決まっていた再会
中庭に着き、木で造られたベンチにひとり腰掛けると、そよそよと涼しい風が頬を掠める。目の前にある花壇には豊富な種類の花々が広がっている。この病院に入院している小児科の子ども達が植えたらしい。地面に刺さる小さな看板に、可愛らしい字でそれぞれの花の名前が記されてある。
今は八月なのだが、立春も過ぎ少しずつではあるが日暮れも早くなっていた。いつもは賑やかな中庭も今日は珍しく人の影が全くない。律はそんなに頻繁に中庭に出ることはないのだが、それでも日中は楽しそうな声が病室まで届いてくる。
――やっぱり、会えないか。
そう思い病室に戻ろうと腰を上げた瞬間、背後の病棟側から一度耳にしたことのある声が届く。
「お姉さん、この間ぶり」
その声の持ち主は、律が待っていた例の青年であった。
「もしかして俺に会いたかった?」
青年はにやにやと意地悪そうな笑顔を浮かべ、その流れのままに律の隣へと腰掛ける。初対面時の明るく活発な彼の印象に、お調子者という一面も律の中で追加された。
「会いたかったのかも、君みたいなイケメンとは今のうちに仲良くなっていた方が後々得かもしれないしね」
「それ本当に思ってる? ちょっと俺のこと馬鹿にしてない?」
青年は少しだけふくれた表情を見せる。
いや、顔が良いと思うのは律の本心だ。背も高く整った爽やかな顔立ちは、好みとかは抜きにして世間一般的にも充分イケメンの類なのではないだろうか。
「君は今日も妹ちゃんのお見舞い?」
「そうだよ」
「愛されてるね、妹ちゃん」
律は年下の青年に感心する。その言葉には皮肉めいたものは全く含まれておらず、素直に素敵だと思えての台詞であった。律自身も幼い頃の入院時、一人の時間はとても辛く退屈なものだった覚えがあるからだ。
「君さ……」
「ちょっとストップ」
律が喋り出そうとしたところを青年が遮る。
「君、とかちょっと遠いじゃん。名前で呼んでよ」
「名前……て、言われても、私君の名前知らないし」
「マキ! マキ、もしくはマキちゃんって呼んで」
マキ。
女の子みたいな可愛い名前だなと思ったが、言葉にすると怒られそうな気がして、ぐっと自分の中に飲み込んだ。
「分かった、マキは今いくつなの?」
「ん? 二十歳ぐらい」
「ぐらいって……」
飄々とした適当な子だが、嫌な感じはしない。いっそのこと清々しささえある。
「お姉さんの名前は?」
「私? 律っていうの」
「律ね、律。うん、良い名前だ。よろしくね、律」
自分より明らかに年下な青年に堂々と呼び捨てにされる。他人との距離の詰め方が上手な子なのだろう。
「俺さ、この病院は妹が入院したのがきっかけで初めて来たんだ。屋上から海が見えるでしょ? なかなかいい場所だよね」
マキは正面を向きながら、穏やかな表情を浮かべている。
確かにこの病院は海沿いに立地されている訳ではないのだが、ここからそう距離のない海との間に視界を遮る高い建造物は無く、屋上からの景色はなかなかに良い眺めなのかもしれない。
「そうだね、ここら辺は騒がしくもないし、屋上から海を眺めるのも良い気分転換になるかもね」
「そうそう。それと、夏は海辺で上がる花火が屋上から見えるらしい。今月の、確か三十日にある花火大会。律は知ってる?」
律にとってここら一帯は地元であり、近くの海辺で毎年開催される花火大会のことも勿論知っている。その花火大会ではフィナーレだけでなく、夕方にもオープニングとして数百発の花火が打ち上げられることで有名だ。高校時代に友人と行ったことはあるが、そんなに大きな規模の花火大会といった感じではなく、地元の人達に昔から愛されているお祭りといったところだろうか。律の個人的な感想ではあるが、夕方の花火に至っては薄暗い空に花火が映えず、打ち上げ花火の魅力半減といった気がしてならないのだが。
「知ってるよ。最初と最後に二回花火が上がる花火大会だよね。彼女と行くの?」
「まさか。彼女がいたらもっとロマンティックな夜景を二人っきりで見に行くね」
二十歳前後の男の子が考える、ロマンティックな夜景のデートプランとはどういったものなのだろうか。じわじわと興味が湧いてくる。
「……ただ、妹が花火を見たがっていたんだ。体の弱い子でずっと病室の窓越しでしか花火を見たことがなくて。いつか直接見せてあげるって約束したから、今回はやっと見せてあげられるかなって」
そう話すマキの表情は柔らかく、律は優しいお兄ちゃんだなあと、しみじみ思う。
「そっか、見せてあげられたらいいね」
「まあね。でも一番は元気になって退院する事なんだけどね」
「それはそうだね」
退院……か。
自分もいつかは退院するのだろうか。なんて、何度したかも分からない、もしもの想像を繰り返す。
「ま。そういうことで、これから一時は俺も病院に来るからさ。空いている日はここに集合ね。時間も大体この時間」
マキにそう告げられ、律は自分の腕時計を確認する。時刻は十八時過ぎ。そろそろ見舞客も減ってくる頃で、のんびりできる時間帯であろう。
「分かった。気が向いたらね」
律はマキの提案を了承する。
入院してからは人と会うことが面倒だと思っていたのだが、不思議とマキには気を遣わなくて済み、出会って二度目にも関わらず話しやすさも感じていた。何より既に無化粧の顔で出逢っているため、今更自分を着飾らなくていいところも大きなプラス要因だ。
いい歳の女性としてそれもどうなのかとは思うのだが、律はそういった、今までの自分にはなかったフランクな関係性も良いのかなと思えた。