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甘夏と青年  作者: ささえ
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それでいて夢のような日々と、散りゆく幸せ


 商業施設や道に連なるお店の明かりに照らされた街に、仕事終わりのサラリーマンや青春を謳歌(おうか)する大学生が溢れる時間帯。


 本日の業務を終えた律と優は、会社近くの大衆酒場を訪れていた。




「らっしゃい! 予約の方でしょうか!」


 店ののれんを潜ると、入り口付近に居た男性スタッフが二人を迎え入れる。


「寺田で予約をしていると思うのですが」


「寺田様ですね! お連れの方が先に見えられてます。案内しますね」


 木曜日にも関わらず賑わいを見せる店内。個室やテーブルには空きがなかったのだろうか、案内された先はカウンター席で、そこには先にビールと焼き鳥を嗜んでる寺田の姿があった。


「よっ。お疲れ」


 二人に気付いた寺田は、ジョッキをテーブルに置き片手を挙げる。


「お疲れ」


「お疲れ様です寺田課長」


 ネクタイを緩めにほどき、朝にセットしたであろう髪型も崩れている寺田は、普段会社で見せるきりっとした姿より少しだけ幼く見える。

 入り口から向かって奥の方から、寺田、律、そして優の並びで席に着く。


「何飲む?」


 寺田は飲み物の記載されたメニュー表を二人の前に差し出した。


「私も生にしようかな」

「じゃあ私はカシオレで」


 律と優の二人は、カウンター内のスタッフにそれぞれの飲み物を注文する。


「カシオレとか、あざといなー南本は」


「違いますー。本当に好きなだけですー。だってビールって苦いんですもん……」


 注文内容を弄る寺田に、優は可愛らしく反論する。


「まあお前もあと二年したらビールの旨さが分かるよ」


「寺田課長おじさんみたい」


「何だって?」


「まあまあ。ほら、飲み物来たし、乾杯しよう」


 言い争いの火蓋が切られる前に律が乾杯の合図を出し、三人はそれぞれのグラスを手にする。



「よし、じゃあ今日は樋口が主任になったということで。まあ俺は課長だけどね」


「寺田課長、そういうところですよ」


 寺田の余計な一言に、じろりと睨みを利かせる優。


「冗談だよ。それじゃあ改めて……。おめでとう、樋口。乾杯!」


 三人はカツンと柔らかくグラスをぶつけると、律のミニ祝賀会をスタートした。






「――だからぁ、寺田課長はぁ、もうちょっと律先輩を大事にするべきです!」


 スタートから一時間も経たない内に、甘い呂律で寺田に絡む優。


「聞きましたよぅ。一年記念日も仕事で会わなかったって」


「ちょっと優ちゃん!」


 律は予想外の話題に慌てて優を制止する。


「分かった、分かったから取り敢えず水飲め? な?」


「ちょっとはぐらかさないでくださいよぅ!」


 寺田が優にチェイサーを勧めるも、優は一気に飲み干し、元の話題へと戻し喋り始める。


「まあこの前の記念日に関しては俺も悪いと思ったよ。でもどうしても外せない大事な仕事で……。それに樋口には事前にちゃんと相談したし……」


「相談されて嫌って言える訳ないじゃないですか! そこは女性の気持ちを察してください!」


「優ちゃん、優ちゃん! もう一回お水飲もうか! ね?」


「……いや、トイレ行ってきます」


 暴走気味の優を(なだ)める律。気持ち良く酔いが回っている優は、ハンカチを手にし化粧室へと向かった。

 律は苦笑いを浮かべながら優の後ろ姿を見送り、寺田は小さく溜め息を吐く。



「あいつ毎回悪酔いするんだよなあ。他のやつと飲んだら危ないぞ」


 心配する寺田の横で、くすくすと笑う律。


「大丈夫、あの子ああ見えてしっかり者だから。他所じゃ自分でちゃんと調整して酔わないようにしているの。それだけ私と修吾には気を許してくれてるってことだよ」


「それならいいけど……」


 寺田は少量のビールが残っているジョッキを口元へと運び、グイッと一気に流し込む。

 そのままジョッキをテーブルに置くと、目線を下に落としたまま律に対し口を開く。



「……律はさ、やっぱり嫌だよな。仕事を優先されるの」


 先程優から言われたことを気にしているのだろうか。珍しくしおらしい寺田に、律は驚きを隠せない。


「うーん……。確かに寂しい時もあるけど、でも仕事を頑張ってる修吾は格好いいなと思うし、まあ好きだから、仕方ないよね」


「……おう」


 恥ずかしげもなく平然と話す律に、寺田は少しだけ照れたような反応を見せる。


「多分ね、まだ私が自分に余裕があるんだと思う。だからあまり感情に左右されないというか、正直仕事の忙しさに追われているというか」


 律は仕事に対し責任感と充実感を強く持つ女性だ。結果を出すまで努力できる根性も持ち合わせており、そういった部分で寺田と馬が合いお互い惹かれ合ったところもある。


「そうそう、律は最近少し働き過ぎじゃないか? 残業している日も多いだろ?」


「うーん、まだ大丈夫かな。それを言うなら修吾の方が忙しいでしょ」


「俺は良いんだけど、ほら、あんまり遅いと帰り道とか危ないだろ」


「どうしたの急に。いつもそんなこと言わないのに」


「一応彼氏だからな、心配しているんです」


 お酒が入りながら他愛もない会話を交わす二人。仕事中は恋愛感情を持ち込まず他の社員と同様の接し方をしているため、二人の交際に気付いていない者や破局したなどの噂が出回ることもあるのだが、本人達は至って仲が良く交際も順調である。


