くとわざとらしく右手で拳を作り、ポンっと左手のひらを打つ。
「そうだったね。僕の名前は加持令二。改めてよろしくね」
「よろしく、お願いします……痛たたたたっ!」
無愛想に返事をすると加持に両頬を引っ張られた。
「全然よろしくって顔じゃないぞぅ」
俺をからかって面白がる加持。加持はふと轟に目をやると、飄々としてにやけていたツラが打って変わって真顔になった。そしてすぐさま、顔がパッと輝いた。
「呂希! お前呂希だよな⁉ 髪染めてピアスしてたから気付かなかったよ」
加持は子供のように屈託なく笑う。
「ずっと連絡取りたかったけどいつのまにか電話番号変わっているし心配していたんだ」
「……俺はもうお前と連絡することなんかねぇよ」
加持とは対照的に轟は冷めた態度だった。二人の間にピリピリとした空気が流れた。
「お前はまだあのホテルで働いているのか?」
「……そうだよ」
それっきり黙り込む二人。気まずい沈黙が流れる。
「大和、行くぞ。本多さんが待っている」
「え、でも……」
俺が加持に目配せすると、轟は強く舌打ちをして俺が持っていた荷物を乱暴に奪い取った。
「ソイツに用があるならお前だけ残れ。俺を巻き込むな」
轟は吐き捨てるように言うと、その場に俺を残して大股で歩き出す。
「呂希が行っちゃうよ。大港くんも行きなよ」
加持は笑顔でそう言うが、その笑顔が悲しげだった。そんな顔されちゃ、どんなに嫌な奴だろうと放っておけないではないか。
「一体、お二人に何があったんですか?」
「それは……」
加持が話し出したと同時にピリピリと着信音が鳴った。どうやら加持のスマホが鳴ったそうだ。加持が電話に出て一言二言喋ると電話を切った。
「僕、用事が出来たからもう行くね。……ごめんね」
加持は踵を返すと俺に背を向けた。
その場に一人取り残される俺。
「『ごめんね』って……」
用事が出来てこの場から去ることに対しての謝罪なのか。それとも轟の機嫌を悪くさせてしまったことに対してなのか。俺は加持の小さくなっていく背中をぼんやりと眺めながら心の中でそんなことを考えていた。
レッドハイルに戻ると慌てた様子で本多が俺に近寄ってきた。
「大和くん、轟くんと何かあったの? 戻ってくるなり気分が悪いって早退しちゃったけど」
「えーと実は……」
俺は今あったこと全て本多に伝えると本多は大きく溜息をついた。
「あー、古傷を開いてしまったか……」
「古傷?」
「実は轟くん、五年前まで光城ホテルで働いていたんだよ」
「え」
「なかなか優秀なホテルマンだったみたいだよ。まぁ、あの光城ホテルで働くくらいだから優秀なのは当たり前だろうけど。でもそこで何か揉めたみたいで辞めちゃったんだよね、光城ホテル」
ホテルマンだったから、あんなにホテルのことに詳しかったんだ。買い物帰り、轟とのやり取りを思い返す。
「辞めた当初はかなり荒れててねぇ。公園のベンチで昼間からビールを飲んでいるところを僕がレッドハイルで働かないかって誘ったんだよね。まぁ最初はホテルは絶対嫌だって断られたけど強引に僕が入れた」
「その公園ってまさか」
「そう。大港くんと初めて会った公園さ」
やっぱりそうでしたか。
「轟くん、髪の毛は赤くてピアスもつけてるでしょ。普通接客業――ホテルの従業員はあんなんじゃ勤め先をクビになる。でも轟くんはあのスタイルを崩さないのはどうしてだと思う?」
「本多さんが注意しないから」
「いや、僕も最初は厳しく注意したよ! でも直すことなかったんだよね、彼」
「そのうち取り立てに来るヤクザ除けになるし、辞められたら人手不足になって困るから黙認することになったというわけですね」
嫌なこと言うなぁ、と苦笑いする本多。はははと笑って沈黙した後、おもむろに口を開いた。
「彼、ホテルに対して未だに根強い恨みを持っているんだと思う。髪を染めてピアスをしてフロントに立つのはきっと反抗からじゃないかな」
