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甘夏と青年  作者: ささえ
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【第三章】目覚め




「――何だ、これ……」



 雅紀が意識と体の感覚を知覚したのは、律が入院を始めた当初、三津総合病院の正門前であった。



 ――俺、死んだ筈だよな――?


 呆然と一人その場に立ち尽くす雅紀。

 自分が()()()()であること。また雅紀は十七歳で事故死したこと。更には家族が雅紀の死後、どのように過ごしてきたのかさえ当たり前に記憶として残っていた。

 そして今、目の前の病院に妹である律が入院している事も、不思議と把握している状態である。


 信じられないが、自分は生き返ったのだろうか。

 雅紀は自分の足元を見る。しっかりとズボンと靴を履いており、足裏が地面と接する感覚もある。

 理解が追い付かず混乱する雅紀だが、いつまでもこの場に留まっていたところで求める答えは出てこない。取り敢えずは、と病院にいる律に接触するべく動き出した。



 病院内に足を踏み入れ辺りを見回す。受付があるその空間は様々な人で溢れている。ここら一帯で一番設備が整っている総合病院だ、各々が異なる理由でこの場所にいるのだろう。



「――っと、すみません」


 不意にすれ違う人にぶつかってしまい反射的に謝罪をする。


「こちらこそ」


 相手も雅紀に対し軽く頭を下げ去っていく。


 ――俺、ほんとに生きてる。会話もできるし、ちゃんと触れる。


 雅紀は近くにあったガラスに映る自分の姿を確認する。外見は自分が死んだ時より少しだけ成長しているように見える。


 二十歳ぐらいか……?


 映画に観るゾンビのような腐食した外見ではなく、血色のいい顔にしっかりとした体つきをしている。誰もが雅紀をまさか死んでいる人間だとは思わないだろう。もしかすると死んだこと自体が夢だったのだろうか。


 ふと、ガラス越しに知った顔の人物を捉える。


「あいつは……」


 雅紀の背後から歩いてくる白衣を着た男性は、雅紀の小学生時代からの親友である、宇部(うべ)達也(たつや)であった。


 四十歳手前ぐらいの風貌だが顔に面影が残っており、間違いなく同一人物だと雅紀は確信する。


「なあ! 久し振り! 達也だよな?」


 何十年振りか分からない親友との再会に高揚した雅紀は、彼の正面に飛び出し声を掛けた。


「懐かしいな! 元気にしてたか?」


 しかしそんな雅紀の期待を裏切るかのように、達也は正反対の反応を見せる。



「……確かに私の名前は達也だが、君、誰だい?」



 達也は急に現れ無作法に自分の名前を呼ぶ青年に対し、明らかに怪訝(けげん)な表情を浮かべる。


 そんな達也の反応を受けた雅紀は自分が若い姿をしていることを思い出し、それは分からなくても仕方がないと、一度落ち着きを取り戻す。



「ごめんな、分からないよな。信じられないだろうけど、俺――」



 雅紀は自分の名前を口にしようとしたが、自分の名前、()()()()という単語の発音が出来ないことに気が付く。



「……あれ?」



 不可解な現象に困惑する雅紀。



「……もし用がなければ行ってもいいかな?」


 自分より半分も年下の青年にからかわれていると感じた達也は、雅紀に対し目もくれずその場から立ち去ろうとする。


「ちょっと待ってくれ! 俺だよ、――だよ!」


 雅紀は達也に対し再度自分の名前を伝えようと試みる。しかし何度試したところで自分の名前が音として発音されることが叶わない。


「顔を見てくれよ! 分かるだろ?」


 名前を伝えることを諦めた雅紀は自分の顔を指差し、どうにかして気付いてもらおうとみっともなく足掻いてみせる。


 だが雅紀の不審な振る舞いに達也の表情は一向に険しくなるだけで、樋口雅紀という人物と目の前の青年が結びつくことはなかった。



「すまないが急いでいるので」


 雅紀に強い不信感を抱いた達也は、付き合っていられないといった風に雅紀の横を通り過ぎる。


 雅紀はそれ以上達也を追うことはできなかった。



 ……なんだよ、俺のこと忘れたのかよ。


 小中高と一緒に過ごした親友との思い出が蘇る。あんなに長く濃い時間を共に過ごしてきたではないか。信頼していた友に裏切られたように感じ、悔しさと悲しみが同時に込み上げ下唇を噛み締める。




「――ああ、今から帰る」


 雅紀が下を向き立ちすくんでいると、前方から耳に覚えのある声が聞こえてくる。


「分かっている。仏壇のお花を買って帰るのだろう? 今日は雅紀の命日だからな」


 雅紀は勢いよく顔を上げその声の持ち主を探すと、そこには自身の父親である豊の姿があった。


 律のお見舞いだろうか。電話をしているが、相手は恐らく妻の雅美だろう。


 ――そうか、今日は自分の命日なのか……。


 雅紀は今の自分の存在を未だに理解できずにいるが、今日が樋口雅紀の命日だということも、この現象の一つの起因なのではないかと考えた。更には豊が雅紀の存在をしっかりと認識している事が判明したのだ。


「あの!」


 雅紀は電話の途中の豊に近寄り声を掛ける。

 雅紀の存在に気付いた豊は、一度通話を保留にし、雅紀の顔をまじまじと見る。


「親父――」

「何か用でしょうか?」


 豊と感動の再会の筈が、またしても自分の存在を雅紀と認識してもらえず、残酷な現実が雅紀を襲った。



「……いえ、人違いでした」


 雅紀は視線を揺らしながら、ぐっと言葉を飲み込み他人のふりをする。

 豊はそんな雅紀の様子に気付くこともなく、小さく会釈をすると再度保留ボタンを押し雅美との通話を再開させ歩き出した。


 その場から去っていく豊の後姿を、ただ眺めることしかできなかった雅紀。

 十七歳で亡くなった雅紀の存在は、確かにこの世界に実在している。

 だが自分が雅紀と認識されること、そしてそのことを自分から公言することは不可能である。



 それが今の雅紀の中で辿り着いた、一つの答えであった。




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