それは特別な、智明だけの音
大輝の部屋に着いた智明。
鞄と上着を床に置き大輝のベッドにどさっと横たわると、そのままスマートフォンを弄り始める。
少しの時間が経過すると、一階の練習室の方からピアノの音色が流れてきた。
大輝のピアノは好きだ。
特段クラシックなどの音楽に詳しいわけではないのだが、大輝の部屋に流れてくる彼の音色を聴くことが幼い頃から好きであった。
智明は何の取り柄もない普通の男子高生だ。友達も多く、勉強も運動も普通にできる。このまま高校を卒業し、そこそこの大学に通い、自分に合うレベルの企業に勤める未来まで想定済みだ。だがそれに対する不満はなく、今が楽しければとその日暮らしの日々を送る。
しかしそんな智明でも大輝のピアノを聴いている時だけは特別な気持ちになる。
曲中に込められたストーリーをなぞると、まるで自分の為だけに奏でられている音楽に聴こえ、自分が世界の主人公のように思えてくるのだ。
大輝の家族にも本当にお世話になっている。何度泊まったりご飯を食べさせてもらったか数えきれない。
こういうのが、親友で、唯一無二の関係なのだと、ここまでくると恥ずかしさもなく真剣に口にできる。
部屋の扉が開いた。
気付けばピアノの音も止んでいる。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
「トモ、お待たせ」
「おう、お疲れ」
練習終わりの大輝が鞄を置きに部屋に入る。
「もうすぐ飯ができる。下降りようぜ」
大輝について行くようにしてリビングに入ると、大輝の父親である輝文がソファに座りにテレビを眺めていた。
「トモ、久し振りじゃないか」
リビングに現れた智明に気が付いた輝文は、テレビから視線を移し声を掛ける。
「お久し振りです」
上場企業の役職持ちの輝文だが厳格な男性といった威圧感は全くなく、紳士的で人当りの良い、ただの友人の父親といった感じだ。それは智明にとって憧れの大人の男性像でもある。
「どうだ、三年生になって」
「大輝が違うクラスなのでつまらないです」
キッチンで智明と輝文の会話を聞いていた愛子がクスクスと笑いだす。
「それ、大輝も言っていたわよ」
「母さん! 言うなよ!」
愛子の告白に大輝は慌てて口を挟んだ。
「トモと大輝は本当仲良しだな」
輝文は息子たちの変わらない間柄に笑みを浮かべる。
その間にも次々と食卓に並べられていく愛子の手料理の数々。智明のお腹は痺れを切らしたのか、準備体操のごとく音を鳴らした。
料理が出揃うとそのまま四人で食卓を囲み、にぎやかな食事の時間がスタートする。
話題の一つに大輝がクラス委員に選ばれたことが上がった。本人は誰もなりたがらないから消去法で選ばれたと言っているが、恐らく誰もが彼を支持したに違いない。
「ご馳走様でした! 美味しかったです!」
合掌しお礼を告げる智明。
「トモ君はいつも美味しそうに食べてくれるから嬉しいわ」
愛子はにこにこと喜んで見せる。
「トモ、部屋に行って漫画読もうぜ。この間貸したやつの新刊仕入れたからさ」
同じタイミングで食事を終えた大輝が席を立つ。
「まじ? あ、待って。茶碗片付けないと」
「いいのよ、まとめて洗うからそのままにしておいて」
食器を下げようとした智明を愛子が制止する。
「すみません、ありがとうございます」
愛子に甘えることにした智明は、輝文と愛子に軽く声を掛けると、大輝と共に彼の部屋へと向かった。