二話
朝、目が覚めた時。一番最初に目に入る天井は昔から何も変わらない。
子供の頃に怖がった木目は変わらず同じ場所にある。
お化けが出たと言う俺に、両親とまだ小さかった友子が一緒に寝てくれたことがあった。その頃の俺は一人で寝ると言って、一人部屋をもらったばかりだった。
夜中に泣きべそをかいて両親の布団に飛び込んだ俺に、両親は笑っていた。友子は小さい手で俺の頭を撫でていた。そして布団を俺の部屋に敷き、家族四人で並んで寝た。
それからはもう木目はお化けではなくなった。
寝起きの頭でぼんやりとしていると、部屋の外から俺を呼ぶ声がしているのに気づいた。
ぐしゃぐしゃの布団はそのままに、俺はゆっくりと動き出した。
「おはよう、お兄ちゃん」
「……おう」
洗面所に行くと、ちょうど友子がいた。挨拶をぼんやりと聞いて俺は顔を洗う。
冷たい水は頭をかなり覚ましてくれた。が、鏡に映る顔はまだ眠そうだった。
欠伸をしながら居間に行くと、母さんが朝ご飯を並べていた。
父さんと友子は座っていて、俺は父さんの向かいに腰を下ろす。
家族が皆揃ったところで、いただきますと手を合わせて食べ始めた。
無言で食べ進め、母さんと父さんはさっさと出て行った。
両親は農家、そしてお手伝いみたいなことをしている。
この村はほとんどが高齢者だ。皆農家で昔から身体を動かしていたから元気は元気なのだが、やっぱり年には勝てない。
そんな人の手伝いを両親はしている。ちょっとしたお使いとか修理、料理を作ったり話し相手になったり。
二人ともとても真面目で、村での評判も高く、頼りにされている。
でもそのお陰で、家族で過ごす時間は少ない。朝ご飯と晩ご飯を一緒にとるくらいだ。両親は、朝ご飯の後はさっさと外に出て、晩ご飯の後は早々と寝てしまう。
俺が小学校に行く前はそうではなかったように思うが、いつの間にかこうなっていた。
その代わりに梓達といることが多くて、俺達は四人でいる方が家族といるよりも安心できた。
玄関の引き戸が閉まる音がして、俺は静かに息を吐いた。
「「行ってきます」」
俺は中学の制服、友子は普段着に着替えて家を出る。
今日もいい天気だ。
「お兄ちゃん、今日は梓ちゃんを悲しませちゃだめだからね」
「わかってるって」
友子は俺の返事に満足したように頷いた。
いつものことだが、友子は梓と弓弦のことになると特に煩くなる。それだけ大事なのだとわかるが、少ししつこい。
「あ、山野さん! おはようございます」
「おはよう、友子ちゃん。それに悠人くんも」
にこにこと笑う、優しそうなおばあさんが向かいの家から出てきた。お向かいの山野さんで、昨日梨をくれた人だ。
「おはようございます。梨、ありがとうございました。美味しかったです」
「こっちも貰ってくれて助かったよ。もうねえ、そんな食えないのにたくさん送ってくるから困ってたの。なら帰って来いって言うんだけど、仕事だとか孫がどうとかで全然でね」
あのたくさんの梨は村から出て行った息子さんが送ってきたらしい。山野さんは梨よりも孫の顔が見たかったようだが。
正直、この村はだいぶ辺鄙なところにある。最寄りの駅には車で二、三時間もかかるのだ。息子さんが帰りたがらないのはしょうがないだろう。それにお孫さんはまだ小さいらしいから、長時間の移動は大変に違いない。
「梨、もっと欲しかったら言って。まだまだ家にあってねえ。周りはじいさんばあさんばかりだから配っても余ってね。二人がいてくれてほんとに助かったよ。やっぱり若いのに食ってほしいからねえ。友子ちゃん、たくさん食って大きくなってねえ」
にこやかに笑う山野さんの言葉は、愛情に満ち溢れていた。
まだまだ子供の俺達に梨を食べてほしいと、遠慮しないでと言ってくれる。
とても有難いことだ。
この村は過疎化が進み、子供は俺達四人だけだからというのもあるが、村の人は昔から可愛がってくれた。
特に友子は一番年下で女の子だから、甘やかされている。
実の両親があまり関わってこないから、正直とても助かっていた。
友子は愛されているのだと、安心できる。
だからこそ、なのかもしれない。
「まだたくさんあるなら、昨日弓弦くんにもあげればよかったのに。弓弦くんと梓ちゃんもおいしいって言ってましたよ」
「ああ……そうね。あの子達ね」
二人の名前を耳にした、その一瞬だけ笑顔が消えた山野さんから思わず視線を逸らした。
山野さんは良い人なのだ。
友子はよく懐いているし、色々気にかけてくれて、本当に良い人なのにどうしてだろうか。
どうしてこんなに憎らしくなるのだろうか。
「友子、そろそろ行くぞ」
「あ、引き止めちゃったね。友子ちゃん、悠人くん、いってらっしゃい」
もやもやする心のまま友子を促すと、山野さんは笑顔で手を振って、俺達を見送ってくれた。
「はい! 行ってきます!」
友子は笑顔で手を振り返し、俺は軽く頭を下げて歩き出す。
とてもじゃないが、手を振り返すことはできなかった。
「お兄ちゃん、梨、今日も皆で食べようね」
笑顔でにこにこしている友子を見て、少し苛つく。
友子は、この村の人たちが梓と弓弦のことをよく思っていないことを知らない。
もし知っていれば、二人が大好きな友子は煩いだろう。でも、友子は知らない。
それはとても良いことだと思っていても苛つく。
何も知らないことが羨ましい。
「ああ、そうだな。梓と弓弦と俺と友子で」
それでも苦い気持ちを抑えて笑う。
それが四人にとって良いことだと、俺は信じている。
友子が知るのはいつだろうか。
いつかはわからないが、必ず知る時が来るだろう。今は不思議に思っていなくても、俺が気付いてしまったように友子も気付く。
でも、ずっと友子は知らないままだと、俺は根拠もなく思う。
それは俺の願望だとわかっている。
でも、それでもと思ってしまう。
友子が今のまま笑顔を見せてくれたら、俺達はずっとここで笑っていられる気がする。
友子はにこにこ笑って、これからのことを話していた。
学校から帰ってきたら山菜を採りに行くこと。できれば四人で行きたいけど、無理なら弓弦と行くこと。
その後、俺と梓が帰ってきたら四人で梨を食べること。
それに相槌をうっていると、心のもやもやが消えていくのを感じた。途中ですれ違う村の人にも笑顔で挨拶ができるようになっていた。
なんだかんだ言っても、俺はこの村の人達を嫌いになれなかった。
俺も友子もたくさんお世話になって、今も変わらずそうなのだ。
梓と弓弦のことを思うと苦しくて憎らしくなるが、皆本当に良い人で嫌うことはできなかった。
それはきっと間違いではなかったと思う。
でも俺は本当のところを理解していなかった。
結局は俺も友子と一緒で、何も知らなかったのだ。