その日の帰り道。俺は家路へ向かう足を一度止めた。行き交う人が急に歩みを止めた俺を迷惑そうに見ているが知らないふりをする。俺はポケットからスマホを取り出すと、ある人に電話を掛けた。
翌日、轟は体調不良で欠勤になっていた。
「頑丈で丈夫なところが轟くんの良いところなのにねぇ」
フロントのカウンターに頬杖をつきながらぼんやりと百瀬が言う。
「見た目や身体は丈夫でも心は意外と繊細なのかもしれませんよ」
何も知らない百瀬は何それ、と笑ったが俺の心は沈んだままだった。
結局、気分が上がらないままその日は仕事をすることになった。
頭の鈍痛と共に目が覚めた。時計の針は十八時を指していた。
冷蔵庫に入っているミネラルウォーターをペットボトルのままがぶ飲みすると、冷たい水がカラカラになった喉を通って、渇きを潤してくれた。
頭が痛い。嫌な夢を見ていたような気がするが、覚えていない。いや、思い出したくない、と表現した方が正しいだろう。
ふと、リビングに置いてある本棚に目がいった。本棚にはホテル関連の本がずらりと並んである。指の腹で本の背表紙をなぞる。埃で指がざらついた。あの頃は必死になって勉強していたっけ。そして、憧れのホテルに就職したんだ。
だけど、俺は知らなかったんだ。社会には理不尽なことだらけだなんて。
俺は自ら進んであの場を去った。後悔はなかったはずなのにアイツと再会してから頭の中がぐるぐるしている。
アイツは俺が憧れていたホテルで未だに働いていると思うと、もしも違う選択をしていたら、なんて馬鹿なことを考えてしまう。
頭を抱える。俺はどうすればいいのか。何をしたいのか。俺の本当の気持ちは……。
私、佐々木早紀は重大な任務を任されていた。
それは、私には全く関係のないことである。
それは、ある人にバレないようにこっそりと行わなければならない。
ある人――……それは私の苦手な上司である加持令二だ。
加持さんはイケメンで仕事も出来ると女子社員から人気だが正直私は苦手である。飄々としていて何を考えているかわからない。いつも私をからかってはケラケラと笑っている。
そんな加持さんにバレないよう探って欲しいことがあると私は大港くんに電話で頼まれたのだ。
『五年前に光城ホテルで起きた事について調べてほしい』と。
だから私は先輩たちに聞き込み調査をしていた。
「五年前……? あー、その頃は勤務体制とか色々とヤバかった頃だねぇ。光城の暗黒期とも言われていたよ」
「暗黒期? それってどういうことですか?」
「一体何の話をしてるのかな?」
背後で声がして、私は振り返った。――と、そこには加持令二がいるではないか!
「暗黒期って聞こえたけど?」
加持はにこやかに笑っているが怒っている。
「あ。休憩時間が終わるかな……」
先輩はそそくさと立ち上がると現場に戻ろうとする。
「私もそろそろ……」
便乗して私もこの場から去ろうとした。が。
「おい待て」
「うっ」
加持から首根っこを掴まれた。
「どうして暗黒期の話をしていたのか教えてくれるかな?」
ごめん。大港くん。即刻バレました……。
仕事が終わって帰っていると、加持令二と会った。
会った、というよりかは、待ち伏せされていた、と言うべきだろうか。
ホテルレッドハイルの近くで加持はただ何をすることもなく、立っていたのだ。
「こんばんは。大港くん。ウチの可愛い後輩をスパイにして五年前のことを探っていたそうだね」
「……佐々木から聞きましたか」
「うん。佐々木には大港くんに僕から説明するからこれ以上詮索するなと伝えたよ」
加持はくるりと俺に背中を向けると歩き出す。が、すぐに振り返ると俺に言った。
「大港くん。夜ご飯まだだろう? お兄さんが奢ってあげるから食べに行こうよ」
俺と加持は近くのファミレスに入った。