悲しい別れ
「明日病院でしょ。今日仕事休みだから久しぶりに買い物に行こうか。」
史郎が里子を誘って買い物に出掛けた。
小雨が降っていて店の中の床が濡れていた。
里子は濡れた床にとられ足を滑らし転んでしまった。
「里子!!大丈夫か?お腹は?」
「ちょっとお腹うったかも…。でも大丈夫。ごめんね。気をつけて歩いてたつもりだったけど…」
史郎は泣きそうな里子を支え
「今日は帰ろう。明日病院でちゃんと診てもらうんだよ」
といい2人で家に帰った。次の日、一番で病院へ行き受診した。
内診を終え診察室へ戻ると、いつもにこやかな先生の顔が今日はない…
「坂上さん、先ほど診察させてもらったのですが…。赤ちゃんの大きさが前回と同じで大きくなっていませんでした。心拍も確認できませんでした。」
……えっ……そんな!
「昨日転んだのが…」
「さっきお聞きしたお話しですよね。いえ、赤ちゃんの大きさからすると前回診察した後に成長が止まったとみていいと思います。」
続けて先生は説明をした。
「先ほど検査しましたが、正常妊娠はこの数値以上なければいけないのですが、坂上さんの数値は大分低いんです。この数値ですと残念ですが、流産となります。」
………流産。そんな……
先生の声が遠い…。
「お腹の中に長く残しておくと母体に影響が出ます。できれば早く出してあげて下さい。明日にでも手術できますが…」
「…はい。お願いします。」
そこには意外と冷静にいられる里子がいた。
先生の言葉を聞いても、明日の手術前の処置をされても、涙は出なかった
「これから入院して明日の朝手術になります。
ご主人に着替えなどを持ってきてもらえますか?」
史郎に電話をして事情を話し着替えも頼んだ。
里子は案内された病室のベッドに横になり白い天井を見つめた。実感がないのかまだ涙は出なかった。
「…うん、うん。わかった…。じゃあ後でね。」
あんなに喜んでいたのに。
「よう。暗い顔してどうした?今日飲みに行くんだけど一緒にいかないか?」
電話の後、様子がおかしい史郎に同僚が声をかけた。
「悪い、奥さんの体調が良くないんだ。今日はすぐに帰るわ。また誘ってくれよ。」
「もしかしてつわりとか?…そっか。奥さんお大事にな。」
人の事情も知らないで!そんな事いうんじゃねーよ!
同僚のその発言にムッとしたが、顔には出さず(いや、出てたかも)そのまま仕事に戻った。
仕事を定時に終わらせ自宅へ急いだ。家に着くと里子に頼まれた着替えと必需品をカバンに詰め込み、急いで里子の待つ病院へ向かった。
病院に着くと史郎は看護士に説明を受けた。
里子の前には夕食が運ばれてきていたがなにも喉を通らない。
事情を知っている看護士がご飯をおにぎりにして持ってきてくれた。
「おにぎりにしてきたから食べられる時に食べてね。今回は残念だったけど…。
明日の手術もすぐに終わるから、ちゃんと食べて赤ちゃんにバイバイしよう。お母さんが悲しいと赤ちゃんも悲しむよ。」
看護士の言葉を聞いて、明日赤ちゃんと別れなければいけないという現実を目の前に突きつけられ、里子の中の何かが崩れた。不安感が突然の悲しみになり里子は嗚咽しながら泣き出した。涙が止まらない。
嗚咽する里子の肩を包み込み看護士は優しく背中を撫でてくれた。
「大丈夫、お母さんのせいじゃないよ。赤ちゃんだってお母さんのところにこれて嬉しかったと思うよ。大丈夫、大丈夫。今は泣きたいだけ泣けばいいよ。」
優しい声で落ち着かせてくれる。
史郎が部屋へ案内されると里子は泣いていた。
「奥さん、自分のせいだって言って……後悔と不安で辛かったんだと思います。落ち着かせてあげて下さい。」
看護士に事情を聞き里子のそばへ行った。
看護士と交代した史郎は泣いている里子を優しく抱き締めた。
「ごめんね……ごめんね、赤ちゃん…赤ちゃんが……。赤ちゃん守ってあげられなかった!ウチが転んだから…」
「さっき先生から話を聞いたよ。大丈夫、里子のせいじゃないよ。」
史郎は泣きじゃくる里子を優しく抱き締めながら背中をさすり続けた 。
何十分たっただろう。里子は落ち着いてきた。
「大丈夫?落ち着いてきた?」
「…うん、ありがとう。いっぱい泣いてすっきりした。赤ちゃんには笑顔でバイバイ言わないとね。泣いたらお腹すいちゃった…」
「じゃあ、おにぎりたべればいいよ。飲み物買ってくるね。」
部屋を出てた史郎は、自動販売機の横の椅子に座り声を押し殺ししばらく涙を流した。
その晩は、二人の悲しみを包み込むように外は季節外れの雪が降り、白い花が咲くようにうっすらと積もり始めていた。
翌朝、里子は手術をした。
妊娠9週。小さな命は天国へと帰っていった。
家に帰ったら安静にし、1週間後術後の経過を診る為に病院に来るように言われ、その日の午後退院した。
家に帰ると史郎がお茶を入れてくれ「ちゃんと寝てろよ」と言い残し買い物に出掛けた。
史郎が出掛けている間、里子はなにも書かれなかった母子手帳と予定日の書き込まれたカレンダーを壁から外しそっと机の奥にしまった。