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冬季過去行高速バス

作者: 米澤嵐鐘
掲載日:2026/04/29

処女作です。

 冷たく乾いた風がビルの間を吹き抜ける冬の昼、私はバス停のベンチに座っていた。バス停で待っているのは私だけで、特になにかをするわけでもなくバス停を通り過ぎる人々をただ見つめていた。駅前であるためか人の数は多く、通り過ぎていく人々はみな希望に満ちているように見える。それに比べ私は「無」であった。大学生活を二年間過ごしてきたが、結局何者にもなろうと思わなかったのである。一時期は将来の夢を持たないまま生きることに対して焦りを感じていたが、今ではそのことから目を背け、まどろみながら日々を過ごしている。それが私である。目に映る光景はそのことを私に思い出させたのだ。しかし、今のまま生きていくことを決心した私にとってはどうでもよいことであった。そんなことを考えながらポケットからスマホを取り出し、現在の時刻を確認すると、間もなくバスが到着する時刻であった。バスは実家に帰るため予約した。今までも何度か同じ高速バスを利用してきたので、予約はウェブサイトでスムーズに完了することができた。高速バスは三列の座席で、予約時に座席を指定することができる。座席を指定する時点では、私以外の利用者はいなかったうえに、帰省シーズンでもないので、そんなに利用者が多いわけではないだろうと思っていた。予想どおりバスが来る直前になっても、私以外の利用者は現れなかった。


 少し待っているとバスがやってきた。ほかの高速バスも近くに停まるのだが、予約した高速バスは黄色の塗装が施されており、目立っていたため乗り間違えることはなかった。運転手に自分の名前を伝え、予約した座席へ移動する。バスの中では、無料でインターネットを利用できるため、スマホで動画を視聴するのが、いつものバスの中での過ごし方である。バスの出発を待っていると一人の青年がバスに乗ってきた。どうやら私と同じようにバスを予約した乗客らしい。バスの貸し切りという淡い期待が潰えて、残念に思っていると、その乗客は私の隣の座席に座ってきた。目の前の光景に困惑していると、私が一番最初に座席を予約した乗客であることを思い出す。隣に座ってきた乗客はわざわざ私の隣を予約したのだと思うと、少し腹が立ってきた。気にしてもしょうがないと思うことにし、動画を見ているとその青年が話しかけてきた。


「高岡にはどうして行かれるのですか?」


 突然の質問に戸惑いながらも、黙り込むわけにもいかないので仕方なく答える。


「実家に帰省するため……ですかね」

「実家ですか。いいですねぇ」


 ぎこちない会話が始まってしまい、質問に応じたことを後悔し始める。こんなことになるなら、気づかないふりでもすればよかったとさえ思う。このまま会話が終わってしまうのも気まずいので、こちらからも質問をする。


「そちらはどういった目的で?」

「わたしですか?旅行ですよ。四日かけて北陸をまわるんです」


 予想内の答えが返ってきて、面白い回答を期待していただけに少し残念に思ってしまう。知らない人との会話に対しての苦手意識がより深まっていくのを感じていると、続けて青年が口を開く。


「あぁ、それでいうと、まだ旅行の詳しい予定が決まってないんですよ。高岡に着いてからどこに行こうか決めあぐねていまして、おすすめの飯屋とか観光スポットとかあります?」


 旅行の予定が決まってないのに、高速バスを予約することがあるのか疑問に思ったが、いったん回答のために思考を巡らすことにした。しかし、私は故郷で観光と呼べるようなことをしてこなかったため、回答がなかなか思いつかなかった。そもそも私にとって、故郷は観光する場所がない面白みのない場所であることも思考の障壁となった。


「寿司屋ならハズレはないと思いますよ。観光スポットは……すみません。あまり詳しくなくて」

「寿司ですか。海鮮がうまいと聞きますもんね」


 案の定会話は展開しなかった。気が付くとバスはすでに出発していて、ビルとビルの間を走っていた。会話が下手な私につきあわせるのもなんだか申し訳なく思い、会話を終わらせるために今度は私が切り込む。


「あの……動画見たいんで、すみません」

「将来の夢とかあります?」

「え?」


 まるで私の声が聞こえていないかのように発せられた言葉に私は再び困惑した。


「わたし、人がどんなことで悩んでいるのか顔を見たらわかるんですよ。ずばりあなたは将来に関する悩みを持っていますね?」

「さっき言ったと思うんですけど、動画見たいんでもう話しかけないでもらえますか?」


 言葉の意味が通じなかったのだと思い、今度は直接的な表現で突き放した。


「すこしくらいいいでしょうよ。後悔はさせませんよ」


 なんなんだこいつは。何度断られても諦めない姿勢に尊敬すらしてしまう。しかし、私が将来のことで悩んでいるのは事実だった。そのことを思い出すと目の前の青年が何者であるかに興味がわいてきた。結局、青年は逃がしてくれそうにないので、私は付き合うことにした。


