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婚約解消シリーズ(仮)

正しくない婚約破棄の仕方。

作者: あかね



 彼女は修道院へ向かう馬車の中、自問する。

 私は何を間違えたのだろう。と。


■ □ ■ □ ■ □ 


 デルフィーナが前世を思い出したのは9才のころだった。


「ううぅ~」


 頭が割れるように痛かった。

 二日酔いのようだと思って、いつ飲んだろうかと自問する。お酒を飲める年齢をいくつか過ぎたと言ってもまだまだ限界がわからず飲み過ぎるのだ。

 今日は自宅で飲んでたっけ?


 ぱちりと目を開いた。

 木目に木彫りが美しい天井だった。安っぽい白の壁紙ではない。


 彼女はがばりと身を起こし、頭痛に呻く。

 さらりとした髪に手が触れ、疑問を抱いた。私の髪はこんなにさらりとしていただろうか。確か、緩くウェーブを描くようにパーマをかけたものだった。


 青みを帯びた銀髪では断じてない。

 柔らかそうな小さな手は手荒れさえもなかった。


 ベッドの中からあたりを見回す。布を下ろした鏡台が見えた。恐る恐る降りて布を除ける。


「……あぁ」


 まだ幼さを残した美しい童女。

 記憶にある物語の残滓を思い出す。


 その物語は隣国の王女ヒロインが身分を偽って学院に入学することから始まる。

 身分に隔てなく通える学校というものがまだ珍しく、興味を覚えた王女が視察を兼ねて入学すると言うことになっている。

 実際に視察するのはおつきの人々であり、王女はちょっと通うくらいでよいと思っていた。

 そこで恋をするとも思わず。


 王女の恋の相手は、基本的には婚約者も恋人もいない。例外として王太子には既に婚約者がいた。

 その婚約者がデルフィーナ・ヘイデン公爵令嬢。


 ある物語シナリオでの悪役令嬢である。

 王太子の婚約者であり、麗しき娘。

 年若い娘たちの頂点であり、孤高の存在。

 心を許すのは王太子のみ。


 だから、彼の心変わりを許さない。

 王女ヒロインを排除することに容赦などしなかった。

 彼女が隣国の王女と知らずに。


 そして、それは露見し、デルフィーナは修道院へ送られる。それでさえ温情ある対応であったと言われる。


 それが彼女だった。


 再び、倒れたデルフィーナを侍女が発見するのはそれから数十分は必要だった。




「デルフィーナ、無茶をしないでおくれ」


 再びベッドへ戻ったデルフィーナは父と母の懇願に肯く。特に父は泣き出しそうだ。

 デルフィーナは特に父に溺愛されていた。

 願って叶わないものはないと漠然と思うくらいには。

 逆に母はデルフィーナには厳しい指導をしていた。この激甘な父親に任せておくとろくな娘に育たないと思ったのだろう。

 事実、それは途中まで進行していた。


 小言のうるさい母は父に相手にされていないから、デルフィーナに冷たいのだと思っていたのだから。


 前世を思い出せばわかる。

 母のやることの方が正しい。嫌だと礼儀作法や勉強を投げ捨てているようではいけないだろう。早ければ15には嫁ぐのが当たり前、10までには婚約していて当然な世界で渡っていけるはずもない。


 公爵令嬢ともなれば要求されるものは高い。今までサボっていた分は取り戻さなければいけないだろう。


「ねぇ、母様。ごめんなさい」


 いつもとは違う物言いに母親は笑ったようだった。


「しっかりおやすみなさい」


 よかった。見放されたわけではなかったのだ。

 デルフィーナは安心して目を閉じた。


 父様は? ねぇ父様は?

