いつか、君を、かならず
ブータシャフ帝国。
それは知らぬ者のいないトナベ大陸の覇者。下した国家は二十を数え、その統治面積はトナベ大陸の実に四分の三を占める。
歴史は古く、いずれの代の皇帝もよく国を治め、人心は安定していた。
ただ一点、魔物の出現を除いて。
トナベに住まう以上、避けられぬ定め。それが魔物との戦いである。
魔物はある日突然出現する地に開く穴――魔穴――から現れる。
魔穴の出現は予測不可能。最初は一滴の墨の如き、小さな小さな穴が五日から十日をかけて徐々に広がり、穴の大きさが半径六メルに達すると魔物が湧き出す。
現れる魔物の種類は多様で、各々の性質を見極めた掃討方法が要求される。
ブータシャフ帝国には対魔物を専門とする二つの軍部があった。
白銀の鎧を纏い、身の丈の倍はあろう槍を振るう白の騎士団と、漆黒のローブを纏い、己に内包する魔力を使い、様々な術を操る黒の魔術士団である。
それぞれは共に国の防御の要。人民からの支持は厚く、所属する者は何れ劣らぬエリートばかりだった。
魔物の掃討には白と黒、二つの軍の力は必要不可欠であったが、彼らの間には深い溝があった。
曰く、白の騎士は黒の魔術師を指して、陰険根暗と見下し、
曰く、黒の魔術士は白の騎士を指して、筋肉馬鹿と嘲笑した。
設立より五百年、当初は一本の線のような亀裂であった不和は、今ではニッラ峡谷よりも広く深い。
連携を欠かせぬ魔物の掃討において、それは致命的な欠点となり、今から凡そ一年前、最悪の形で露呈した。
――ユズホーンの悲劇
軍部に所属しているもの全ての脳裏に苦い記憶となって張り付いている事件だ。
通常、魔物の掃討は、付近の住民を避難させる事から始まる。
次に、穴の縁を騎士が取り囲み、第一波とも言うべき最初に這い出る魔物をその場で仕留める。その後、騎士は後退し、ある程度の距離を取ったところで、穴から這い出た魔物に、魔術士が術を打ち込むのだ。これを繰り返し、魔物が枯渇し穴が塞がるのを待つ。魔物の種類によって使用する武器や術の内容は変わるものの、基本的な陣容は変わらない。
魔穴が発見されてから魔物があふれ出すまでに数日を要する事から、早期に発見出来た場合の人的被害はそれほど酷くはならなかった。
ユズホーンの街中で発見された時、魔穴は小さく、時間は充分に残されているはずだった。ところが些細な連絡ミスによって住民の避難が遅れた。
騎士団は魔術士団が、魔術士団は騎士団が避難を完了させたと思い込み、多数の住民が残っていたのだ。
結果、住民を守るために隊列は乱れ、民間人の死者こそ出なかったものの、騎士、魔術師共に多くの犠牲者を出した。
事態を重くみなした皇帝ハク=ザイは二つの軍部の融合を試みる。
とはいえ、今日の体制が確立されて五百年余り。長く帝国を固守した制度を変えるには、当然反発の声は付き纏う。
帝国は改革派と保守派の間で大いに揺れた。このままでは内部から割れてしまいかねないとハク=ザイが苦悩するほどに。
折衷案として、ハク=ザイが、騎士団と魔術士団、双方から希望者を募り集められた新たな隊を設立したのは、わずか一月前である。
そうして出来たのが――
「――灰の団。だっせえ! 安直すぎるっての」
「なんで間なんだよな。そもそも白って! うける。あいつら花嫁かよ」
「本当よ。魔術士が指揮権を持ち、脳筋共がそれに従えばいいだけの話よね」
「知ってる? 騎士が履いてるあのブーツ。発酵臭がするらしいわよ。絶対水虫よね」
「げげっ、浴場のマット別々にしてくんねーかな」
「きたなーい」
黒いローブを纏った魔術士が四、五人。寄り集まって声を上げている。
報告書を提出するため、廊下を歩いていた灰の団団長ホロウは重い溜め息を吐いた。
灰の団が立ち上げられて一月がたったが、風当たりは強い。
「あいつら……言わせておけば!」
ホロウと共に廊下を渡っていた白の団、第二師団第三大隊隊長シンチュウが、あまりの雑言に耐えかねて、足を向ける。ホロウは素早い動きでその左腕を掴んだ。
腕を引かれ制止されたシンチュウが悔しげに眉を寄せてホロウの顔を見上げる。ホロウは静に首を振った。
ホロウとて自身の部下達が馬鹿にされて悔しくないわけではない。だが、ここで揉め事を起こしては皇帝ハク=ザイの苦労が無駄になってしまう。今は耐えねばならない。
納得がいかないと、今にも飛び出して行きそうなシンチュウの腕を掴む手に力を込める。
と、生垣の影からふらりと人影が現れた。
魔術士達がはっとして口を噤む。
「皆さん、陛下のお膝元で声高に騎士の方々を中傷するとは何事ですか。そもそも白騎士団の方々は水虫ではありません」
鈴を鳴らしたような澄んだ声。灰色のローブの上に流れる長い黒髪。涼やかな柳眉が今は哀しげに歪められている。たおやかでしなかや。風が吹けば折れそうな細い肢体。ここ一月ですっかり見慣れた姿だ。
魔術士達を諌めたのはホロウの右腕である、灰の団副長ユキヒラだった。
ユキヒラはばつが悪そうに俯く魔術士達に微笑んだ。鈴を転がすような軽やかな声が、艶のある桜色の唇から零れる。
「彼らは水虫ではなく――陰金田虫です」
ぐしゃり。
ホロウの手の中で書類が音を立てる。
あの、くそあま……!