「あとさ、お前あんまり二課のやつらと仲良くするなよ。俺のとこまで話が来るんだよ、その、お前に気があるだとか」


 寺田はそういえば、と先日の同僚達との会話を思い出し、おもむろに話を切り出す。

 寺田のそういったやきもちは珍しく、律は嬉しくなり少しだけ意地悪をしたくなる。


「誰々? ちょっと気になるんだけど」


「おい、いい気になるなよ」


 寺田はコツンと律の頭に拳を落とした。


「嘘だって。それで、修吾は何て言ったの?」


「あっそう、って。ガンつけておいた」


「付き合っていること言えばいいのに」


 だって職場でからかわれると恥ずかしいだろ……、と寺田はぼそぼそと口をすぼめる。

 実のところそう言った律自身もおおっぴろに付き合いたい性格ではないため、職場では付かず離れずの今の現状が一番居心地が良いのだが。





「……律、俺らもう二十七だよ」


 寺田は直前の会話から表情を一変し、落ち着いたトーンで口を開く。


「それが何?」


 真剣な語り口調の寺田に、律は言葉の続きを問い掛ける。


「律は、その……結婚願望とかないわけ」


 少しの恥ずかしさもあり律から視線を逸らした寺田は、指を弄りながら言葉を捻り出す。


「何、プロポーズ?」


「ちげえよ!」


 淡々とした律の返しに寺田は思わず否定の言葉を投げてしまう。

 だがすぐに落ち着きを取り戻し、照れながらも律の瞳をしっかりと見つめる。



「……プロポーズは、ちゃんとするつもりだ」



 恥ずかしがり屋の寺田はこういったことが苦手な筈なのだが、それでも言葉にしてくれたことに、つい口元が緩んでしまう。

 律は、寺田が自分を真剣に想ってくれていることを充分に感じている。彼の不器用なところも含め全てが愛おしく、これからも傍で支えていきたいと心から思える、大切な存在だ。



「楽しみにしてる」



 自分が今、満面の笑みを浮かべているであろうことは、恥ずかしながら自覚している。

 それでも愛する彼に対し、自分の気持ちを抑えることの方が難しかった。



「――ちょっと! 何いちゃついているんですか!」


 一部始終を見られていたのかと思える程の絶妙なタイミングで、二人の間に割り込むように戻ってきた優。


「おかえり優ちゃん」


「お前も早く彼氏作れよ、南本」


「余計なお世話です!」


 優は寺田の言葉にムッと口を尖らせながら自分の座席に着く。そんな二人のやり取りを傍観し、律はしみじみと幸せを噛み締める。

 それは昔の自分には想像できない幸せだろうとも思えた。


 律は生まれつき体が弱く、中学に上がるまでは入退院の繰り返しであった。

 幼少期は周りの子のように外で遊びまわることも習い事をすることもできず、布団の中からの光景と、たまに登校する小学校までの登下校の道のりしか覚えていない。

 だが中学以降は少しずつ体ができてきたのか、病気とは遠い関係となった。そこから親しい友人も増え、高校卒業後は地元から離れた会社に入り、独り暮らしができるまでになる。

 だからこそ、仕事で昇格して、仕事仲間や仲のいい後輩に恵まれて、それでいて大切な人とも巡り合えた今がどんなに幸せなことなのだろう。勿論辛いこともあるが、それでも律にとっては夢のような毎日を過ごせているのだ。



「優ちゃんは可愛いから大丈夫。絶対素敵な人と出逢うよ」


「先輩~、合コン開きましょう~」


「はいはい、それじゃあ明日も仕事なわけだし、お開きにするぞ」


「えー! はーい……」



 三人は名残惜しくも会計を済まし、店の外へと出る。




「南本、帰れるか?」


「ううん寺田、私達が途中まで送ろう」


「いいんですか? じゃあみんなで散歩ですね!……と言いたいところですが、私駅から家まですぐなので大丈夫です。ありがとうございます」


 外の空気にあたり酔いも和らいできたのか、優は笑いながら二人に遠慮し提案を断る。


 暦は五月末で、じきに梅雨の季節へと移り変わる。


「ほんと、暑くなってきたね」


 律は右手で頬を押さえる仕草をしながら、建物の隙間から覗く夜空を見上げた。


 梅雨前のじめじめとした特有の空気を肌で感じる。

 梅雨も日本の風流の一つなのだろうが、雨が続き空を灰色に染める梅雨の季節を、律は未だに好きになれなかった。











   *




 左腕に繋がれた針と、そこから伸びる透明なチューブ。

 

 ぽたぽたと、一定のリズムで点滴が滴っている。


 ずっと、深く重い暗闇の中を、ただひたすらに沈んでいく。

 いっそのこと明日が来なければいいのに、そうすれば全てから解放されるのに。


 毎日、そんなことを思いながら目を閉じる。





 律に病気が見つかり、入院生活になって二ヶ月が経とうとしていた。






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