一話
いつもの見慣れた風景が紅く染まり始めた頃。
空がだんだん遠くなり、暑さが弱まってきた頃。
この時期は夏の終わりと秋の訪れを感じて、何だか切ない気分になる。
そんなことを学校帰りに思うのは、一人だからだろうか。
いつもは幼馴染が隣にいるのだが今日は違った。
「ただいまー」
ガラリと引き戸を開ける。
家の奥からとたとたと足音が聞こえた。
「おかえりなさい」
「悠にい、梓ねえ、おかえり」
妹の友子がにこにこと笑って迎えてくれた。
その後ろからひょっこり顔を出したのは弓弦だ。
「弓弦、お前いたのか」
「うん。あれ、梓ねえはいないの?」
「ほんとだ。梓ちゃんは?」
俺の後ろを覗き込んで、あれあれと顔を見合わせる二人に、頭を掻いた。
梓は俺と同い年の幼馴染で、弓弦の姉だ。
「あー、今日は別々で帰ってきたんだよ。だから多分あっちだろ」
「えー、いつも一緒なくせに」
むっと口を尖らせる弓弦は、小学校高学年になってもまだまだ甘えん坊のお子ちゃまだ。
「まあ、あいつのことだからそのうち来るって」
「じゃあ、梓ちゃんが来るまでおあずけだね」
「えー、先に食べちゃおうよ」
「大丈夫、すぐに来るよ。ね、それまで待っとこ? わたし、みんなと食べたいなあ」
「んー、そうだなあ、友子がそう言うならしょうがないなあ」
友子の言葉に上から目線で頷く弓弦。
そんな弓弦を見てにっこり笑う友子は、自分の妹ながらしっかりしていて、頼もしい。
「食うって何かあるのか? 何も聞いてないけど」
「あ、あのね。お向かいの山野さんが持ってきてくれたの」
「梨だよ、梨!」
こんな多いんだよと弓弦が手を広げると、友子は俺の手を台所の方へ引っ張った。弓弦は背中をぐいぐいと押してくる。
「うわ、わかったから押すな引っ張るな!」
大きい声を出すと、きゃあと笑い声を上げて台所に逃げていった。
それに溜息を一つついた。小学生の元気にはついていけない。年の割にしっかりしているとしても、友子もやっぱり子供だ。二人は元気一杯でこっちが疲れてしまう。
「おい、先に着替えてくるから」
台所に声をかけて自分の部屋に入ると、鞄を適当に投げ入れ、ぱぱっと部屋着に着替えて台所に向かった。
「お兄ちゃん、見て見て!」
「悠にい、早く!」
台所にはたくさんの梨があった。
食いきれないほどある梨に呆気にとられたが、きらきらと目を輝かす二人に、思わず笑ってしまった。
「お邪魔しまーす。皆いるー?」
梨を剥いていると、玄関から声がした。
梓ちゃんが来たと友子が喜び走り出し、その後を弓弦が追いかける。俺が帰ってきた時もこんな感じだったのかなと思いながら、二人の背中を見送った。
梨を剥き終え皿に盛っていると、戻ってきた。
「悠にい、梓ねえ来たから食べよう!」
「梓ちゃん、梨があるの」
「おお、梨! って多くない?食べ切れるの、これ」
とりあえず二つ剥いたが、まだまだたくさんの梨が台所に転がっている。
一体山野さんは梨をどれだけ持っているのやら。
「あ、悠人! さっさと帰るなんてどういうつもりよ。下駄箱にいないからびっくりしたじゃん」
梓が俺に突っかかってきて、俺は溜息をついた。自業自得なのだが、面倒くさい。
「呼び出しくらってただろ、お前。お邪魔虫にはなりたくないからな」
梓は控えめに言って美人だ。大和撫子だとか巫女だとか学校で言われている。まあ、俺からするとうるさい奴なのだが。それすらも美点とされているのは美人だからだろう。
というわけで、男子生徒に呼び出されて告白、が日常的にあるのが梓だ。