 とおろおろしている父親のことは完全無視した。

 しかし、甘やかした父がいるのに、物語のデルフィーナはあのように孤高の存在でいれたのだろうか。

 かすかに引っかかりを覚えながら。


■ □ ■ □ ■ □ 


 それから一年がたち、デルフィーナは今までサボっていたことに励んでいた。

 規則正しい生活や多少の運動、マナーなどが身について以前より美しくなったように思う。デルフィーナはその成果に満足していた。


 だから、忘れていたのだ。

 王太子の婚約者となることを。


「デルフィーナの婚約者が決まった」


 久しぶりの父からの呼び出しにデルフィーナは顔をしかめた。表情を出さないでいることは貴族のたしなみだが、まだ、彼女は気持ちを表に出しやすい。

 同席していた母が笑顔で見ているが、それがひどく冷たい気がしてデルフィーナは笑顔を作った。


 あとでお小言があるに違いない。


「第二王子、レリオ殿下だ」


 デルフィーナは首をかしげた。

 物語の情報と食い違う。レリオ殿下が第二王子なのは間違いない。ただ、既に王太子としていたはずだ。

 王の即位が12年前、そのときには既に生まれていたはず。


「父様、どうしても、ですか?」


 当主である父に口答えすることは通常許されないことは知っている。しかし、これだけは言っても良いはずだ。

 人生を左右することだから。


「実際会って、それからだが、ほぼ確定していると思え」


 だだ甘だった父だが、最近は改めているのかデルフィーナにも強い態度の時がある。

 涙目で見上げれば怯んだように目線をそらした。

 まだ、甘える、わがままを言う、は通じそうである。


「遠くにお嫁になんて行きたいくないの」


「デルフィーナ、やめなさい」


 作戦は母に阻止された。

 王族からの話を断れるわけもないとはデルフィーナも知っている。ちょっと試してみただけである。


 あとは王子本人と話をつけるだけだ。

 おそらく、彼が嫌だと言えばなくなる話。

 デルフィーナは王子に思うところもない。しかし、もしかしたら物語通りに進んで婚約破棄をされるのであれば、最初からしたくない。

 公爵令嬢と王女では最初から勝負にもなっていないのだから逃げたって良いはずだ。


「これは必要なことなの。わかるかしら?」


「はい」


 母親に逆らうのは良くないことだ。表面上は大人しく従う。

 しかし、物語通りにならないにしても政略結婚などしたくない。両親は仲睦まじいが、誰もがそうであるとは限らないではないか。


 王子がどういう子なのかによるけれど。

 前世分余計に落ち着きを払っているデルフィーナには恋愛対象になるかもわからなかった。


■ □ ■ □ ■ □ 


 気落ちしたまま部屋に戻る気にもならず、庭に出ればいつものお兄さんがいた。

 庭師見習いと彼は言っていたが、物腰を見ればそれが嘘とすぐにわかった。良い家の子息であることは間違いない。

 父は知っているのだろうかと疑問に思うが、問うことはしなかった。

 知っていても娘に会うことを良しとはしないだろうから。


「どうしたんだい?」


「良くないお話があったの」


「ふぅん。君にはこの花が似合うよね」


 彼は答えに興味がないように小さな白い花を髪に挿す。

 一年より前から彼はここに現れていたようだった。前世の記憶を思い出す前より彼と会った記憶がある。


 前のデルフィーナは単純に遊んでくれるお兄さんとしか思っていなかったようだ。

 今のデルフィーナでも同じような者だと思っている。

 お話を聞いてくれるお兄さん。


 前世で見たものの話を父や母、侍女にして見ようとは思わなかった。変な目で見られるのはわかっていたからだ。


 何故彼に話しても良いと思ったのかは、誰もいないと思っての発言を聞かれたせいだ。


■ □ ■ □ ■ □ 


「なんで印刷機がないのーっ!」


 辛うじて紙に類するものはあった。しかし、全て手書きの写本であり、貴重品である。だから娯楽としての本などない。

 子供向けとされるものでも教典や道徳を語るものばかり。

 前世の自分が好きだったような物語は印刷して大量生産されれば別だが、手書きであるうちはそんなもの出回ることもない。


 娯楽は吟遊詩人や旅芸人の領域だった。

 デルフィーナが実際に目にすることはほとんどない。


 要するに彼女は娯楽に飢えていた。


 お付きの侍女をまいて誰もいないとおぼしき庭の片隅で叫ぶほどには。


「何を叫んでいるんだい? お嬢さん」


 デルフィーナが気がつけば、その少年はそこにいた。笑いをかみ殺したような表情で。

 知らない人とデルフィーナは思ったが、記憶にはあった。そう、色々思い出す前も見ていた人だ。

