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甘夏と青年  作者: ささえ
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それは優しい女の子



「体調は大丈夫か」


 運転をしている豊が律に問い掛ける。


「うん」


 律はぼんやりと窓の外を眺めながら返事を返す。病院からみるみる遠のいていき、なじみのある景色も増えてきた。これまでずっと同じ敷地内で行動をしていたため、いざ外の世界へ出ると内臓が浮遊する感覚を覚える。


「お父さん、一つ我儘があるんだけど」


 信号待ちのタイミングで豊に話し掛ける律。


「どうした?」


 豊は前を見たまま返事を返す。


「ここから先は歩いて帰ってもいいかな?」


 律の唐突なお願いに、豊は驚いた表情を見せる。


「構わないが、大丈夫か?」


「大丈夫、先に帰って待っていて」


 深い郷愁に駆られた律は、生まれ育った故郷(ふるさと)の景色や空気を肌で感じたくなった。

 車を停めてもらい座席から降りると、外の空気を深く吸う。ここから実家までは、学生時代に毎日のように歩いていた道のりだ。


「じゃあ、また後でね」


 豊に再度少しの別れを告げると、律はゆっくりと歩み出した。




 ……――



 故郷というのは不思議なものだ。

 優しさだけでなく、不安や泣きたい衝動にも駆られてしまう。一人でいると尚更だ。

 甘えてしまいたい。もう頑張ることを辞めてしまいたい――。

 きっと全てはそれを許してくれるだろう。そしてその選択も決して間違いではない筈だ。その思いに至れる者は何かに向き合い努力をしてきた人間だけであり、誰にも批判は許されない。


 だが、それでもまだ頑張ろうと思えるのであれば、それもまた各々の選んだ道なのだろう。


 学生時代に行き慣れた、個人経営のひっそりとした定食屋を覗く律。高校の同級生と学校帰りによく寄っては、店のおばちゃんにデザートのサービスをしてもらっていた記憶がある。


「懐かしいな」


 故郷を離れて何年も経過している以上、当然景観には変化も見られた。しかしそれでも当時の場所を訪れる度に思い出は甦る。

 近くのテニスコートから聞こえてくる部活動に励む子ども達の声。道路を走る車の走行音や、スーパーからうっすらと漏れる音楽に至っても変わりはない。

 空を見上げると幾何学(きかがく)模様の美しい雲が広がっており、時おり吹くふんわりとした風は、町全体が律を歓迎してくれていると思わせてくれた。



「空がきれい……」



 毎日を重い気持ちで過ごしていた筈の子ども時代であったが、自分の中にも確かな思い入れがあったみたいだ。


 道に咲く草花が、()び付き年季の入った道路標識が、楽しそうにはしゃぎ飛び回るモンシロチョウが、律の思い出と何ら遜色(そんしょく)なくそこにあった。


 律が、見ようとしていなかっただけだった。

 思い出は変わりなく寄り添い、傍にいてくれていた。


 世界がこんなにも美しいと、自分がこんなにも優しさに包まれていると、漸く気付くことができたのだ。


 きっとこの世界は自分が何を選択したとしても背中を押してくれるだろう。そして選んだ責任を一緒に背負ってくれるのだ。


 もし希望を見出せない絶望の淵に陥っていたとしたら、かけがえのない出逢いを与えてくれる。

 焼け焦がれるような真夏日に嘆いていたら、からかっているかのような微かな風で遊んでくれる。

 暗く沈んだ冬の夜を過ごしていたのならば、しんしんとした雪の結晶で包み込んでくれるのだろう。


 そう考えると、まるでチャーミングな少女のイメージが湧いて出た。


 律はたまらず笑いを零す。

 世界を少女に例えるなんて、とんだ陽気な人間になったものだ。

 だがそういった解釈も中々に素敵なものではないだろうか。


 律の足取りが自然と早くなり、両親の待つ家へと向かった。




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