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甘夏と青年  作者: ささえ
24/43

帰る場所、待っている人




   *



 病室から離れた律と望月の二人は、病院の各棟を繋ぐ一階の渡り廊下をゆっくりと歩いていた。


 廊下の左右は突き抜けの小さな中庭のようになっており、入院中のお年寄りの患者から元気そうな子ども達まで各々が談笑をして盛り上がっている。

 そこから吹き抜ける風と暖かな陽気は、いつでも(みな)の憂鬱を晴らしてくれるものであった。



「樋口がな、辞めた後に、樋口が担当していた取引先に挨拶をして回ったんだよ。後任を引き連れてな」


 ヘビースモーカーの望月は、ポケットから煙草を取り出し口元に運ぶ仕草を見せる。

 だがここが病院だと思い出したのか、その煙草をライターと共にそっとポケットの中へと戻した。


「どの取引先もお前のことを心配していたよ。急な担当変更にも関わらず、これからもうちとは一緒に商売をやっていきたいと言ってくれてさ」


 会話の途中で足を止めた望月は、廊下の脇にあるコンクリート塀へ腰を預ける。


「それはな、お前の功績なんだ」


 望月から放たれたその言葉に、律の胸の奥底がざわめいた。



「……いえ、でも……」


 嬉しい気持ちや否定したい気持ちが入り混じり、律は返事に詰まってしまう。


「あと、できれば戻ってきてまた樋口に担当してほしいとも言われたよ。ほんと、後任泣かせな奴だな」


 望月の言葉に取引先の面々の顔が思い浮かぶ。建前で言ってくれた言葉なのかもしれない。それでも素直に嬉しい気持ちが大きく、これまで付き合ってきた間柄だからこそ、笑ってそう言ってくれている姿は想像が容易かった。


「そしてそれはうちの部署のメンバーも、勿論俺も同意見だ」


 望月は律に感情の休む間を与えることなく喋り続ける。


「復帰直後は体調優先で特別な勤務体制を組ませてもらえるよう社長にも相談してある。その分給料は前よりいくらかは少なくなるだろうが、一からパートとして他のところで働くよりかは好条件だと思うぞ。それに、慣れてきたら正社員としてフルで勤務してもらいたいと思っている」


 誰よりも激務な日々に追われている望月が、まさか自分が入院している間にそこまで真剣に考え、さらには行動してくれているとは思ってもいなかった。


「まあ、あくまでお前が望んでいればの話ではあるんだがな」


 望月は視線を横に逸らしガシガシと頭を搔いた。



「……私は、急に容態が変わってしまいます。今以上にどんな迷惑を掛けるか自分でも想像できず怖いです」


 そんな望月の想いに真剣に応えるべく、今の自分の心情を包み隠さず正直に吐露する。


「もし他のメンバーより量を捌けないとしても、お前という人間はうちの財産だ」


 望月はそんな律の弱音を、この上ない言葉で包み込んだ。



「部長……」


 律はこの二ヶ月で、自分の弱さや醜さを嫌というほど思い知った。その期間があったからこそ自分と向き合うことができたのだが、そんな自分を財産だと、必要だと言ってくれる人が近くにいてくれる。


 律の両目から自然と流れ出た涙が、静かに頬を伝っていく。


「なにもな、優しさや同情で言っている訳じゃない。うちはな、堅実で未来志向な会社なんだよ。お前を入れるリスクより、お前がいないことで会社に及ぼす損失の方がでかいんだ」


 ――ヨネの言う通りだ。

 自分はどれだけ己の価値を下げていたのだろう。自分のこれまでの努力は決して無駄ではなく、沢山の人が見てくれていて、認めてくれていた。

 ここまで言ってもらえて、動いてもらえて、それでも卑屈でいる方が失礼に値する。


 自分の努力に、尊敬できる上司や仲間がいることに、そして樋口律という人間に、自信と誇りを持つべきなのだ。




「お前の病気はお前の重荷じゃない。お前の病気は、お前しか持っていないお前の武器だ」




 涙のせいでぼやけて見える望月から放たれたその言葉は、律の考えに大きな風穴を開けてみせた。





 ――私の病気は、私の武器。





 少し見方を変えれば、こんなにも心強い答えが存在していたのだ。それは病気を持った律にとって、一番探し求めていた答えだったのかもしれない。

 きっとこの先何度となく挫ける時が来るだろう。その時にこの言葉が本心から言えるかは分からない。だが、それは間違いなく律にとって必要となる言葉であるのだ。



「お前の名刺はとっておいてある。だが、どうする? 主任止まりの名刺は必要か?」


 望月は茶目っ気たっぷりの表情で律に問い掛ける。対する律は、最早顎まで伝い落ちる涙を(ぬぐ)うことすら忘れていた。


「……いえ、破棄してください」


 律もつられて笑顔で返すが、その瞳には固い意志が込められている。

 望月はそんな律を見て静かに笑い、塀から腰を上げ再び歩き始めた。



「退院して復帰できる目処(めど)がたったら連絡をくれ。早くお前を連れて帰らないと部署の連中が煩いんだよ」


 望月はやれやれとわざとらしく肩をすくめ、病院の出入り口に向かい足を進める。


「ありがとうございます!」


 律も望月の背中に向け感謝の言葉を伝えると、その後を追う。




「……ああ、それと、寺田に礼でも言っておけよ」


 ふと、そういえば、と何かを思い出した様子の望月が律の方へ振り返る。



「寺田課長ですか?」


 予想していなかった人物の名前に、律は思わず聞き返してしまった。



「ああ。あいつ俺のところに来て、樋口の帰る席は守ってほしいって、頭を下げてきたんだ」



 寺田は律が会社を辞めた(のち)、二度望月に律の今後の進退を相談していた。一度目が仕事の休憩時間で、二度目は望月とのサシ飲みを切願しての相談であった。




『あいつは必ず戻ってきます。どうかその時は迎えてあげてください』




 望月は熱く真剣な眼差しの寺田を若いなと思いながらも、どうにかしてやりたいと心を突き動かされたことも事実であった。



「修吾……課長が、そんなことを……」



 律は久しく見ていない寺田の姿を思い出す。







 ……――





『……プロポーズは、ちゃんとする……』




 恥ずかしそうに、だがしっかりと律の目を見る寺田。




『楽しみにしてる』




 対して律は、満面の笑みで返事を返す。




『ちょっと、何いちゃついているんですか!』


 タイミングよく優が二人の元へ戻ってくる。



『おかえり優ちゃん』


『お前も早く彼氏作れよ』


『余計なお世話です!』



 寺田の言葉にムッと口を尖らす優。そんな二人のやり取りを見て……。







 ――そしてテーブルの下、寺田に握り締められた手の温もりを感じて。






 律は、幸せを嚙み締めたのだ。







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