 見習い庭師と名乗っていた彼は、よくデルフィーナを構っていたように思う。


「な、なんでもないわ」


 慌てるデルフィーナに彼はにこりと笑った。


「教えてくれるかな」


 後から考えれば、デルフィーナは、この笑顔にやられたのだった。なんとなく、彼女はその気にさせる恐ろしい笑顔だと戦慄することになる。


 デルフィーナはぽつりぽつりと概念を彼に語る。

 それを聞きながら、質問をくわえ、より明確にしていく。


「わかった」


 彼はそう言って、デルフィーナの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


「またね」


 デルフィーナの上げた抗議の声を無視してご機嫌に彼は去っていった。



 数週間後には印刷機の情報をまとめた紙をデルフィーナに差し出し、当主に見せると良い事があると言った。

 この世界の技術に落とし込んだ印刷機の情報は、デルフィーナが考えてもおかしくないくらいには雑で、しかし、情報としては必要な分が押さえられていた。


「僕のことは秘密だよ」


 その紙を手に悶々と数週間を過ごし、結局は父の元へと紙を差し出した。

 小細工ではないが、自分の手で書き写した下手な字のおかげか彼女が書いたものとは疑っていないようだった。


 うちの娘は天才だと舞い上がっていた父を尻目に母がため息をついていたことが印象的だ。


 かくして、初期型の印刷機は開発され印刷技術は広まっていった。

 開発者については秘匿されたままだった。デルフィーナとしても自分が知っているだけで、使えるようにしたのはあの少年である。


 思い出してみれば、隠しキャラでそんな人がいた気がする。

 神出鬼没の謎の青年。

 学院で鬼才と言われながらも誰にもいないように扱われる人。

 出自も謎。


 デルフィーナはクリアしなかった。

 逆ハーレムでもしなければ出現条件を満たせなかったから。逆ハーレムは好みではなかったから。


■ □ ■ □ ■ □ 


「何を考えているのかな、お姫様は」


「なんでもないわ」


「まあ、困ったら言って。出来ることなら手伝ってあげる」


 一体彼は誰なのか。

 問うたら彼は答えてくれるだろうか。


 デルフィーナはいつもこの問いを保留している。問えば彼は去っていきそうな気がして。


 たわいのない会話に混ざる前世の知識の価値も意識せずにデルフィーナは彼の側にいた。


■ □ ■ □ ■ □ 


 父から話があって、一月も立たないうちにレリオ殿下と会う機会があった。

 王城へと連れて行かれたデルフィーナは冷たく堅牢な城に圧倒されていた。夢の国の城のように白くもなく、装飾もない無骨な城。

 一階の窓は小さく、昼までも灯りが必要となる。


「怯えなくても良い。いざというときに必要な守りがあるのだから」


 デルフィーナの表情に気がついたのか父がそう声をかけてきた。

 いざと言うとき、それが戦争を指していることに彼女は気がつく。さらに血の気の引いた娘に慌てたのか大丈夫だと連呼する。


「閣下、どうなされましたの?」


 そこに品の良い女性の声が聞こえて来た。

 デルフィーナが視線を向ければ、ほっそりとした女性が立っていた。このせかいでは余り見ることのない男装で。


「妃殿下。娘を連れて来たのは初めてで、その」


「わかりました。ここは、そうでしょうね。上の階はもう少し良いのですけど。おいでなさい」


 妃殿下と呼ばれた女性はそう言って先立って歩き始めた。


「はっ」


 父に手を引かれ彼女の後を追う。


「息子は貴方に会うことを楽しみにしていたの」


「光栄です」


「よろしくね」


 機嫌がよいと確かにわかる声だった。

 デルフィーナは、今更断ることが出来ないと知った。元々出来ないとは思っていたが、望みを絶たれた気がしたのだ。


 デルフィーナにとっては婚約者とはいつか裏切るかも知れない人。


 未定の未来に。

 物語に踊らされていると思いながらも忌避する気持ちがあった。


 出会った少年は同じくらいの歳で、痩せた冷たい目をしていた。

 前世の記憶では、傲慢ともいえるような少年だったはずだ。婚約者を気に入らず、会う事を望まず、側にいることさえも嫌がった。


 あまりにも違い過ぎるそれはデルフィーナに混乱をもたらした。体に染みこんできた礼儀作法に則り、淑女の礼を辛うじて取れたことは幸いだった。

 大人同士の会話が上滑りし、ただ、レリオを見ていた。


「二人とも庭に出てきても良いわ」


 それは提案として現れた命令だった。

 レリオは否と言わず、デルフィーナに視線を向けた。


「おいで」


 レリオはにこりともせずに手を差し出した。

 デルフィーナはそれを見つめて、しかし、手を取らなかった。

