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「まぁお姉様! 偶然ですねっ!」
ナタリアと目が合うや否や、セルゲイを引きずる勢いでやってきたのはエミリーだ。
二人してアレクセイに挨拶をしたのち、ナタリアの方を向いて、
「わたくしたちも! 今日! この市場でデート! の予定があったんですのよ!」
大声で喚くエミリーは確かに『これからデートです♡』なんていかにも気合が入った格好だ。
対するセルゲイは、どこか疲れた顔をしている。
だがナタリアと目が合った途端、どこか驚愕の表情を浮かべた。
「……ナタリア? まさか君が本当に……? 僕はてっきりエミリーの勝手な嘘だと……」
「だから本当だって言ったでしょ! お姉様ったら、勉強ではなくて男漁りの才能のほうがあったのではなくって?」
愕然とするセルゲイとは対照的に、エミリーはバカにしたような嘲笑を浮かべる。
さすがのナタリアもこれにはムッとする。
「それは違うわ! 私とアレクセイ様は――」
「おや、二人とも聞いていなかったのか? 私のほうがナタリアに猛アピールしたんだ」
ぐ、と体を抱き寄せられる。身長差があるせいですっぽりアレクセイの腕の中に収まったナタリアは、固まることしかできない。
「私も例の夜会に参加していたからな。君の勇ましい婚約破棄の様子もよぉく見ていたよ。あそこでナタリアに目をつけたというわけだ」」
「そ、それはお褒めに預かり光栄ですが……」
――セルゲイ様! それは褒めてるんじゃなくて皮肉ですよっ!
内心ナタリアは叫ぶが、それがセルゲイの耳に届くことはない。肩を小刻みに震わせるアレクセイを見るに、彼は笑いを堪えているようだった。
「で、でもっ……いくらアピールされからって婚約破棄されてすぐに他の男性に靡くのはあんまりではなくって!?」
「あんまりもなにも、ナタリアは自分の置かれた立場を理解し、私に付き合ってくれているんだ。他国といえ、皇帝である私に、公爵令嬢如きが逆らうのは言語道断だからな」
ぎり、とこちらまで歯軋りが聞こえそうな勢いでエミリーが歯を食いしばる。
セルゲイが必死に宥めすかしているが、効果は薄いようだ。
「セルゲイとやら。お前が婚約破棄したおかげで私は最高の女を手にすることができた。感謝しているよ」
「ナ、ナタリアは決して最高の女などでは……、……一応申し上げますと、彼女は妹であるエミリーに意地悪なことばかりする愚かな姉で……」
「その割には貴様、先ほどから悔しそうな顔をしているがな? それと、ナタリアが愚かかどうかなど私が決める。そして彼女を愚弄するということは即ち、彼女を選んだ私まで愚弄することになるというのは、もちろん理解しての言葉だろうな?」
う、とセルゲイが言葉に詰まった。
対するアレクセイはにたにたと笑う。人の苦しむ顔に喜んでる時のものだ、とナタリアは肝が冷えるようだった。
「この通り私はナタリアに夢中でな。なぁナタリア?」
言葉とともに、ナタリアの額に口づけが落とされた。
そして――それを目にしたセルゲイの顔が歪み、泣きそうになったのを、ナタリアは見逃さなかった。
「さぁ行こうか。お前たちも各々楽しむといい」
*
『各々』と言ったのにもかかわらず、なにかにつけてエミリーとセルゲイはちょっかいをかけてきた。
最初こそアレクセイもいなし、揶揄い、けらけらと笑っていたが、それも段々と飽きてきたらしい。
「邪魔だな」
何度目かあしらいを終えて――不機嫌そうに低い声で呟いた。
「……ですがアレクセイ様の望む、悔しがるというか……苦しむ顔はたくさん見れていると思いますが……というかそれが主目的では……?」
「それはそうかもしれんが、あれだけ横入りされれば邪魔でしかない。邪魔だ。罵る言葉も減ってきた」
強調するように『邪魔』を2回も重ねて嫌そうな態度を隠そうともしない。
――邪魔、だなんて。もしかしてアレクセイ様は、私とのこの時間を楽しんでいらっしゃるの……?
思いはしたが、ナタリアは口には出せない。
ここで違う、と拒否されなら傷つくのがわかっていたからだ。
「そういえば」
尻尾をナタリアの体に巻き付けながら、なにか思い出したようにアレクセイが言う。
「お前の妹。なぜお前の婚約者を奪うに至ったんだ?」
そういえばアレクセイには話したことがなかったかもしれない。
周囲に二人がいないのを確認して、ナタリアは小さな声で話しだした。
「……理由は私にもわかりません。ただ気づいたときには二人の仲は深まっていて……」
「気づいたときには?」
「……はい。私たちは二人姉妹ですから。長子である私はいずれ婿を取らなければいけないと、勉強だ礼儀マナーだなんだと学ぶことが多くて……」
「お前が勉学に励む間に、男を取られていたと」
「……仰る通りです。セルゲイ様は長子ではなく、3番目に生まれたご子息で……ですから婿入りするのであれば、私と共に、公爵家として学ぶべきことを学んでいきたかったのですが……」
「妹につきっきりだった?」
「……、……仕方のないことなんです。私がもっと要領よくこなすことができていれば、きっとこんなことには……」
神妙な表情のナタリアに、だがアレクセイは嗤うようなことはしなかった。
それに首を傾げたのは他でもないナタリアだ。
「……笑わないのですか?」
「なぜ?」
「……今の私、……すごく、その、苦痛というか……アレクセイ様がお好きそうな顔をしてるはずで……」
「私の目にもそう映るんだがな。なぜだか笑えない」
ふうむ、と立ち止まったアレクセイが考える素振りを見せる。
「なぜだろうな? お前に非がないことだからだろうか」
非がない。
初めて言われた言葉だ。
直接そうだと言われたことはなかったが、これまでは、両親も、妹も、婚約者も、どこかナタリア自身に非があってこうなってしまったことばかり口にしていたからだ。
『ナタリアが我慢すればいい』
『お姉様が我慢すればいいのよ』
耳にするのすら苦痛に思えて、最近では全て右から左に流していたようにすら思える。
「……」
ナタリアはどう答えるべきかわからず口を噤んでしまう。それを悪いほうに受け取ったのか、話題を変えるように、アレクセイがいつもより明るい声で聞いてきた。
「そういえばお前の父はどうだったんだ。夜会で婚約破棄騒動など、家門に泥を塗りかねないと思うんだが」
「……多少なりと怒ってはいましたけれど……やはりエミリーには弱いというか……」
「妹に弱いのではなく頭のほうが弱いのではないのか、それは」
ナタリアとしては、違う、と言いたかった。
父はそんな人ではない。……と胸を張って口にすることができない。
「それで結局、お前と婚約者の婚約は破棄。妹と一緒になると?」
「……多分、そのはずで……」
「やはり頭のほうが弱いのではないのか?」
ゆらゆら尻尾を揺らしながら、アレクセイは言う。
「まぁいい。お前に見劣りしない男を見繕わせると約束したからな。その点は……」
「――えっ!? こんなのが美味しいなんて、やっぱり舌は鼠のままなのかしらねぇ?」
アレクセイの声を遮るように、少し遠方から声が上がった。
驚きつつナタリアとアレクセイがそこに視線を向ければ――エミリーが、いつかの串焼きを手にしていた。