「まあ、少しだけなら……」

「で、将来の夢とかあるんですか?」

「いや、特に……」


 そう言いながら私は数年後の自分自身の姿を思い浮かべる。どれだけ思考を巡らせても、私の輪郭は背景とにじんでいく。結局、理想の自分を描くことができず、考えることもやめてしまう。そのことが、私が「無」であることを残酷に突き付けるのだった。バスの外には、人々が通りを歩いている様子が見える。人の流れは時間が絶えず流れていることを感じさせるようだった。対して、バスの中は時間が止まっているかのようだった。未来へ進むことをやめた私を乗せて、走り続けている。話すこともなくなったので、私が反撃する。


「君はどうなんだ」

「あなたと違ってありますよ。特別この職業に就きたいとかじゃないですが」

「それは……人生の目標とか?」

「そうですね、わたし、記録を残したいんです。本とか論文とか。なんでもいいですけど。この世にわたしが生きていた証を残したいとでも言えますかね」


 その言葉を聞くと、目の前の青年が色づいて見えた。未来がある者は例外なく、今の灰色の私にとっては鮮やかに見えるのだった。同時に青年が発した言葉に違和感を覚えた。違和感は徐々に懐かしさへと変わっていく。私は似たような話を以前聞いたことがあったのだろうか。懐かしさの正体を確かめる間もなく、青年は話を続ける。


「少し前に昔の同級生が事故で亡くなったことを聞いたんです。特段仲が良かったわけでもないのに、すごく悲しい気持ちになったんですよ。そして、その同級生のことを忘れてしまうことがどれだけ恐ろしいことか考えるようになりました。忘れてしまうことで、そもそも生きていなかったことになってしまうと思ったんです。それから、自分も例外じゃないと思って、毎日手帳を書いたりして、なるべく人生の足跡をつけるようになりましたね」


 内容が思ったよりも重く、私はなんと言っていいかわからなくなっていた。


「すみません、急に重い話をしてしまって。こうやって、誰かと話すことも生きてきた証を残すこととつながってるんですよね。話を聞いてくれてありがとうございます」


 青年はそう言うと、ザックから本を取り出し読み始めた。バスはすでに高速道路を走っていた。スマホで音楽をイヤホン越しに再生し、私も自分の世界へと入る。好きな曲に心を沈めようとしたが、頭の中には青年の言葉が何度も響いていた。そういえば、私は過去を反芻することをこれまでしてこなかった。そのせいか、私がどんな人間で、何を成してきたのか思い出すことができない。目を閉じて過去を振り返る。まずは昨日したこと。特になにもせずに惰眠を貪ったことを思い出す。次に一週間前。すでに何をしていたかぼやけているが、徐々に形を取り戻していく。ちょうど一週間前、修理に出していたノートパソコンを取りに行ったことを思い出す。その日は珍しく雪が降っていた。一ヵ月前。ここまでくると、なかなか思い出すことができない。諦めずに過去を掘り起こしているうちに、私は眠ってしまった。



 目を覚ます。起床直後の独特な感覚のおかげで、わたしは目を閉じている間に眠ってしまったことに気づく。どれだけ寝ていたのだろうか。バスの中のデジタル時計を確認しようとすると、外の景色が一変していることに気づいた。バスは山々に囲まれた高速道路を走っており、一面雪が積もっていた。雪に反射した光が目の中に入ってきて、起きたばかりのわたしを覚醒させる。バスの外が雪景色に変わったことで、相当長い間寝ていたことを自覚できたので時計は結局確認しなかった。


 しばらくの間、外の景色を見つめていた。バスの外は音が雪に吸収され、静かな空間が広がっているのだろうか。雪は絶えず空から降り続けているが、外はまるで時間が止まっているかのように感じた。未来へ進むことを諦めたわたしと同じように。そんなことを考えていると、意識は眠りに落ちる直前へ移っていった。自分自身の過去については、まだ思い出せなかった。しかし、今回の帰省の最中で過去を完全に思い出せるような気がしていた。なぜそう思ったのかわからなかったが、おそらく外の景色がわたしの心のように見えたからだろう。過去という雪が降り積もった空間に身を置くことで、自分を見つめ直す。そんなことがこれからできるように思えた。また、高岡は例年以上の積雪だということを少し前に身内から聞いたことを思い出す。そのことを思うと、このバスは過去へ向かって走っているとさえ思えてきた。故郷にわたしの未来に関する答えが埋まっていると考えると、なんとも思わなかったこの帰省に期待が湧いてきたのだった。


 ふと、わたしは同乗していた青年の存在を思い出す。隣の席を見やると、そこには眠る前に見た青年の姿はなかった。思えば、あれはわたしの過去の一部だったのかもしれない。わたしは心のどこかで過去を思い出そうとしていたが、勝手に過去や未来を封印してしまっていたのだろう。そう思いこんで納得し、いつものようにスマホで動画を視聴し始める。わたしがバス停で抱いていた空虚感は不思議とどこかに消えていた。冬季過去行高速バスはわたしを乗せて、雪の中を走っていく。

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