 彼はそれを気にしたようもなく下ろすと侍従に先を歩かせた。


「よろしく」


「はい。よろしくお願いいたします」


 会話はそれだけだった。

 気詰まりとしか言い様がない。デルフィーナはちらちらっとレリオに視線を向ける。

 目が会うとちょっとだけ首をかしげた。


 しかし、庭までは何も会話がなかった。



 庭には花が咲き乱れていた。季節が会わない花も植えられているところから、ここが大層贅沢なものだと知れる。

 レリオは赤い花を手折り、デルフィーナへと差し出す。


 それを受け取り、考える。

 これはチャンスではないだろうか。

 断れないのならば、一定条件で婚約を破棄できるようにすればよいのではないかと。大人相手には一蹴されても王子相手ならば、約束させることは出来るのでは。


「殿下は永遠を信じますか?」


「信じるよ」


 即答に近かった。

 その勢いにデルフィーナの方が面食らう。すぐに気を取り直して、考えていた言葉の続きを口にする。


「ならば約束してくれませんか?」


 心変わりをしたのならば、婚約は破棄すると。


 破棄した側が慰謝料を払う。


 公爵令嬢と言えど、王族に言うには不敬と言われるようなことだった。

 デルフィーナは叱責は承知の上で話をした。

 レリオは慰謝料? と首をかしげていたが、了承した。

 不敬だと責められもしない。


「君も同じようにするんだよ? 約束」


 小指を指しだし、レリオはそう言った。

 指切りなんて習慣はこの世界にあっただろうかと疑問に思いながら、デルフィーナは応じた。

 帰ってから誰に聞いても指切りの習慣を知っている者はいなかった。

 デルフィーナにはそれがひどく不安を誘うことのように思えた。


 ボタンを掛け違えたように。


 それからのデルフィーナは、婚約者との付き合いもそこそこに前世の知識を利用していった。

 婚約を破棄された後のことを考えれば地盤は固い方が良い。まあ、破棄されないに越したことはないけれど。

 その結果、領地はみるみる栄えていった。


 しかし、あまり会わない婚約者には評判は良くなかった。貴族の子女が商売に手を出すのは良くないと言われたこともある。

 働き過ぎだと強制的に休養を言われたことも。寝込めば見舞いの花束が、誕生祝いには手ずから選んだと思える装飾品も貰った。

 素っ気ないデルフィーナに対して、レリオは気遣いを欠かさなかった。


 普通ならばどんな相手でも絆されてしまうだろう。

 だが、デルフィーナは彼に恋してしまうことが恐かった。想定された未来に至ることが。


 逆に名も知らぬ庭師見習いには会った。

 外に出かけることもあったが、歳が離れていたため恋人というよりは妹のような気持ちでいた。

 恋人のような語らいはなく、あるのは前世の知識の話。

 商売上のパートナーのようなものでしかなかった。


 そして、レリオ王子は、学院で王女ヒロインに出会う。

 地方貴族の娘としてやってきた彼女は、控えめながら目立つ存在だった。レリオが惹かれているのは見ていてわかった。


 デルフィーナは少しほっとした。

 約束を覚えていれば王子が、婚約破棄してくれるだろう。

 王女に意地悪をしなければ、修道院に送られることもない。領地で引きこもって生きていこう。


 そう思ってもデルフィーナはレリオが気になり、ただ、一度王女に苦言を呈してしまった。


「婚約者のある男性に近づくのはいかがなものでしょうか」


 王女は黙って頭を下げた。元の身分から考えればあり得ない。

 それ以来、レリオと一緒にいるところを見たことはない。


 それから数週間がたった頃。

 レリオが公爵家を尋ねてきた。それは数年ぶりのことだった。気がつけば、この家に出入りすることもなかった。

 ここ数年は王城でも数えるほどしか会っていなかった。


 この件に関しては、両親もデルフィーナには手を焼いていた。

 他のことは聞き分けが良くてもこれだけは譲らない。


「よかったわね」


 応接室に行く前に母が言った。

 無表情と言ってもよい笑顔が張り付いていた。

 最近は滅多に見ることのない表情だった。小さな頃はわがままを言うたびに、父に甘やかされるたびにそんな顔をしたものだった。


「なにがですか? 母様」


「我が家のネズミを追い出すのが遅くなったからこうなったのかしら」


「母様?」


「早くいきなさい」


 答えなどくれる気がない。

 デルフィーナは判断して、母に頭を下げた。何が悪かったのか、怒りを買ったようだ。

 その結果を知るのは、少し先のことだった。



「婚約を解消しよう」


 レリオはそう笑顔で言った。

 デルフィーナは突然の申し出に驚いた。このような形で知るとは思わなかった。

