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甘夏と青年  作者: ささえ
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マキという青年


 それからというものの、律とマキは約束した中庭で頻繁に会う間柄となっていた。


 二人の会話の内容は、本当にどうでもいいようなことばかりだ。マキはあまり自分のことは話さず、その上律のことも詮索してこない。律が喋りたい時に喋りたい内容を聞き、それを面白おかしく広げてくれる。律はそんなマキを年下ながらにできた子だなと感心していた。




「これが元彼?」


 マキに元彼の写真が見たいとしつこくせがまれた律は、渋々ながらにポケットからスマートフォンを取り出し寺田とのツーショット写真を見せる。


「ていうか律、この写真と今、顔が違うじゃん。ちゃんと化粧しなよ、いい歳なんだし」


「煩いなあ、どうせ知り合いと会うことないし別にいいでしょ」


「俺と会うじゃん。ちゃんと気合い入れて来てよ」


 遠巻きに不細工だと言われているのだろうか。マキに言われたからといって化粧をするのも(しゃく)なのだが、本気を出したらそれなりに見られる顔なんだぞと思わせたい。律は次回からしっかりと化粧をしてやろうと決意する。


「因みに何でその人とは別れたの? 嫌いになったの?」


 マキから素朴な質問を受ける律。


「嫌いになったとかじゃないけど……」


 実際に寺田のことを嫌いになったわけではない。寺田は律が辛い時にいつも傍に居てくれた。だが、だからこそ人間としての価値が沈んでいく自分をこれ以上見てほしくなく、いつしか律にとって隣に居ることが苦痛となっていた。


「私が弱かったから。彼の励ましとか……優しさが、息苦しくなって。自分の事が醜く思えて。恥ずかしいよね」


 律は指を弄りながら情けないように空笑いする。

 別れ話自体も律からの一方的なものだった。電話で自分の気持ちを伝えると、最初は断られ説得もされた。寺田から理由を問われたが、そもそもこれという理由が存在しないため、お願いだから別れてとしか言えなかった。


 彼の心も、プライドも、大いに傷付けたに違いない。再び合わせる顔もない。



「私には勿体ないくらいの、本当の良い人だったんだけどね」


 間違いなく嫌われ恨まれていると思っているのだが、実は定期的に連絡が来る。内容は決まって律の体調の確認だ。


 良心か、はたまた良い男であったことを演じているのだろうか。長い年数を共に過ごし、性根から良い奴であることを知っている筈なのにそういった思考に陥る自分は、本当にとんでもなく卑屈な人間になったと、最早笑いしか出てこない。だからこそ、これ以上彼の印象を(ゆが)め嫌いになりたくなかったことも別れを決心した理由の一つなのかもしれない。



「ふーん、まあ比較的どうでもいいけど」


 マキは自分から聞いたにも関わらず、まるで興味の無いような反応を見せた。


「律はさ、最近体調は落ち着いてる?」


 そのまま唐突に話題を変え、律の病状の心配を始める。

 急な話の転換に律は呆気にとられたが、正直好きな話題ではなかったため、空気が変わったことにほっと胸をなで下ろした。


「平気。マキこそ妹ちゃんは大丈夫?」


「調子良いよ。最初は元気なかったけど、今は会う度にニコニコしてる」


「それなら良かった」


 律に年下の姉妹はいないが、もし存在していたならば寵愛(ちょうあい)してい自信がある。昔から子どもが好きで、会社の同僚の子どもと会うだけでも可愛くて仕方がなかった。特に妹がいたら、可愛い洋服を沢山プレゼントしていただろう。一緒にショッピングに行くことも楽しいに違いない。


 とはいえ、年上の兄弟はいたのだが。


「私ね、実はお兄ちゃんが居たの。私がちっちゃい時に事故で亡くなっちゃって、私はあんまり覚えていないんだけどね。だから私が昔入院していた時も、お兄ちゃんが傍にいてくれたらなってよく思ってた。お母さんは体が弱かったから、お見舞いもそんなに来れなかったの」


 律と兄とは十二歳も歳が離れていた。律が五歳の時に亡くなったため、兄のはっきりとした記憶は残ってはいないが、きっと優しい人だったのだろうと思い出の中の兄を勝手に美化している。


「だからさ、妹ちゃんのお見舞い、沢山してあげてね。絶対嬉しいから」


 律の言葉にマキは笑顔で頷いた。


「……律はさ、お見舞いに来れなかったお母さんのこと恨んでる?」


 マキが珍しく踏み込んだ質問をしてくる。


「んー……、恨むとかはなかったけど、寂しかったかな。当時はお母さんの体調とかよく理解できていなかったし、今はその辛さも分かるから仕方が無かったことだと思えるけど」


「そっか。じゃあ退院したら、久し振りに家に帰って会えるね」


 律はマキの言葉に複雑な表情しか浮かべられず、声に出して返事をすることはできなかった。

 恨みはしていない。しかし自分だけ周りに比べ体が弱く、他の子のように母と出かけることもできず、父も自分より母に寄り添っている印象を抱いていたため、学生の頃は両親とあまり良い関係を築けていなかった。




『丈夫に産んであげられなくてごめんね』




 律が幼少期の頃、高熱を出し自宅の敷布団の中でうなされていた時に母から掛けられた言葉だ。


 律の目をじっと見つめ、切り裂かれたかのような辛い表情で放たれたその言葉。律にとっては申し訳ないと思われる方が辛かった。



 沢山熱出してごめんなさい。

 夜中も起こしちゃってごめんなさい。



 ――丈夫に生きられない自分でごめんなさい。



 律にとって話し相手もいなかった幼少期は、そんな思いしか湧いてこなかった。


 喧嘩も反抗期もなかったが、どこか壁があり他人行儀のような関係性。それも相俟(あいま)って、律は高校卒業後、遠く離れた土地での就職を希望してすぐに家を出た。

 兄が亡き今、家庭を手伝える人は自分しかいないことも理解していた。それでも律は自分の弱い感情を優先してしまったのだ。

 それに対する罪悪感もあり、卒業後は一度も実家に帰っておらず、母の顔も見ていない。心配は掛けたくなかったため、たまに連絡は取っているのだが、今更どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。


 ……きっと、沢山傷付けた。




「律、日が暮れてきた。今日はもう病室に戻ろう」


 暗い表情を浮かべる律に、マキは優しく微笑み、それ以上何を言うでもなく律を病棟の入り口まで見送る。



 病室に戻り、自分のベッドに寝そべる律。

 今までは平気だった病室での時間も、マキと会いだしてからは、どこか寂しさを感じるようになっていた。




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