就職先がきまりました①
捨てる神あれば拾う神あり、なんて言葉があるけど、拾う神が決して神様とは限らない。もしかしたら、困っている者を言葉巧みに騙す舌を出した悪魔かもしれない。そんなことを俺、大港大和は城のような建物の前で思った。
「これからどうするべきか……」
右手に握ったメモ用紙を眺めながら一週間前に下した自分の決断をただただ恨めしく思うのであった。
一週間前
「また、駄目でしたか……」
高校の職員室に呼び出された俺は、担任から就職試験の結果を聞いたところだった。
「うん。残念だったね」
担任は眉を八の字にして残念がるけれど、口元はわずかに緩んでおり、全然残念がっていないことが目に見えていた。
「まぁ高校卒業まであと一週間あるし先生もツテをあたってみるから諦めないで頑張っていこうよ」
「はい。……失礼しました」
重苦しい空気の中、職員室を出ると一気に身体の力が抜けた。
「はあぁぁぁ」
これで何回目の不採用だろうか。友達やクラスの連中は進路が決まっているというのに俺はまだ進路が決まっていないのであった。
もちろん、就職ではなく進学という選択肢もあった。しかし、ただでさえ公立の高校に合格したのが奇跡レベルな勉強嫌いの俺が大学に合格できる自信がないし、そもそも学びたい学部がない。無理に入学して親に学費を出してもらうのも悪いから俺は就職する選択をしたのだ。
就職して立派に社会人をやっている姿を親に見せるのが少しもの親孝行であろう、そう考えていたのに……このザマである。
真面目に就職試験は挑んできた。しかし、結果は虚しくどこの企業からも不採用をくらうのであった。なぜこうも不採用ばかりなのか。心当たりは、ある。それは面接試験で面接官に必ず言われる言葉。『本当にここで働きたいのか? 君には熱意が感じられない』と――。
だけど、考えてみてくれ。人生十八年間生きてきて自分のやりたい事を見つけている奴は一体何人いるだろうか。そもそも、自分のやりたいこと、好きなことを仕事にしている人は世の中で何割いるだろうか。大抵の人は我慢して、生きるためにやりたくない仕事を汗水垂らしながら必死こいてこなしているのだ。つまり、俺には御社で働きたいです! という意欲……もとい演技力が足りないのだ。ある意味、自分の気持ちに嘘が付けず正直なのが俺の長所であり短所である。
だが、卒業まで一週間。このまま進路が決まらないとなるとニートまっしぐらである。前までは俺のケツを叩いて発破をかけていた両親も最近は諦めたのか、それとも気を使っているのか進路のことに関して口を挟まなくなった。一つ下の妹は俺をニート扱いしてくるけど。
「よし! 悩んでもどうにもならないことは考えないで、今日は家に帰って寝よう!」
悩みすぎるとかえって自分を追い詰めることになる。ここは一度気分転換をするべきだ。家に帰るため鞄を取りに教室へ向かう。教室の扉を開けようとしたその時、クラスメイトの話し声が聞こえた。
「佐々木さん光城ホテルに就職決まったんだってね! おめでとう!」
「ありがとう。ずっと憧れていたホテルに就職できてとっても嬉しい」
そう答えたのは佐々木早紀だ。可愛くておっぱいが大きくて皆に平等に優しくて、教室の隅にいる俺にも挨拶をしてくれる天然記念物並みに貴重な人間で我が校のマドンナだ。
「有川は家業を継ぐんだっけ?」
「そうだよー、アンタは第一志望の学校に合格したんでしょ?」
「おう! オレの学力なめんなよ!」
クラスメイトの黄色い声と、希望に満ち溢れた笑い声は、進路が決まっていない俺にはとても眩しすぎる。完全に教室に入るタイミングを見失ってしまった。
「そう言えばアイツは進路決まったのかなー」
「アイツって?」
「ほら、大港――……」
気付いたら、俺は踵を返しその場から去っていた。俺の名前が話題にあがったと思うと勝手に足が動いていたのだ。まだ進路決まってないでーす! とでも言っておちゃらけながら教室に入ることもできただろうに。それは、やっぱりどこかで進路が決まっていないことに対する劣等感や焦燥感があったからかもしれない。
身体が動くまま走って、行きついた先は公園だった。ベンチに座ると、目の前にある大きな噴水から勢いよく水が溢れ出ていた。
俺はこの先どうなるんだろう。
「はぁぁぁ」
大きい溜息。しかし、溜息をついたのは俺じゃない。不思議に思い横を向くと、いつの間にか俺の隣に男が座っていた。
「うわぁっ!」
驚きのあまり叫ぶ。
「あ、ごめんごめん。驚かせちゃったね」
小太りで丸眼鏡を掛けている、お人好しそうな中年男が謝った。
「い、いえ……」
バクバクと音が鳴る心臓を押さえながら平静を保つ俺。このおっさんにはパーソナルスペースというものがないのだろうか。俺は少し横にずれて、おっさんと距離をとった。
「実はおじさんには悩み事があってねぇ」
突然の自分語り。え? 何このおっさん。初対面で、しかもだいぶ年下の俺に悩みを打ち明けるとか怪しいにも程があるんだけど。
