蝶々
僕、飯岡祐司が働いている店は親友の出谷純輝からの紹介で入ったバーだ。
高校を卒業してから、僕は老舗のバーで数年間働かせてもらっていた。しっとりとしたジャズが流れ寡黙なマスターがシェイカーを振るう、オーセンティックなバーだった。
決して給料が良いわけではなかったが僕はその店の優美な雰囲気が気に入っており働かせてもらっていたのだが、マスターが高齢になり満足のいく接客がもう困難だと感じ、店を畳むというので辞めざるを得なかったのだ。
僕はもう少しここで技術を学びたかったのが仕方ない。
そして2、3ヶ月仕事をしないままダラダラと過ごしていると、僕が仕事をしていないと聞き付けた純輝に今の店を紹介された。
僕は正直、前の店を気に入っていたから今さら違うバーで働くつもりはなかった。
しかし純輝がどうしてもと言うのと、そろそろ働かないといい加減僕を見る母の視線が冷たくなってきているので、とりあえず話だけでも聞きに行くことにしたのだった。
「オーナーがすごいいい人でさ!」
店へと向かう道すがら純輝の言葉を思い出す。
純輝は人懐っこくてよく笑う子犬のような男だ。
ニコニコしている事が多い為、あいつの回りにはよく人が集まっていた。
ただ人が多く集まってくる分、純輝は慎重だ。
人を注意深く観察して、信用できる奴できない奴をちゃんと分別していた。
成績が良いわけではなかったが、賢い男だったのだ。
だから、そんな純輝がいい人だと言ったオーナーとやらに興味が沸いた。
会ってみる価値はあるな、と思った。
しかし純輝がなぜ僕と親友なのかは、純輝曰く「俺と似てる所がある」からなのだそうだ。
しかし僕は純輝と違い、友人が多いわけではないのだが…。
そうこう考えているうちに、記された住所の店にたどり着いた。
まだ人のまばらな繁華街の路地の中にその店はあった。
『Swallow tail』
そう書かれた小さな木製の看板には2匹の蝶々も描かれていた。
僕は深呼吸をすると、そのバーのドアをぐっと引いた。