「そんなの今までもあったでしょ。なんで今日は気にするのよ……」
しょんぼりと梓が肩を落とす。それに心が痛んだ。
もし俺が梓に釣り合うような奴だったら何てこと無いのだろうが、残念ながら俺は至って普通だ。
男子生徒の嫉妬は色んな意味で痛い。
梓に見向きもされないからと幼馴染に嫉妬する奴も、それに負けるような弱いメンタルの俺も、痛い。
「ちょっとお兄ちゃん? なに、梓ちゃんを落ち込ませてるの」
きっと睨みつけてくる友子から、思わず視線を逸らす。
友子はいつだってしっかりしていて、正しいことを言う。
「梓ちゃんがかわいくて人気なことは、とっくに知ってるでしょ? ずうっと一緒だったんだから。それなのに今更気にするなんて、お兄ちゃんのヘタレ」
「うっ!」
そして、人の心にぐっさりと言葉を突き刺す。
「あのさー、梨食べないの?」
俺が項垂れていると弓弦が言った。早く食べたいんだけどと、つまらなさそうに呟く弓弦に力が抜けた。
弓弦はまだ小学生だからか、こういった話に加わったりしない。梓の弟だから弓弦もかなり顔が整っていて、友子曰くモテるそうだが興味はないようだ。弓弦がいると、こういうので悩む自分が馬鹿みたいに思える。
「あー、梓」
「……何」
俯いていたまま顔を上げない梓に、罪悪感が心にのしかかった。かなり悲しませたらしい。
「ごめん! 自分のことばっかでお前のこと考えてなかった」
謝ったが、梓は顔を上げなかった。
困って友子を見るが、弓弦と梨を食べていて助けようとしてくれない。
なんだよ、一緒に食べたいんじゃないのかと思うが、友子の呆れたような視線が怖くて何も言えなかった。
「あの、だから、もう勝手に帰らないし、嫉妬も聞き流すから」
「……」
「梓? 本当にごめん。なあ、顔上げてくれよ。おーい」
「……」
「なあ、お願いだから。あずさー」
情けない声を上げる俺を友子と弓弦がにやにやと笑う。
二人の視線にさらに心が折れる。
「……く、ふ、あははは!」
突然の笑い声に顔を上げると、梓が俺を見ながら声をあげて笑っていた。
涙を浮かべるほど笑う梓を少し睨むが、さらに笑われるだけだった。
そうすると友子と弓弦も笑い出して、台所に笑い声が響く。
「あーくそ、笑いたきゃ笑えよ!」
いかにも自棄になったように言って、俺も笑った。
俺達はいつだって笑えていたらいいのだ。楽しく、幸せに。
それから梨を食べて、四人でだらだら過ごして、いつものように一日が終わった。
夕日の中、家に帰る梓と弓弦を見送って、明日は絶対梓と一緒に帰ろうと思った。
そうしないと梓は悲しむ。それに俺も寂しくて楽しくない。
幼馴染だから、ではもう足りなくなるくらい、俺は梓のことが大事なのだ。
そんなことを感じて俺は何だか泣きたくなった。友子はそんな俺の手を引いて家の中に戻った。
ずっとこのままではいられないと、きっとどこかで皆わかっていたのだ。俺達は大人になって外に出て行ってしまう。
俺達の村は小さくて、学校すら無い。小学校は近隣の村と合同で、中学校は山を越えて行かなければならない。これから高校大学とさらに外に出ることになる。働くことになればもってのほかだ。
それでも会えなくなるわけではないと思っていた。帰って来ればまた何度でも会えると。
でも現実は残酷だ。
それを知るのは、知ってしまうのはもう少し経ってから。
「君に天晴れ」を読んでいただき本当にありがとうございます。
続きは未定です。
またいつか目にとまった時に読んでやってください。