「君にも悩みがあるんじゃないかい? 上履きのままこんな所にいるんだから」
「わ、本当だ」
おっさんに指摘されて俺は上履きのまま学校から公園まで走ってきたことに気付く。
「良かったら何があったかおじさんに話してくれないかな。一応人生の先輩だし相談にのってあげるよ」
「おじさん……」
さっきまでこのおっさんを怪しいと思っていた自分が恥ずかしくなった。このおっさんは見ず知らずの俺のことを心配してくれているのだ。
「実は俺、高校卒業まで一週間だというのに進路がまだ決まっていないんです。今まで受けた企業は全滅で……」
「なるほど。進路か」
おっさんは鼻の下に蓄えた髭を触りながら頷く。すると、ひらめいたかのようにポンっと俺の肩に手を置いた。
「実はね僕、ホテルの副支配人をしているんだ」
「え?」
「最近新しく入った新入りが辞めてしまって人手不足で困っていたところだったんだ。良かったら君、ウチで働かない? 正社員にするから!」
おっさんのつぶらな瞳がきらきらと輝いている。普通だったら怪しい話と思うだろう。だが、後がない俺にはこの話が最後の砦で希望のように思えた。
いつの間にか俺はおっさんの手を握りしめ頭を下げていた。
「これからどうぞよろしくお願いしまぁす‼」
「うんうん、いい返事だ。若者はこうでなくっちゃ。あ、僕は本多。これからよろしくね、えーと……」
「大港大和です」
「大和くんか。はい、これ」
本多さんはそう言いながら、手描きの地図が描いてあるメモを俺に渡した。
「ここがホテルの場所ね。じゃあ一週間後にまた会おう」
いそいそと俺と別れる本多さん。その背中を見送った後に俺はホテルの名前を聞くのを忘れていたことに気付く。本多さんの後を追って今から訊きに行こうか。迷ったが止めた。
一週間後にはわかることだ。今日はもう家に帰ることにしよう。
その選択を一週間後俺は後悔することを知らずに――……。
それから、進路が決まった俺は今までにないくらいの解放感に満ちていた。
両親や教師には知り合いの紹介で就職先が決まったと説明した。両親は訝しがっていたが息子の就職先が決まったことによる安堵感が勝ったのか何も言ってこなかった。
妹はニートにならなくてよかったじゃん、と一応喜んで? くれた。
胸のしこりが取れ、晴れ晴れとした気持ちで卒業式に出席した。俺的には一言二言、佐々木と話せたのが良い思い出だ。
そして卒業した翌日、俺は渡された手描き地図を頼りに就職先のホテルに行ってみたのだが……。
「ここは……」
繫華街を抜けた先に佇むホテルを見上げ茫然とする。そのホテルはおとぎ話に出てくるお城のような外観をしていた。ホテルの名前は『レッドハイル』。
俺は強く目を閉じ、考える。ここは誰がどう見ても間違いなくあれだ。恋人達が愛を深める場所であり、生命が宿る神秘な場所であり、童貞の憧れの場所でもある。あれ、なぜだろう。何だか頭痛がしてきた。このまま家に帰ろうか。うん、それがいい。そうしよう。回れ右をした、その時だ。
「大和くーん、待っていたよ!」
ホテルの回転扉から本多が出てきた。バッドタイミングにも程がある。本多は回れ右をした俺の背中をくるりと回転させると、グイグイと俺の背中を押し、ホテルの中に押し込もうとするではないか。
「本多さんっ! 俺、働き先がこんなところだなんて聞いていないです!」
「何を言っているの大和くん。ホテルって説明したじゃない」
「いや、ホテルと言ってもラブな方じゃないですか!」
だめだ。このままホテルの中に入ったら一生出てこられなくなる! 俺は足を踏ん張り必死に抵抗すると声を大にして叫ぶ。
「本多さん、待ってください! やっぱりこの話はなかったことに――」
本多の力が弱まった。
「そうか……大和くんがそう言うなら仕方ないよね」
しょんぼりと俺に背中を向ける。そんな背中を見せられると、俺は申し訳ない気持ちに苛まれるではないか。
「でもさ、大和くん」
振り向いた本多の口元は笑っていた。不気味なほどに。
「せっかく就職先が決まったというのに辞めちゃったら親御さんは悲しむだろうねぇ」
「えっ」
「それに他に働くあてあるの? 高校卒業間近になっても就職先が決まらなかったんだから再就職先を見つけるの難しいんじゃないかなぁ?」
「うっ」
マスコットキャラクターのような丸っこい小太りな体型と人が好さそうな雰囲気の本多から言葉で責められ、そしてその言葉が的を得ていて俺はじりじりと追い詰められた。
「さぁ、入った入った!」
「う、わ」
どんっと胸を押され、俺は回転扉へと吸い込まれるとホテルのロビーへと投げ出された。
「ここは……」
俺は目を見開く。
フロントまで伸びている重厚な赤色の絨毯。ロビーを輝かせる煌びやかなシャンデリア。リーフの彫刻が施されている綺麗な壁。外とは違う別世界が目の前には広がっていた。
「ようこそ。ホテルレッドハイルへ」
そう言って俺の手を取る本多の姿はマスコットキャラクターのような可愛いものではなく、物腰柔らかなベテランホテルマンそのものだった。