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甘夏と青年  作者: ささえ
20/43

夏の夜に見た夢と描ききれなかった幻




   *



 律は約束の時間より少しだけ早くいつもの場所へと向かう。

 腕時計に視線を落とすと、時刻は十九時五十分に針を指している。夏でもこの時間は真っ暗だ。ただ日中よりも涼しく空気が澄んでおり、日本の夏の夜の情緒を感じることができる。


 律が中庭に辿り着くと、そこにはすでにベンチに腰掛けているマキの姿があった。



「マキ!」


 マキの元へ小走りで駆け寄る律。

 この時間に会うことは新鮮なので、いつもより胸が躍ってしまう。


「律。時間通りに来たけど……って、それ」


 律に気付き顔を上げたマキは、彼女が両手に持っている物を認識した途端驚いた表情を浮かべて見せた。




「じゃーん! 花火、持ってきました!」



 律は水をたっぷり入れたバケツを片手に持ちながら、袋入りの手持ち花火をマキに向かって突き出した。








「病院でこんなことをしていいの?」


 二人でいそいそと準備をしながらも、マキは困惑した様子を見せている。


「大丈夫、音が小さい線香花火しか入っていないから」


「いや、そういう問題じゃないでしょ」


「大丈夫だよ、この時間のこの場所は人目につかないから。痕跡も残さないし、バレる要素がないよ」


「妙に大胆なことをするんだよな……」



 今回ばかりは珍しく律の方が押し気味な会話だ。心配性のマキに事前に計画を伝えると反対されると踏み内緒にしていたのだが、どうやら功を奏したみたいだ。



「私の夏の思い出作りに一役買ってよ」


 律の言葉にマキは観念したのか、やれやれといった表情で線香花火に手を伸ばした。



 二人で地面にしゃがみ込みながら線香花火に火を灯す。

 すると、それらはパチパチと控えめな音を奏で、辺りをほわんと照らし出した。



「私、久し振りに花火をしたな」


 記憶に残っていないだけかもしれないが、もしかすると手持ち花火自体が初めてかもしれない。



「俺も」


 オレンジ色の暖かな光に照らされたマキの横顔は、郷愁(きょうしゅう)を感じているような、はたまた(うれ)いを帯びたような、そんな微笑みを浮かべていた。



「牡丹、松葉に柳に散り菊……ってね」


「何それ?」



 マキの口から発せられた、聞いたことのない言葉の羅列に律は首を傾げる。


「知らない? 線香花火の一生。火が点いた時の丸い玉は牡丹。次に激しく火花を散らす松葉。そこから少し弱まって垂れ下がったような火花を描く柳。最期の瞬間まで小さく細い火花を飛ばして消えゆく散り菊――」


 マキが喋り終えると同時に燃え尽きた火の玉が、ぽとり、と地面に着地した。


「そんな言葉があるんだ。知らなかった」


「意外と博識でしょ? 俺」


 マキはにかりと笑い、次の花火に火を灯し始める。



「律はそれで言うとまだ牡丹かなあ」


「私まだ牡丹なの? 柳かと思ったんだけど」


「いや、それはまだ早いね。ただ自分で散り菊って言わないだけ安心したよ」



 二人並んで花火の一生を繰り返し眺める。途中、どちらが長く火を灯し続けられるか、などというゲームも行った。

 線香花火のあまりに短い生涯には言葉にできない美しさがあり、懸命に花を咲かせる姿には私達大人にこそ胸に来る思いがある。



「マキは? マキこそ牡丹の前の蕾じゃない?」


 じんわり火玉が膨れる姿が今のマキなのではないのだろうか。これから先沢山の人と出逢い、吸収し、そして人生の花を咲かせていくのだろう。



「――俺……俺は……」



 すると、マキの返事は意外にも曖昧なものであり、同時に二人の花火の光が消えその表情までは伺い知れなかった。




「あ……最後の一個だ……」


「律がしてよ。俺見とくから」


「いいの?」



 これが最後だと思うと、なんとなく火を点けたくなくなる。急に寂しいような、怖いような感情が沸き上がり、律は不思議と涙が出そうになる。


 別にまたいつの日かすればいい。何もこれが最後ではないのだ。


 だが線香花火が創り出す美しく繊細な空間が律の心の琴線に触れ、感情が揺さぶられるのだ。



「火を点けるよ?」



 マキは律が手にする最後の花火に火を灯す。

 ゆっくりと点いた火花は、パチパチと、次第に四方に光と熱を飛ばしていく。




「律」


「うん?」


「律も、綺麗な花を咲かせていってね」



 花火の光に照らされた、寂しくて優しいマキの笑顔と言葉に、律の胸が苦しくざわつく。

 まるで二人の時間に終わりが近付いているかのように思えて、律は「やめてよ……」と、声になったかも分からない小さな言葉を絞り出した。





 花火が消え行く匂いがした。



 地面を焦がしてしまったのだろうか、その匂いは少しだけ嫌に鼻に残った。




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