 彼女は辛うじて笑顔を維持していた。

 物語ならば、学院の卒業パーティでの申し出ではなかっただろうか。皆に囲まれての糾弾をかわすにはどうすればよいのか考えていたところだった。


 もしくは被害をすくなく領地に戻る方法を。


 父は突然の申し出に驚いていた。

 レリオが別の女性に心を移しているとは思って見なかったのだろうか。それを私は報告しなかったから知らなくても仕方ない。


「殿下、それはどういうことでしょうか。殿下のお気に入りの娘ならばそのままでも問題ありません」


 父は知っていた。

 知っていて放置していたのか。

 デルフィーナはほんの少しの怒りを覚えた。


「約束しただろう? 好きな子が出来たら、解消しようと」


「はい。殿下」


 レリオはデルフィーナをいらないと言った。

 想定していたことなのに少しだけ痛みを覚えた。そうなるように仕向けたのは自分であるのにも関わらず。


「でも、君もちゃんと教えてくれなければいけなかったよ。好きな人がいるのに、婚約を継続しようなんて不誠実なことをしてはいけないと君は教えてくれたのに」


 レリオの責めるような声に彼女は息が止まりそうだった。

 誰のことを言っているのだろう?

 そんな人いない。

 否定を口にしようとして、浮かんだ顔に絶望した。


「デルフィーナ?」


 公爵は怪訝そうに娘を呼んだ。


「ち、違います。彼はただのお友達です」


 名も知らない庭師見習い。

 誰かも知れない彼に恋していたのは自分だ。

 最初から、不誠実だったのは。


「そんなんじゃないんです」


 力なく呟いても事実は変わらない。

 恥ずかしい。

 これで、どの口が、婚約者に近づくなと言ったのだ。


「彼女は、僕よりも兄の方がよいのだそうです。これでめでたく、継承闘争再開です」


 継承闘争?

 兄?


 何を言っているのだ。

 あの人は、訳ありの庭師見習いではないのか。


「私たちの間にはなにもありません。邪推しないでください」


 辛うじてそう告げることが出来たことだった。

 なくてもあるとされるものだ。

 貴族の世界では当たり前すぎる。

 その上、相手が悪すぎた。

 失態、だ。

 覆しようもない大失敗。

 それも、八年も前から決まっていた失敗。


 なぜ、王子の兄が、我が家にいたのか、とか、ちょくちょく会ったのはなぜかと問いたい。

 父も驚いているところを見ればどう考えても両親の知らぬ間の出来事としか思えない。


 偶然なのだと主張しても意味がない。

 しかし、こちらの見解は一応提示しておく必要がある。意図して内乱を呼びたかったわけでは全くない。


 訳ありのうちで庭師見習いをしていた年上の青年がなぜ、王族なのだと言いたい。

 不敬かもしれないが、次にあったときに殴りたい。

 素性を知っていたら、全力で逃げただろう。王族の顔を把握してないのが悪いとしれっといわれそうだが、謁見にでも連れて行かない限り見ないものだ。遠くから見れればよいほうで。


 こちらの慌てぶりとは逆にレリオは落ち着いている。全ての情報を把握済みなのだろう。

 レリオの冷ややかな表情に泣きたくなる。

 今更謝罪しても意味はない。

 それならするな、だ。


 しかし、やっぱり問いたい。

 なぜ、うちにいたのだ。


 彼のことは年上過ぎて恋愛対象外と思っていた。

 しかし、内心は好ましく思っていた、のだろう。たぶん。

 だからこその迂闊さだった。


 しかし、王族と知ったら嫁ぎたいかと言えば否だ。

 断じて拒否する。

 恋したのは王族ではなく、ただの青年だった。


 これならば修道院でも行く。

 失言をして、見限られて、見捨てて貰うしかない。


「解消は認められません」


 レリオの顔が険しくなる。穏やかな表情が多い彼にしては珍しい。


「殿下は恋人を大事にされれば良いでしょう」


「お断りだよ。彼女に言われたんだ」


 笑顔で、レリオは言った。


「私を口説くならば婚約解消してからって」


 なるほど。

 デルフィーナはため息をついた。



 彼女は修道院に向かう馬車の中で消息をくらませた。

 異国で働く彼女をみたものがいるとかいないとか。



■ □ ■ □ ■ □ 


「兄さんはなんで、そんなとこにいたの?」


「弟の婚約者候補を下見?」


「……で、取っていったの?」


「面白い考えがあってたのしかったので、つい」


「つい、ねぇ? 逃げる気満々だったよ?」


「ふぅん?」


「……監禁とかやめてね。さすがに可哀想だ」


「いなくなればよいのでは?」



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