「それに陰口は、当人達に聞こえそうで聞こえない距離で、こっそりひそひそくすくすやるのが楽しいのであって、誰の耳があるかわからない場所で威勢良く言うものではありませんよ」
「え……はあ、まあ」
諌められた魔術士達もどん引きである。
「ユキヒラ!」
シンチュウの腕を放り出して、ホロウは声を上げていた。
「団長」
振り向いたユキヒラは優雅に頭を下げる。
その背後で魔術士達が「ひっ」と息を呑み、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ホロウは自他共に認める強面である。顔面凶器である。そのうえ二メートル近い長身の持ち主ときている。そのホロウが青筋を立てて怒っていれば、誰でも逃げ出すだろう。
「ユキヒラ!」とホロウは再度名を呼ぶ。
「お前の所属、階級を言え」
「はっ! 灰の団、副長です」
「灰の団とは?」
「志願者のみでつくられた騎士、魔術士の混同部隊です」
「だよなあ。ってことはてめえも志願して入ったんじゃねえのか!」
ふっ、とユキヒラが鼻で笑う。なまじ整った顔をしているものだから、その仕草は見るものを余計に苛立たせた。
「勿論そうですよ。サイン入りの志願書をご覧になったでしょう。もう忘れちゃったんですか?」
ぶちりと何かが切れた音を聞いた。
「だったら灰の団が円滑に動けるように言動を考えろ! なんだてめえは。団をぶっつぶしてえのか!」
「えー。べっつにー」
ユキヒラは黒髪をくりくりと指先に巻きつけて、くねくねと体をくねらせた。
びりり
ホロウの手の中で書類が破れた。見るも無残な姿に成り果てた書類をシンチュウに押し付けると、ホロウはユキヒラに向かって足を踏み出した、今すぐあの生意気な口を塞いでやらなければ気がすまない。
「あーあ。何やってるんですか。それ大将に提出するやつですよね。今からやりなおして間に合うんですか?」
「ぐっ」
あと一歩でユキヒラを拳の射程距離内に収められるというところまで来ていたホロウは、ぴたりと足を止めた。彼は自他共に認める事務処理下手だ。肉体派だ。そういえば、今し方破いたあれは、一週間、デスクに齧りついて仕上げた報告書だった。
ぽんとホロウの肩に細い指が乗せられる。
「やれやれ、仕方ないですね。手伝ってあげますよ」
どうしようもない馬鹿を見るような哀れみに染まった瞳で見詰め上げられる。ぶちぶちぶち、とさらに盛大に何かが切れる音がする。
思わず握り締めた腕を、誰かが掴んだ。
「やめてください。ホロウ様が殴ればユキヒラは死にます」
シンチュウだった。さっきまで顔を真っ赤にして怒っていたのに、今は青い顔をして首を振っている。
「何してるんですか。それの提出今日中でしょう? ほら行きますよ」
長いローブを翻し、ユキヒラはさっさと廊下を隊舎に向けて歩き出した。
その線の細い背中を眺めながら、
――いつか出動時に、あいつを事故にみせかけて殺せねえかな。
と、ホロウはしばし真剣に検討した。




